兵庫慎司「ロックの余談Z」 第4回
幸福な解散はある──SAKEROCKのラスト・ライブを観て
『SAYONARA』は星野 源プロデュースで、すべての曲を星野 源が書いている。たぶん、ここまで全部星野 源なのは初めてなのではないか。それぞれのメンバーのスケジュールを考えると、昔みたいにみんなで集まって時間をかけて曲を作ることは不可能だったから、ではないかと思う。
それでもいいじゃん、この「完全星野仕切り」でSAKEROCKを何年かにいっぺんやればいいじゃん、とあなたは思うだろうか。やはり、僕は思わない。このアルバムは本当にすばらしいが、これはあくまでも最後だからこそできたものだ。そのような作り方が通用したのも、やめた野村卓史と田中馨が戻ってきたのも、最後だったからだ。この方法でもう1枚作ったら、たとえどんなにすばらしい内容でもそれはSAKEROCKではないし、ふたりも戻って来ないだろう。
2015年6月2日、SAKEROCK最後のライブ、両国国技館。土俵の上の円形ステージで、“SAYONARA”のMVの後半のように向かい合って演奏し、MCで言葉を交わし合う5人は、まるで初めてリハスタに入った時のようだった。もちろん僕は彼らが初めてリハスタに入った時のことなど知らないが、でもそういうふうに思えた。それはとても、すごく、本当に、幸福な光景だった。
客席に背を向けて、5人で顔を見合わせて、5人で演奏して、5人でしゃべってるんだから、一見「お客さんは蚊帳の外」みたいなライブだったかもしれない。でも、超満員の両国国技館に満ちていた空気は、それとは正反対のものだった。この瞬間の5人の幸福を、あの場にいた全員が(もしかしたらYouTubeの生中継で観ていた人たちも)共有していた。僕にはそう感じられた。
にしてもSAKEROCKって、ほんとに規格外のバンドだったんだなあ、とつくづく思う。
こんなふうに、「自分の才能がバンドに留まることを許さなくなった」例って、過去にあったっけ。BOOWY。解散後の活躍は周知のとおりだけど、そういうのとは違う気がする。ユニコーン。いや、「川西さんがやめちゃったからバンドを続ける気がなくなった」みたいなことを当時奥田民生が言っていたから、違うか。キャロル。矢沢永吉の成功っぷりやジョニー大倉の役者としての活動を見ると、解散後の方がビッグになってはいるが、この場合そもそも同じバンドだったことの方が今になってみると不思議な気がします。はっぴいえんどの「破格の才能の集結っぷり」も今思うとすごいが、あのバンドの場合、当時全然売れなかったから解散した、というのも大きいのではという気がするので、やはり異なる。
というふうに考えていって、同じではないがちょっと近い例を、ひとつだけ思い出した。
SUPER BUTTER DOG。バンドではできなかった武道館クラスでのワンマン、余裕で即完する人をふたりも輩出している。ハナレグミ=永積タカシとレキシ=池田貴史。前者はSAKEROCKの高校の先輩で、後者はさっき書いたように一時期SAKEROCKのサポートを務めていた。
■兵庫慎司
1968年生まれ。1991年株式会社ロッキング・オンに入社、音楽雑誌の編集やライティング、書籍の編集などに関わる。2015年4月にロッキング・オンを退社、フリーライターになる。
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