兵庫慎司「ロックの余談Z」 第4回
幸福な解散はある──SAKEROCKのラスト・ライブを観て
じゃあ、バンドを結成した張本人=星野 源はどうなんだ、という話になる。
周知のとおり、もともと彼は役者としての活動と音楽活動を並行して続けており、確か昔「それぞれのメンバーが外でいろんなことをやっているようなバンドがいい」みたいな発言をしていたから、そのような、「解散しても誰も困らないくらい個々のメンバーのレベルが高いバンド」を目指す気持ちも、もしかしたらあったのかもしれない。
ただし、それがここまでうまくいってしまったことと、自分が「歌ってしまった」ことは、彼にとっても予想外だったんじゃないかと思う。
数年前にインタビューした時、なぜSAKEROCKをインストバンドにしたのかを訊いたら、「自分の曲を歌うなんて恥ずかしいことはできなかった。だから、歌も作ってたけど、それは発表せずに家で歌うだけだった」と言っていた。
だからインストバンドとしてSAKEROCKを始めたのだが、バンドの音楽性もポジションも充分に確立された頃、人に勧められたりして歌ってみたら(当然ソロで、ということになる)、「なんで今まで歌わなかったんだ!?」と誰もが驚くようなことになり、高く評価され、もう大変にうまくいってしまった。
田中馨が脱退したのは、確か、ソロ星野 源の活動が本格化した直後だった。でも、あのタイミングで解散しなかったのは、バンドを続けるのが大変になってきたけどまだなんとか続けたい、という気持ちが3人の中にあったからなのだろう。
そして星野 源はソロで成功していく。役者としても文筆業者としても活動が軌道に乗って行く。ハマケンは在日ファンクを結成して活動を始め、役者としてもタレントとしてもどんどん売れていく。伊藤大地は、さっきも書いたようにひっぱりだこ。
もしそうならなかったら、つまり星野 源のソロがここまでうまくいかなかったら、ハマケンが在日ファンクはすぐつぶして役者としてもすぐ終わっていたら、伊藤大地に外のミュージシャンから声がかからなかったら、SAKEROCKはもっと続いたかもしれない。
でも、不幸なことに……じゃないな。幸福なことに、そうではなかった。3人それぞれの状況が、SAKEROCKを続けることを許さなくなった。自分の才能が、自分がバンドに留まり続けることを認めなくなった、とまで言ってもいいかもしれない。
じゃあ、実際は解散状態でも年に1回だけ東名阪ツアーをやるとか、5年に1枚だけアルバム出すとか、そういうふうにしてSAKEROCKを残せばよかったのに。
と思う人もいるかもしれない。一理ある気もする。
が、しかし、彼らにとってSAKEROCKは、そういう「たまにやるお楽しみ」みたいに、ゆるく存在することが許されるようなバンドではなかったのだと思う。やるなら己の中の相当大きな何かを引き換えにしないと、できないものなのだと思う。