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小野寺系の『沈黙ーサイレンスー』評:遠藤周作とスコセッシ監督に共通するキリスト教への問い 

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 作中では、仏教にもキリスト教と似ている部分が多いと言う場面があったが、このときのキリストに言わせた考えは、日本の仏僧・親鸞(しんらん)の述べた「阿弥陀さまの願いをよくよく考えてみれば、それはすべて、この親鸞一人をお救いくださるためであった」という言葉によく似ている。親鸞は、阿弥陀如来の救済を待つ「他力本願」という、念仏を唱えることで弱い人間すべてが救われるという信仰を広め、従来の仏教勢力から断罪され、一時期、流罪となった人物だ。仏教界の異端児ともいえる親鸞は、「善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる」とも言っている。この真意とは、悪人の方が有利ということではなく、慈悲深い阿弥陀如来の本来の願いは、仏の道に外れた者や、仏の道を全うできない弱い者を見逃さず救済することにこそあるということである。逆をいえば、そのような者にこそ仏の救いが必要だというのだ。

 本作では、役人に脅されてキリスト教を何度も冒涜してしまうキチジローという存在が、その「弱者」を体現している。ロドリゴが、水に映る自分の顔をキリストと幻視する場面などが象徴するように、ロドリゴとキチジローとの関係は、キリストと、キリストを裏切り銀貨三十枚で売ってしまったユダとの関係に、何度も重ねられる。キリストの生涯についての人々の証言を記録した、複数の「福音書」のなかで、ユダは何度もなじられ、みじめな存在として、突き放して描かれている。熱心な保守的カトリック教徒であるメル・ギブソンの撮った『パッション』を観れば、そのあたりは理解できるはずだ。

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 しかし本作では、同じような罪を背負ったキチジローに、あたたかいまなざしを向けているように見える。もちろん、信仰に燃えてキリストを裏切らなかった信徒たちは宗教上、教えを全うした立派な人々だといえるだろう。そのような人々は、ある種、神によってすでに救われているという言い方もできる。その一方、ユダやキチジローのように、信仰の道から外れてしまった者を見捨てることが、果たしてキリストや神の真意なのだろうか。遠藤周作は、キリストや神が、真に尊敬するべき存在であるとすれば、そういう者をこそ救ってくれるべきだと考えた。だから絵を踏む瞬間にだけキリストが沈黙を破り、「踏むがいい」と語りかけるのである。 そして、場合によっては、神の存在を声高に叫ぶことなく「沈黙」する行為にこそ、神と人が真につながることができるという結論へと、物語はたどり着く。

 だが、この思想は、信仰を棄てなかった殉教者の権威を、棄教した人々やユダと並べることにつながる。布教を世界に広げるべく努力するカトリック教会が、キリストや神によって棄教を認めるような「沈黙」の思想を問題視したのは、ある意味では当然といえよう。それは、親鸞の教えを断罪した従来の日本の仏教勢力とも重なるだろう。遠藤周作が示したこの「反教会」的主張は、マルティン・ルターがやったような過激な「宗教改革」を、文学でやっている行為だといえるのである。マーティン・スコセッシ監督もやはり、聖書を独自に解釈した宗教映画『最後の誘惑』によって、キリストを一人の人間として描き、ユダの行為を神の意志に沿うものとして表現したことで、キリスト教の団体から抗議を受けている。従来のキリスト教の解釈に対して疑問を感じていた遠藤周作とマーティン・スコセッシの想いは、ここでつながるのだ。

 また、そのような宗教的テーマとともに、隠れキリシタンのようなマイノリティを多数が弾圧するような、当時の日本のドメスティックな状況が、現在の日本やアメリカ、世界中の排他的な動向とぴったりリンクしてしまっていることにも目を向けるべきだろう。さらに、名作映画のフィルムを復元する活動を行うほどの映画マニアであり、彼の異文化への理解につながったという、溝口健二監督の『雨月物語』を参照する小船のシーンをはじめ、牢の格子の撮り方やライティングなど、古い日本映画の風合いを、日本のスタッフも使いながら独自に再現しているところなど、同時代性や作家的成熟を含め、これまで本作を手がけることのできなかったスコセッシ監督の歳月というのは、原作でロドリゴが「私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ」と述べるように、本作を傑作にするための神の采配だったのかもしれないと思えるのである。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『沈黙-サイレンス-』
全国公開中
原作:遠藤周作『沈黙』(新潮文庫刊)
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ジェイ・コックス、マーティン・スコセッシ
撮影:ロドリゴ・プリエト
美術:ダンテ・フェレッティ
編集:セルマ・スクーンメイカー
出演:アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン、アダム・ドライバー、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、笈田ヨシ
配給:KADOKAWA
(c)2016 FM Films, LLC. All Rights Reserved.
公式サイト:http://chinmoku.jp

      

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