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イーストウッド監督の映画はなぜ“特別”か? 『ハドソン川の奇跡』に見る、余韻の豊かさ

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 あなたは、ある老舗の有名なレストランで料理を注文する。ありふれた料理だが、あまりにおいしいので、お礼を言うために料理人を呼ぶことにした。そこにやって来たのは、かなりの年配だが、背が高く眼光の鋭い無口な料理人だ。

「この料理、至って普通に見えるのに、どうしてこんなに美味しいのですか?」

「………」

 あなたが質問すると、寡黙な料理人は苦みばしった表情をするだけで、何も答えてくれない。あなたは、狐につままれた気持ちでレストランを後にしながら、ずっと食べた料理のことを考えている。

「あの料理には、一体どんな秘密があったのだろう…」

 クリント・イーストウッドは俳優としても監督としても、きわめて評価が高い映画人である。その消費のされ方や称賛のされ方は、映画の言論において、半ば宗教化されてしまっているといってもよいかもしれない。たしかに、イーストウッド監督作には素晴らしいものが多い。だが、本作『ハドソン川の奇跡』を観れば分かるように、名だたる個性的な名監督と比べ、その演出があまりにも奇をてらわず「スタンダード」の装いを持っているがゆえに、明瞭な美点を指摘しづらい、指摘したとしてもありふれたものになりがちだというのも確かだろう。だから、本作を観て劇場を出た後、まさに前述したレストランを後にするときのような気持ちになる観客が多いのではないだろうか。何がすごいのか言葉にしにくいが、ものすごく満足してしまっているのである。ここでは本作を検証しながら、その特別な充実感の秘密に迫ってみたいと思う。

 2009年の有名な航空機事故の映画化作品である『ハドソン川の奇跡』は、その一部始終を克明に再現しようとする。155人が搭乗する航空機がニューヨークの空港を離陸してすぐに、飛んでいる鳥がエンジン部に巻き込まれ、エンジンが止まってしまった。「バードストライク」によるエンジン機能の停止は、ごくまれに起こる事態であるらしい。しかし、おそろしく運の悪いことに、この日は両翼の2つのエンジンとも、それが起こってしまい、機は完全に推力を失ってしまう。機長は空港に戻る余裕がないと判断し、急遽、ニューヨークのマンハッタンに流れるハドソン川に、危険な緊急着水を試みるという決断をする。

 この事故はアメリカはもとより、日本でも大々的に報道された実話なので、その結果がどうなったかを隠す必要はないと思う。ここでの見事な判断と操縦技術による大惨事の回避は、ニューヨーク州知事によって「ハドソン川の奇跡」と称えられ、機長は一躍、英雄として人々から持てはやされることになる。

 しかしその後、機長に起こった出来事はあまり知られていない。乗客たちが助かったにも関わらず、本件について国家運輸安全委員会は、機長に対する人為的な過失への疑惑を追求していた。コンピューターによる計算や、パイロットによるフライトシミュレーターのテストでは、当時の状況下では全く問題なく空港に帰還することができたというのである。これがもし事実だとすれば、機長は英雄ではないどころか、おかしな判断で乗客の命を危険にさらした人物だということになってしまう。本作はここで、脚本や編集による構成力によって、実話を見事に緊迫感のあるサスペンス作品に仕上げている。だがこれを「非凡」とまで表現し褒めあげてしまっては、いささか「宗教的」な反応になってしまう。

 それでは、クリント・イーストウッド監督が本作を「特別」なものにしている要因とは何だったのだろうか。ここで、本作のある場面を思い出してほしい。トム・ハンクスが演じる機長と、アーロン・エッカートが演じる副機長が不時着水を成功させたあと、ハドソン川とニューヨークの街並みをしみじみと眺めながら、「ニューヨークの景色に、こんなに感動するなんて」とつぶやき、生きていることを実感するシーンだ。また、国家運輸安全委員会での審問の最中、機長は副機長と二人だけで廊下に出て、「君を誇りに思う」と伝え、自分たちの行動に確信を深めるシーンを思い返してほしい。

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 人は何か重大な経験をしたとき、その出来事を反芻し、落ち着いた場所で実感を得るものだが、それをいちいち映画のなかで何度も描くことは、ドラマを停滞させることにもつながりかねない。ハリウッド映画をはじめとする現在の娯楽作品の多くは、次々に刺激的な見せ場を用意し、観客を飽きさせない努力をしている。その結果として、例えばJ・J・エイブラムスのような、余韻を削り観客の興味を惹きつけるような展開を連続させていく監督が大きな位置を占めるということになる。だがイーストウッドは、その「余韻」を自信を持ってたっぷりと演出するのである。その姿勢は、本作で機長を褒め称える人々を少しずつ見せていくような非効率性にも表れている。

      

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