市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第21回

フランク・ザッパの知られざる“変態伝説”ーー市川哲史が綴る親子ザッパ録

 実際、面識もないのにリスペクトの一念のみで父ザッパを訪ねてくるミュージシャンたちが、後を絶たなかったらしい。中でもドゥイージルが最も感激したザッパ家の訪問者は、エディ・ヴァン・ヘイレンだった。

 息子ザッパがギターを始めたばかりの1981年、まだ12歳だ。ある日の放課後家でVH『炎の導火線』収録の超絶インスト曲「Eruption」のコピーに果敢に挑んでいると、「没落したドイツの伯爵みたいな苗字の怪しい男から電話なんだけど、どうする?」と受話器を持ったままの母ザッパ。「ええ!?」

 胸騒ぎに急かされ電話を代わると、「エディ・ヴァン・ヘイレンといいます」。

 20分後、呆れる母ザッパを尻目に狂喜乱舞する息子ザッパの前に、『暗黒の掟』のジャケと同じジャンプスーツ姿のエディが現われたのだった。

 後日、学校の文化祭(みたいなもん)でバンド演奏する息子ザッパが前日リハをしていると、エディが出現。居合わせた学校中の生徒が発狂する中、彼はPAミキサーを買って出たばかりか「Runnin’with the Devil」のソロ・パートを手取り足取りで教えてもらったという。おいおい。

 憧れのギター・ヒーローとの邂逅を心底嬉しそうに語る息子ザッパに、当時の同級生たち同様、もはや嫉妬する気力すら湧かぬ私であった。前述のジミヘン燃え焦げギターも我が物顔で弾いてたな。ああ、素晴らしき哉七光り。

 実はジミヘンが死んだのもドゥイージルが生まれたのも、同じ1969年9月だ。二人の命日と誕生日が完全一致すれば、この風桶話の説得力も増すというもんだが、1969年9月18日没と1969年9月5日生。

 世の中そこまで上手くできてはいないのだ。

■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

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