St. Vincent来日公演レポート USインディの鬼才が見せた前衛性と親しみやすさ

20150304-sv5.jpg
Photo by MASANORI NARUSE

 彼女の曲はどれも豊富な展開とひねりの効いた要素の集合体で、有り体なフレーズの欠片も存在しないが、ほとんどが3~4分台というコンパクトな設計が行き届いている。さらに、強靭なストラクチャーを備えたソングライティングはすでに1stの時点で確立されており、近年のより複雑なテクスチュアを誇る楽曲においても、その素性の良さは少しも損なわれていない。

 だからだろうか、盤以上に実験精神が発揮されるライブの場においても、観客が取り残されるようなことは決してない。彼女の(特に『Strange Mercy』以降の)表現は、一度触れてすぐに理解できるような類のものではないが、アーティストの独善性が誘発されることは決してない。「実験のための実験」などどこにもないのだ。

 この前衛性と親しみやすさを同時に現前化してみせる才能こそ、セイント・ヴィンセントの真骨頂だと思う。

20150304-sv6.jpg
Photo by MASANORI NARUSE

 全体にMCは少なめのショーであったが、今や彼女のステージには欠かせない盟友トーコ・ヤスダ(ex. Blonde Redhead、Enon)の通訳により、曲間で日本のオーディエンスに語りかけるセイント・ヴィンセント。しかしその内容は、日本語に訳しても意味不明、Strangeなものばかりで、ヤスダも苦笑を隠せない。それでも人を食ったような感じに一切ならないのは、彼女の一挙手一投足からにじみ出る知性のなせる業だろう。そう、ロボットダンスをしていても、ギターをかきむしっていても、意味不明なことを話していても、隠しきれない知性が彼女からは横溢しており、それが排他的な方向でなく、観客の信頼を担保するものとして機能している。

 これは彼女のパーソナリティに負う部分が大きいと思うが、音楽家としてのスタンスにも起因するのではないか。

20150304-sv7.jpg
Photo by MASANORI NARUSE

 ライブ中盤も、2ndアルバム『Actor』から「Marrow」や「Laughing With A Mouth Of Blood」を織り交ぜつつも、『Strange Mercy』以降の曲が大半を占めた。繰り返しになるが、『Strange Mercy』以降の楽曲は素朴な“歌もの”とはかけ離れた、どちらかといえば難解な曲ばかりである。奇妙で独創的で、誰も聞いたことのない音の集積だ。

 しかしステージを見ると、その奇妙な音楽の主は驚くべきインテリジェンスを備えていることが一目でわかる佇まいなのだ。なぜそう思えるのか。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる