10年以上を経て完成したSFファンタジー『ユートピア』 時間をかけるにふさわしいテーマとは?

『ユートピア』の力強いテーマ

 東京・下北沢にある映画館「トリウッド」で公開中の、SFファンタジー映画『ユートピア』は、その内容と同時に、制作の経緯も特異すぎる作品だ。

 まだ高校生のときに同級生らと一緒に、薬物やいじめ、自殺や難病などの深刻な問題に挑戦した青春映画『虹色★ロケット』(2007年)を撮りあげた伊藤峻太監督。トリウッド代表を務め、また新海誠監督ら複数の才能を発掘したプロデューサーでもある大槻貴宏の誘いによって、彼はトリウッドで上映する作品を作り始める。すでに大学生となって、はなればなれになった仲間たちは再結集し、映画づくりがふたたびスタートした。

 しかし、前作の完成度に不満を感じ、納得いく作品を作り上げようとしていた伊藤峻太監督は、シナリオをなかなか完成させられないでいた。結局、設定・シナリオに7年の歳月をかけることになってしまい、その間、映画づくりの仲間たちは大学を卒業し、就職や結婚、出産などを経て、数名を残して散り散りになったという。

 ここではそんな、10年以上の長い長い産みの苦しみを経て完成した本作『ユートピア』を紹介し、内容を掘り起こすことによって、作品づくりの厳しさや、難解な本作の全体像をつかんでいきたい。

おそろしい創作の地獄

 それにしても、なぜ10年もかかってしまったのか…。それは創作者としての、監督の“業(ごう)”という他ないだろう。自身が納得できるものでなければ、世に作品を出したくない。その想いから、いつまでも完成させられないタイプの表現者は、その実体が面に出にくいだけで、世の中にかなりの数存在する。そしてそのほとんどが、人々に認知されないまま消えてゆく。

 本作については、SFファンタジーという題材の難しさもあるだろうが、作品の準備に時間をかければかけるほど、それを中途半端なかたちで発表できなくなってしまうというジレンマが発生していたように感じられる。そうやって編まれていった、およそ一本の映画では消化しきれない、膨大で複雑な設定は、作中で使われるオリジナル言語「ユートピア語」を生み出すまでに至っていた。そういうあれこれを延々と作成していた伊藤峻太監督の日々は、まさに蟻地獄のような“創作地獄”にはまり込んでいた状況だったのではと推察される。

 一方で、創造の翼を広げて設定を考えているうちが、創作活動のなかで最も楽しい作業であることも理解できる。そんな夢の世界から抜け出し、具体的に完成に向けて動きだせば、作品の完成まで妥協の連続を強いられてしまうのである。それまでに際限なく時間をかけて、隠者のように内容を練り上げ続けることができるというのは、自主制作の利点のひとつではある。

 そんな制作姿勢は、個人作業の多いアート・アニメーションの世界では珍しくない。マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督は、『レッドタートル ある島の物語』完成までに、やはり10年の歳月を費やした。巨匠ユーリ・ノルシュテイン監督の『外套』に至っては、1980年から現在まで幾度もの中断を経て、いまだに完成していない。実写作品としては、フランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』のように、巨額の制作費をかけた撮影がなかなか終わらず、作品自体が狂気を宿したものになった例もある。しかし、それらの監督は皆、事前に伝説的な作品を作り上げ、功成り名を遂げた作家たちである。このように、常識を外れた作品づくりへの献身というのは、映像作家として自分の限界を超え新たな領域へと踏み出すためのものだ。高校を卒業したばかりで、そんな領域に飛び込もうとするのは無謀だといえるし、制作の間に何の評価も得られなかったというのは、まだ実績の少ない映像作家としては、社会的に幸せな状況であったとは言い難い。

 さて、それほどの熱量をかけて構築した設定とは何だったのだろうか。104分の尺しか持たない本作は、その設定の多くを暗示するだけにとどめている。そのことで、本作の物語はかなり難解なものになっているのも確かだ。ここからは作品を理解するために、現在発表されている監督のインタビューを基に、設定を整理していきたい。

※あくまで映画のなかの描写のみで設定を読み取りたい読者は、以下の「『ユートピア』を理解するための設定」部分を読み飛ばしてもらいたい。

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