長渕紅白伝説再び? 4回目の出場演目は異例の新曲! 「明日へ続く道」に何を込めるのか
長渕剛の4度目となる紅白歌合戦出場では、先日リリースされた「明日へ続く道」が歌われることになった。この曲は書き上げてからすぐ、アレンジを施すこともなく、ピアノと歌のみで一夜にしてレコーディング。その瞬発力をもってそのまま配信シングルとして発表された。
「明日ヘ向かって」「明日の風に身をまかせ」「Run For Tommorow ~明日の為に~」…など、タイトルだけみても、長渕の楽曲には多くの明日があり、一つのテーマとして存在している。明日は「未来」「希望」「野望」… 様々な意を含む言葉だ。同曲には人それぞれ見える風景が違うように各々の明日は異なる、そんなそれぞれの明日へ向かって行って欲しいという思いが込められている。シンプルなメロディーと力強い歌声にその思いが込められ、〈明日への用意をしよう〉という印象的な一行がそれを促している。
「語り継がれる長渕紅白伝説」
過去、長渕の紅白出演は話題を呼んできた。前回、2011年は震災被災地である宮城県石巻市の門脇小学校の校庭からの中継。108つのサーチライトの中、「ひとつ」を熱唱した。2003年は「しあわせになろうよ」の他、森進一へ楽曲提供された「狼たちの遠吠え」で、コーラス&ギターとして参加している。そして、ベルリンからの中継で3曲披露した、色んな意味で語り継がれる1990年の初出場がある。
「予定外の曲を披露」「大物歌手の出番がカットされた」「NHKから出入り禁止勧告」など、当時は様々な報道がされた。実際は予定通りであり、翌年にはNHKの番組にも出演している。ただ、特別待遇であるのは確かであり、他出演者から苦情が出るのも想像に容易い。 スタッフを「タコ」呼ばわりしたことも話題になったが実際は少し違う。
「こちらに来ましたら、現場仕切ってるの皆ドイツ人でしてね、ともに闘ってくれる日本人なんて1人も居ませんよ。恥ずかしい話ですけど、今の日本人はタコばっかりですわ。最終的にはつくづく独りなんだなと痛感しております」
この年、1990年10月3日に東西ドイツが統一された。長きに渡る冷戦の終結の舞台である“ベルリンの壁”で歌うことが予定されていたが、当日用意されていた場所はベルリン市内であるものの、別の場所、フランス聖堂だった。そして、日本人スタッフが誰もいない状況下での生中継という切迫感から出た発言だった。ただ、不適切な言葉であったと、のちに本人も何度か反省の念を示している。
先日の本人インタビュー(「長渕剛が語る、命がけで表現するということ『本気でかかってくる者には、逃げるか、行くかしかない』」)の際、正直訊いてよいのか迷ったが、恐る恐るこの話について訊いてみた。「本当に出入禁止ならもう二度と出られないですよ。だけど、またこうしてオファーを頂けている。出演させて頂く以上は120%の力で、きちんと歌を届けたいです」さらに、90年当時を振り返り、本当に自分のやりたかったことを理解してもらい、それをやらせてもらった当時のプロデューサーとスタッフには感謝していると語っていた。
翌1991年1月17日に湾岸戦争が勃発する。このときの大晦日はまさに一触即発の開戦前夜だった。日本においても、資金協力や自衛隊海外派遣の是非が問われていた渦中である。そんな情勢の中、ひとつの平和を迎えたベルリンで初披露となった「親知らず」の〈俺の祖国、日本よどうかアメリカに溶けないでくれ!〉と歌ったことが本人の覚悟であり、そこに賛同して応えたNHKの決断でもあった。