矢野利裕のジャニーズ批評

加藤シゲアキ『ピンクとグレー』が描くアイドルの本質とは? 村上春樹作品との比較から考える

 加藤シゲアキ原作の『ピンクとグレー』が映画化されるとのことだ。原作とは大きく改変されるらしく、どのような映画になるのかはわからないが、楽しみである。筆者は小説を論じることもあるのだが、これまで『ピンクとグレー』について書く機会はなかったので、この場を借りて書いておきたい。

 本作は、河田大貴(芸名:河鳥大)と鈴木真吾(芸名:白木蓮吾)のふたりをめぐる物語だ。ふたりは親友同士、ともに同時期にタレント活動を始め、蓮吾のほうは一躍人気タレントとなる……。蓮吾の姿に、加藤シゲアキを投影する読者も少なくないだろう。本作を読んで筆者が最初に連想したのは、村上春樹のことである。曖昧で思わせぶりな語り。比喩の多用。ポップカルチャー固有名の多用。あるいは、「忙しいの?」と問われ、「どんなに忙しくても夜は来るし、ご飯も食べるし、寝ることだってできるよ」と返す感じ。ある時期以降、村上的なスタイルは一般化した感もあるので、一般的な傾向と言えばそうかもしれない。

 とは言え、村上と比べたくなってしまうのは、本作が物語的に『ダンス・ダンス・ダンス』を連想させるからだ。『ダンス・ダンス・ダンス』には、やはり人気タレントである五反田君という人物が登場するが、蓮吾を見ていると五反田君が元ネタになっているのではないかとすら思える。作者である加藤が、実際に『ダンス・ダンス・ダンス』を意識していたのかはわからない。と、このへんからネタバレするので、ご了承くださいませ。

 五反田君と蓮吾は、人物像的にも重なる部分が多い。どちらも、自身のタレント活動に対して、冷めた態度をとりがちだ。いくら有名になってもどこか空しい、自分は周囲にやらされているだけではないか、と。そして、どちらも最終的に自殺を選んでしまう。

 たしかに、芸能活動を続けるなかで自分を見失ってしまうという物語はよくある。フィクションでなくとも、ジャニーズ関係で言えば、諸星和巳の自伝『くそ長~いプロフィール』(名著!)や豊川誕の自伝『ひとりぼっちの旅立ち』(これも名著!)にも同様の悩みは書かれていたし、真相はわからないがアイドルの自殺という悲劇だって実際に起きている。五反田君においても蓮吾においても自殺の動機には解釈の余地があるものの、タレントとしての自分と本当の自分の乖離に苦しむというストーリーは、その意味でよくあるものだ。

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