メジャーデビューアルバム『メジャー』インタビュー
SANABAGUN.高岩遼と岩間俊樹がめざす、音楽による革命 「リスナーの耳の鮮度を上げたい」
「キングキドラの『最終兵器』のライブDVDを観て『うわっ、何これカッケえ』と思って」(岩間俊樹)
ーー一方、岩間くんは日本語ラップに興味を覚えることから始まったんですよね?
岩間俊樹(以下、岩間):そうですね。地元は青森の三沢市で、米軍基地がある影響もあって、中学生くらいになると男の子は自然とみんなB-BOYの格好をし始めるんですよ。うちの兄貴がもともとDJをやっていて。兄貴がバックDJをやっていたKEN-RYWというラッパーの1stアルバムが1万枚以上売れてたりして。それが、俺が中1くらいのときですね。KEN-RYWさんは兄貴の幼なじみなので、俺も小さいころから知ってたんです。たまに兄貴と一緒に遊んでくれる人みたいな関係でした。俺は最初DJをやろうと思ったんですけど、やってみたらあんまりおもしろくなくて、ラップをやり始めて、中2くらいからリリックを書き始めました。兄貴の部屋からエロビデオを拝借しようと思ったら、キングキドラの『最終兵器』のライブDVDが混ざっていて、うわっ、何これカッケえと思って、そこから日本語ラップを掘っていくようになりました。
ーー周りの友だちも同じようにラップしてる子はいたんですか?
岩間:いや、誰もいなかったですね。格好はB-BOYなんだけど、実際にラップまでしてるやつは全然いなかったです。なぜか俺が最初に書いたリリックは恋愛モノだったんですね(笑)。片想いの切なさみたいなことを書いたリリックを兄貴に見せて「おまえな、ここは“あなた”って書いてるけど、その子への思いが強いんだったら“おまえ”って書け」とかアドバイスをもらったりして(笑)。
ーーいい話ですね(笑)。
岩間:中学3年くらいから地元のクラブで遊ぶようになりました。兄貴はそのときすでに上京していたんですけど、兄貴の名前を出すとみんな知ってるのでかわいがってもらって。
ーー初めてのライブは?
岩間:高校2年のときだったと思います。宮古の、あそこなんだっけ? スターライトだっけ?
高岩:そう、スターライト。キャバレーとクラブの中間みたいな店で。
ーー岩間くん、高校は宮古の学校に行ったんですよね。
岩間:そうなんですよ。
高岩:高校時代はインマイフッドにいたんだよね。そこで出会ったんです。
ーー運命的な出会いですよね。
岩間:俺が宮古の高校に行ってなかったら絶対に遼とは出会ってないと思います。それも別に親の事情とかではなくて。将来何をやろうか考えたときに、俺はすげえ頭が悪かったので。地元のバカ高校に行ってもつまんないし、何か人と違うことをやりたくて。それで調べたら宮古に商船の船員を育成している国立の高校があって。授業料もめっちゃ安いし、裕福な家庭ではなかったので、ここに行こうと決めて。国立って響きも自慢できそうだなと思ったし(笑)。
高岩:だから、こいつ小型船舶の免許持ってるんですよ。イケイケですよね(笑)。
岩間:クルーザーとか運転できます(笑)。親も安定した職業に就いてほしいと思ってたので、当時は仕事やりながらラップできたらいいなと思っていて。結局、一度就職したんですけど、やっぱりラップがやりたいと思って4ヶ月で辞めて、上京して。
ーーそんな2人が出会ったタイミングは?
岩間:宮古の秋祭りだよね。
高岩:そうそう。
岩間:どこかでラップしたいといろいろ探ってるうちに地元のヒップホップカルチャーに通じてる人たちと出会って。それで秋祭りでラップさせてもらったんです。そしたら遼がダンサーとして飛び入りで入ってくる、みたいな(笑)。
高岩:俺のママからラップしてる男の子がいるという情報を聞きつけて。「は? 宮古でヒップホップが好きな男の子なんて俺しかいねーし」と思ってたんですけど、祭りでこいつと会って。「お前か! よろしく!」って(笑)。
岩間:そのときはそこまで仲良くなると思ってなかった。でも、お互い上京してからたまに会ったりもしていたし、音楽をやってることも知ってました。
高岩:俊樹が新宿のクラブでライブをやってるのを俺が観に行ったり、俊樹も俺がビッグバンド編成でやってるライブを観に来てくれたり。
岩間:そのときもまだ一緒に何かやりたいとは思ってなかったんですけど、俺のなかでは同世代の友だちでイケてる音楽をやってるのは遼だけという認識はありましたね。俺がクラブでラップしてるときに代官山LOOPでワンマンをやって、ちゃんと集客もしてたのですげえなと思って。
高岩:ハタチのときですね。いろんなところに借金をしてビッグバンド編成のライブをしたんです。そのときに何人かのSANABAGUN.メンバーと出会って。