小野島大の「この洋楽を聴け!」第8回:ザ・スミス/ゲスト:ヤマジカズヒデ、筒井朋哉
ザ・スミスの後継者はなぜ生まれない? 伝説的UKバンドの「特異な音楽性」に迫る
筒井:いや、それはないと思うんです。メッセージはちゃんと共有してたと思うんですけど、モリッシーは攻撃的で毒のあるキャラクターを死守しようとしてて、ジョニーもそれは理解していたけど、それ以上にスミスって存在が大きくなってきて。モリッシーの言動とかメッセージはもっと狭いところに向けていたと思うんですね。ヤマジさんの言う「大きいところでやる音じゃない」というのは、音以外の部分もそうだったと思うんです。
――筒井さんはまた違うタイプのスミスらしい曲として同作の「There is a Light That Never Goes Out」を挙げていますね。
筒井:ある意味でスミス・ファンに一番愛されてる曲ですよね。歌詞も曲調もすごく情緒的・感情的で。
ヤマジ:サマソニでもジョニー・マーがやってたよね。みんな一緒に歌ってたなあ。
筒井:モリッシーもジョニーも、よくライヴでやってますからね。それほど化学反応がおきた曲なんだろうなと。叙情的だし、ロマンティクだし、暗い歌詞ですけど、美しい。「That Joke isn't Funny Anymore」もそうですけど、メジャー7thコードを基調とした甘くて切ない、美しい曲に、モリッシーのあの歌詞が乗って、それが化学反応を起こしてますね。
――すごく情緒的でセンチメンタルでも、クサい表現にならないですよね。楽曲が簡潔で無駄なものがないから「語りすぎない」んでしょうね。
筒井:その通りだと思います。お涙頂戴にならない。 個対個というか、ひとりで聴きたいと思わせるものがありますね。そういう意味で聞き手と密着感、親密感が強い。
――ヴォーカリストとしてのモリッシーは個性的ではありますが、技術的にはどうなんでしょうか。
筒井:レコードを聴く限りでは、そんなに何度も歌って録ってる感じじゃないですね。バックはしっかりしてるんですけど。でもそこがいいっていうか。むしろスミスらしいんじゃないかと。ちょっと危なっかしくてもミスがあっても、歌のノリがよければスミスになる。持って生まれたあの声と作詞の能力があって。商業的なレコードって、ヴォーカルも演奏もピチッと合っててますよね。特にあの時代のビルボード・ヒットなんかは本当にそうだったから。そことは一線を画してました。
ヤマジ:それ、(録音に)時間をかけられなかったというのもあるんじゃない?(笑)
筒井:あるかも(笑)。モリッシーのソロのシングルB面とか、明らかに一回だけ歌って帰ったなって曲がけっこうあって(笑)。そういうところも…。
――じゃあ性格だ(笑)。
ヤマジ:もう歌いたくないって(笑)。
――自分の曲なのに(笑)
筒井:気まぐれで、ムラッ気で。いい意味で、完璧なピースではないっていうか。完全な球体じゃないから、爆発的にも売れなかったし…でも人間って不完全ででこぼこなものだから、そういうところが共感を呼んだんじゃないかなと思います、一部の熱狂的な人からは。そういうスタイルは絶対曲げない。いい意味でも悪い意味でも、最後まで変わらなかった。マネージメントとかレコード会社に何を言われても関係ないし、トラブルも多い。なのでメジャーにも結局行けなかったし、クイーンみたいにはなれなかった。
――アメリカでの成功を目前にしながら解散しましたからね。
筒井:チャンスはあったけど、それ以上に大事なこだわりがあったんでしょうね。
――インディペンデントの精神というか。80年代という特定の時代と切り離せないバンドだし、そういう意味では今の時代の音楽とは言えないかもしれないけど、でも100円コーナーで投げ売りされるような十把一絡げのガラクタにも絶対なってない。
筒井:そうです。そういうことだと思います。同時代のイギリスのバンドでアメリカ進出したバンドはいたけど、そこにはあえて行かなかった。
――行かなかったからこそガラクタにならず伝説として残ったという。
筒井:はい。でも一方でスミスは「Money Changes Everything」みたいな曲もやっているんです。いかにも80's風の、いやらしいメジャー向けのアレンジで、スミスらしくない。ジョニーが作ったけどモリッシーが歌うのを拒否して、インストになったという。のちにジョニーがブライアン・フェリーのアルバムに参加したとき、この曲にフェリーがヴォーカルをつけて「The Right Stuff」として発表しましたね。
――これ、まったくのブライアン・フェリーの世界ですよね。まるで彼のために書き下ろした曲みたい。
筒井:たぶんブライアン・フェリーとやったのも、ジョニーのメジャー志向のあらわれなんでしょうね。
――なるほど。そこらへんからモリッシーとジョニーの方向性の違いが顕在化して、結局この翌年の4作目『Strangeways,Here We Come』(1987)の発表直前にスミスは解散してしまいます。その後、スミスのフォロワーと言える音楽家というと、どんな人がいるんでしょうか。
ヤマジ:あまり思い浮かばないよねえ。
筒井:実はあまりいないんですよね。
ヤマジ:ヴォーカルもそうだけど、ギターもいないよね、あの流れを汲む人って。
筒井:ユーチューブにはレディオヘッドが「The Headmaster Ritual」をカヴァーしてる映像があがってますけど、彼らも特にスミス・フォロワーってわけじゃない。
筒井:要はスミスにはいろんな音楽性が混在していて、いろんなカラーがあるんだけど、モリッシーという、いい意味で引き出しの少ないヴォーカリストが歌うからスミスになるんであって、そこが真似できないってことでしょうね。
ヤマジ:スミスっていろんな人がカバーしてるけど、だいたいみんな簡素化されてるよね(笑)。ギターも難しくて真似できないし。
筒井:(笑)わかりやすくなってますよね。
――一代限りで、誰にも受け継げない名人芸みたいな感じですね。
筒井:ほんと、そんな感じ。
ヤマジ:跡継ぎがいないもんね(笑)。
――ご自分が音楽をやるにあたって、スミスの影響は?
筒井:自分がスミスをすごく熱心に聞いてたのは95~96年ぐらいまでで、その後はしばらく聞いてなかったんです。でも気持ちって一周するっていうか。僕にとっては今年(2013年)が一周して戻ってきた年だったんですよ。
ヤマジ:(スミスのコピーバンド=下北スミスの再結成、共通の友人の結婚パーティで)ライヴもやったしね。
筒井:はい(笑)、ちょっと恥ずかしいんですけど、スミスが好きでいてよかったな、と。当時の弱い自分を投影してたスミスに、ようやく向き合えるようになったというか。青春の1ページに多大な影響を与えるような音楽だったから、みんなの心に残ってるし、未だにその影響から抜け出せない。それだけの魔法があったんだなと思います。
――スミスに再結成してほしいですか。
筒井:してほしいけど、してほしくない(笑)。みんなたぶんそういうと思いますけど。
(取材・文=小野島大)
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◎筒井朋哉「Encounter was too late(Original Demo Version)」