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沖縄国際映画祭、奥山和由プロデューサーインタビュー

映画プロデューサー・奥山和由が語る深作欣二、北野武、そして日本映画の現在

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 数々の映画作品の制作に携わってきた、日本を代表するレジェンダリー・プロデューサーのひとりである奥山和由。リアルサウンド映画部では、沖縄国際映画祭取材の目玉として、エグゼクティブ・ディレクターを務め、自身の監督作『クロス』が上映される奥山氏に沖縄でインタビューを行った。映画祭について、また現在の日本の映画界について思うこと、さらに自身の監督作や北野武作品制作時の思い出などを通し、映画制作の神髄についてたっぷりと語ってもらった。(小野寺系)

実写では強烈な作品が生まれにくくなっている

ーー近年、アニメを中心に日本の映画市場が拡大していますが、こうした状況を奥山さん自身はどう捉えていますか?

奥山:『君の名は。』一発で200億じゃないですか。じゃあ『君の名は。』を抜いたらいくらなのか? そういう分析をして、初めて映画界って見えてくる。ジブリが出たときからそうだけど、「今年は最高だ」っていう実績を作っているのはアニメで、それを抜いたら前年割れしてることをほとんど誰も指摘していない。ジブリが登場して以来、日本のアニメは圧倒的な力を持ち始めた。実際、あの頃の高畑勲さんや宮崎駿さんが作る脚本は、実写より全然よくできていて、脚本の力がアニメを押し上げていった。同時に「絵」という感情に直接訴えかける力も持っていた。そこに『君の名は。』 の川村元気プロデューサーみたいな、マーケットリサーチから逆算するような人が入ってきて、ゲーム感覚で点数を稼げる映画は確かに出てくるようになったと思います。

 それは良いことなんだけれど、一方で実写では強烈な作品が生まれにくくなっている気がします。かつては実写映画でも、宮崎さんや高畑さんクラスの脚本を作れる人がいて、スタジオシステムの中で化学反応が生まれていたんです。だけど、興行成績を主体に考えるようになった映画会社がそういう安定した場を放棄した。映画って本来は多様な表現が許される媒体であるはずなんです。だから昔のATGなんかは何でもOKだったけど、そういうものが一切排除されちゃって。そのなかで、みんなが『君の名は。』という数千本に1本の宝くじを目指して作っていくのかと思うとゾッとするな。映画界がどん底のときって、いい意味でもうちょっとみんなヤクザっぽかったですよね。そのヤクザっぽさを言い換えると、自由な感じというか、人間臭い感じ。それがなくなってきたっていうのは、単純につまんないね。

ーーいまの日本映画は窮屈になってきていると。

奥山:高校生の恋愛モノを、60近いおじさんが撮っていたりするでしょう? よく考えたら変な話だなと思って(笑)。その頃の話はもういいだろう、この歳になって。等身大の、もっとズシンとくるものだって表現できるはず。まあ、そのチャンスがないってことだと思うんですけど。それに、3Dや4Dの話になると、映画に対する固定観念を捨てることが是なんだって言われたりする。そういう意味でいうと、自分がついていけなくなったのかなと思う。

 でも一方で、海外の映画祭に行ってすごい作品に出会うと、やっぱり自分は間違ってないよな、今の日本はおかしいなって感じる。だから橋口亮輔さんの『恋人たち』とか、深田晃司くんの『淵に立つ』とか、そんなところに可能性があると思うんだけど、彼らはびっくりするぐらい稼げていないじゃないですか。黒沢清さんとか行定勲さんが出てきた頃、僕は彼らが食っていけるように「シネマジャパネスク」っていうプロジェクトをやっていたんだけど、3年計画で進めていた矢先に松竹を追い出されたんですね。だけど、その少しの期間でも行定さんとかが輩出されているわけです。もしかしたら今の映画界には、人材をプロデュースする喜びを持っている人がいなくなっちゃったのかもしれません。人に対して関心が向いていないというか。もちろん、今の日本でも是枝裕和さんとか岩井俊二さんとか、リスペクトできる人はいるけれど、僕が映画を始めたときは、数字的にどん底の時代で、だけどリスペクトできる映画人はもっと山ほどいた。深作欣二が筆頭だったけど、山田洋次さん、五社英雄さん、藤田敏八さん、神代辰巳さん、みんなプライベートの生活は異常だったけれど、作るものは圧倒的だったんですよ。

「おかしなものを観たな」と思ってほしかった

ーー今回の監督作『クロス』についてお聞きしたいんですけど、釘宮慎治さんと共同監督を務めた経緯を教えてください。

奥山:理由は明確です。斎藤工くんに出てもらえることになったものの、彼が忙しかったんです。スケジュールを噛み合わせていったら、私が会議だなんだと入ってる日が多くて、ダメじゃんってことになったんですね。だけどせっかく友情出演で出てくれると言ってるんだから、なんとかしようと。そこで、僕がもともと演出力も含めて信頼してた(撮影の)釘宮慎治さんに声をかけました。ちょうど、その前に仕事をした現場で「いずれ監督をやったらいいよね」って、言っていたんです。また、『真幸くあらば』っていう映画、尾野真千子さんが主演だったんですけど、主演のオーディションと間違えて来たのが、紺野千春だったんです。彼女もいずれは主役にと思ったときに、そういえばあのときオーディションに釘宮さんもいたしなと。そういうご縁もあって、座組みが決まっていきました。釘宮さんは、僕が現場になかなか顔を出せないことを伝えたら、「じゃあ現場は自分で画を撮って来ます。もちろん奥山さんがやるところがあってもいいけど、現場はとにかくいなくても全部回るようにします」と言ってくれて、おかげで完成させることができました。

ーー監督が二人で、意思統一しながら一つのものに完成させるというのは難しそうですね。

奥山:2本ぐらい一緒にやってると、その辺はどうってことないですよ。僕も出来上がった映像を、編集によって違う意味に変えたりしています。『RAMPO』のときから監督交代とか、しょっちゅうやってますからね(笑)。ただ、例えば北野武さんみたいに、本当に自分に芯があって自分が何を描きたいっていうのがはっきりある人に関しては、それは絶対成り立たないんだけど。今回の場合、宍戸英紀っていう脚本家が城戸賞をとった脚本があったんです。なかなか映画化されないから、なんとかしてくれって彼に直接原稿を渡されたんですけれど、すごく難しい素材だなと思っていました。でも、なんとか脚本家としてデビューしたいと思ってた宍戸さんが、その登竜門である城戸賞を取れたときの喜びと、それが全く映画化されないという絶望の落差は分かる。だから彼に言ったんですよ。映画化された事実さえ残ればいいって、割り切れるかって。そしたら「十分です」って言うので、じゃあガンガン直すし、映画といえるものができるための最低限の予算に抑えるからって伝えました。

 そうなったとき、突破口はたった一つ。観た人が「おかしなものを観たな。だけどなんか気持ちの奥底に響くものがあるな」と思ってくれて、それが海外でも評価されて、みたいなことがあるといいねって。そこでぴったりの役者を探さないといけないと思ったときに、あの目の奥で何考えてるかよくわからない紺野千春っていう人を思い出したんですね。久しぶりに会ってみたら歳を重ねて、余計にミステリアスな雰囲気を醸し出していた。話していても、豆腐に手突っ込んだみたいな感覚で、返ってこないタイプというか。本当のことは一切言わない。でも、こちらがある疑いを持って何かを尋ねたときに、悪びれずサラサラっと言うんですよね。だからあるとき突然、「人殺してます」って言いだしても不思議ではない。あの特有の“匂い”は、今作に必要不可欠でした。

      

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