花澤香菜の歌唱力は“驚き”に値する 栗原裕一郎の「かなめぐり」最終公演レポート

 2月28日、神奈川県横須賀市文化会館にて、花澤香菜のライヴサーキット「かなめぐり〜歌って、読んで、旅をして〜」の最終公演が開催された。昨年11月の奈良を皮切りに、入間、盛岡、松山、新潟、岡山、那覇、桑名と全国9カ所を回ってきたサーキットの千秋楽である。

 このツアーは、アコースティックサウンドに乗せ花澤の歌声を届けることを目的とした、通常のライヴとは趣きを異にするもので、特に「かなめぐり」と題されているのはそのためだ。サウンドプロデューサー北川勝利のアコースティックギターに、初期から花澤をサポートしてきたシンガーソングライター末永華子によるピアノ、そして花澤の歌というごく小規模の編成である。

 舞台装置もシンプルで、色を変える小振りなスタンドライトが4本、出演者の背後に立っているほかは、映像による演出が控えめに映し出される程度。ステージ上手にギター、下手にピアノ、中央には白いクロスを掛けた小さなラウンドテーブルが配置され、すずらん型のランプで照らし出されている。テーブルには赤い装丁の本が置かれている。

 定刻の17時をほんの少し過ぎた頃に北川と末永が登場。ギターを構えた北川が右手を挙げて合図をするとBGMがフェードアウトし、二人による演奏に迎えられるように、花澤が「かなめぐり横須賀へようこそ! 今日は楽しんでいってくださいねー!」と姿を現した。袖と胸元に黒があしらわれた黄色いワンピース。

 

 まず「ダエンケイ」「Eeny, meeny, miny, moe」「花びら」と2ndアルバム『25』から続けて3曲が披露された。「花びら」のアウトロで花澤がテーブルに着席、本を手に取りそのまま朗読へ。アルバムでは西加奈子の小説『さくら』の朗読が挿入されていた部分だが、この日読まれたのは佐藤さとる『だれも知らない小さな国』。ある世代以上の人ならみんな子供の頃に読んだ「コロボックル物語」シリーズの第1作である。

 「コロボックル物語」なんてまた懐かしいものを選んだなあと思いながら聞いていたら、読み終えた花澤から、佐藤が横須賀ゆかりの作家であるとの説明があった。作家の有川浩が佐藤から受け継いで「コロボックル物語」の新作を発表しているとも。へえ、知らなかった。

 キャラクターに応じて声音を何色にも使い分け、かなり長くなされた朗読は、さすが第一線で活躍する声優は大したものだと認識をあらたにさせる出来映えだった。というと語弊がありそうだけれど、僕はまずシンガーとして花澤香菜を知ってしまったもので、どうもいまだにその意識が抜けないのである。

 アニメに疎い自分が花澤香菜を知った経緯は『Blue Avenue』発売時の当サイトレビュー(「花澤香菜は第2の松田聖子となるか? 栗原裕一郎が新作の背景と可能性を探る」)に書いたのでそちらを参照してもらいたいが、この日、確認したかったのはまさに、花澤の歌声は一体どんな質のものなのかということだった。セットリストの流れやMCに応じたレポートはオフィシャルをはじめとしてすでにいくつか出ていることだし、以降では、花澤の歌声をめぐる個人的な所感を主に書いてみることにしたい。

・花澤香菜の歌声は「駄菓子屋のくじ付きオレンジガムみたいな少女声」なのか!?

『ミュージック・マガジン』2015年6月号の「クロス・レヴュー」で『Blue Avenue』が取り上げられた。レヴュワーは、石田昌隆、鈴木孝弥、村尾泰郎、高橋修(同誌編集長)の4名で、採点は10点満点で順に、7、2、7、9点。

 高評価の並ぶなか、鈴木の2点が目に付く。この「クロス・レヴュー」は、創刊者である中村とうようが0点とか極端な点数を付けることでかつては知られた名物コーナーで、鈴木の2点もその伝統(?)に則ったということなのかもしれない。レヴューの中身を見てみよう。

「脂オヤジキモい、という意見が通用するのと同じ声量で、駄菓子屋のくじ付きオレンジガムみたいな少女声に萎える、という所感を述べていいはずだ。受ける印象は、言葉に注意すればロリ、ややもするとペド趣味ないい大人が、好みの少女に、彼女が知らない時代の音楽をあてがって歌わせて愛でる(…)倒錯した興奮狙いの図式。オレは客じゃないです」

 私、この鈴木さんという方、まったく存じ上げなかったのですが、サイトのプロフィールによると「どこにでもいる、ごく普通のアナキスト」だそうだ。よほどお気に召さなかったにせよ、ロリだのペドだの倒錯だの、「最近のわがミューズであるところの花澤香菜さん」などと戯れ言を呟き、にわか客として盛り上がっていた最中の自分としては心中カチンと穏やかでなかったのだが、でもそれはたぶん恋のせいではない。

 もっとも「駄菓子屋のくじ付きオレンジガムみたいな少女声」という言い分には、表現の悪意を措けば一理なくもなく、自分が使った「超高性能ボーカロイド」という形容とも一脈通じているだろう。

 CDを聴く限りでは、発声が平板に聞こえる瞬間がないではない。声のキャラクターは多彩とはいえ甘いトーンは一貫しているため、平板さが甘さを人工的に響かせる嫌いはある。ウィスパーのイメージが強いのに加え、喉で歌っているように聞こえる局面も多く、甘さに媚びのようなものを聴き取る人もいるかもしれない。

 そうしたネガティブな印象はしかし、Blu-ray『Live Avenue Kana Hanazawa in Budokan』を見て一蹴された。昨年5月3日に行われた「花澤香菜 live 2015 "Blue Avenue"」ツアー初日の武道館公演を収録したディスクで、都合で行けなかったこともあり購入したのだけれど、ライヴ記録映像としての素晴らしさ以上に、花澤の歌には認識の見直しを迫る驚きがあった。

 ともかく歌の安定感が想像を超えていた。CDで聴くのとほぼ変わらない歌唱を、武道館という大舞台で、20数曲にもわたって立て続けに再現してみせていたのだ。

 以前当サイトのインタビュー(「花澤香菜×北川勝利が明かす、“極上のポップソング”の作り方「人生と音楽がより密接になってきた」」)で、北川がプロデューサーの立場から花澤のレコーディングについて「歌い回しやフィーリングで「すごくいいね!」というものを掴んだ時に、その筋道を次からは毎回再現してるようになるんですよ。それは面白い機能だなと(笑)」と話していたのが記憶に残っているのだが、スタジオとは勝手も環境もまったく異なる大会場でもその性能は遺憾なく発揮されていた。

「花澤さん、まじボーカロイド…」と漏らしてしまったものだが、なかでも瞠目したのは、曲間のコール&レスポンスやMCなどで声を張ったときも甘いトーンが失われないことだった(ひしゃげさせているようなときはもちろん別だけど)。つまり、ファンが陶然と溜息を吐く「天使の声」そのままで叫んでいるのである。

 CDで初めて触れたときに「ちょっと聴いたことのない種類の声だ」と思ったと以前書いたが、花澤は、声質や歌い回しを自在にコントロールできるだけでなく、声質やニュアンスを保ったまま、ボリュームをひねるみたいにダイナミクスも操作できるのではないか。CDで聴かれるとおりの歌唱を武道館でも再現できるというのはつまりそういうことなのではないか。

「駄菓子屋のくじ付きオレンジガムみたいな少女声」というのは要するに、アイドルによく見られるような、声量がなくベチャッと甘えた声ということだろう。今の見立てが当たっていれば、その評価はピント外れということになる。

 だが、ライヴの記録とはいえ録音物であることに変わりはない。判断は生の歌を聴いてからに譲らねばなるまい。というわけで「かなめぐり」に足を運ぶことにしたのだった。

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