イーストウッド監督の映画はなぜ“特別”か? 『ハドソン川の奇跡』に見る、余韻の豊かさ
それでは、この種の「非効率」というのは、本当に効率的ではないのだろうか。我々が退屈なものとして捨て去ってきたもののなかに、豊かなもの、美味しいものが含まれていたのではないのか。イーストウッドが尊敬する映画監督のひとり、ジョン・フォードが、まさにこのような人間同士の信頼感や絆を情感たっぷりに、ゆっくりとした尺で描いていた。『ドノバン珊瑚礁』の時間感覚などは、もはや現代ではあり得ない境地にまで達している。それは、イーストウッドが役者として最も活躍していた時代に、彼を演出していたセルジオ・レオーネやドン・シーゲルといった名匠にも共通する感覚である。
その時代、優れた映画はむしろ一種の「ゆるやかさ」を持ち合わせていた。それぞれのシーンには、必要不可欠な時間以上の間があったり、展開を追う上で意味のない場面や、反復的な表現も比較的多かった。しかし、その一見無駄にも思える時間は、リアリティを高めたり、また物語を説明し観客をエンジョイさせるという以上の意味合いを作品に与え、何より観客に強い印象を植えつけることにつながっていたように思える。そしてイーストウッドは、映画を「そのようなもの」として学習し記憶しているのである。だからクリント・イーストウッドが、現在世界でも最高齢の監督のひとりになっているということが、現代では大きな意味を持っているはずだ。
監督作『ヒア アフター』がそうであったように、本作でも映像的なスペクタクルは終盤には用意されず、クライマックスの盛り上がりはあくまで内的なものとして、トム・ハンクスの見事な演技によって表現される。現代的な感覚では、ともするとそれは特別なものとして受け取られかねない。イーストウッドの映画の「特別さ」を「特別」足らしめているのは、イーストウッド自身ではなく、むしろそれ以外の現代的な風潮の側なのではないだろうか。それはまさに、本作における人間的な経験を重視する機長と、合理性に突き進むコンピューターとの戦いに重なって見える。
だが、イーストウッドは反時代的な態度を決め込んでいるというわけでもない。本作で委員会に責められることで、「もし違う選択をしていれば…」と悩み始める機長は、「自分の人生のすべて」だと考える操縦技術に対する自信が次第に揺らいでいく。その不安は、9.11同時多発テロの記憶とも重なる、ニューヨークのビルに航空機が激突する光景の幻視シーンによって象徴的に表される。それはとくにアメリカ人にとって、最も悪夢的なイメージである。この多くのアメリカ国民の精神的背景が、機長の内的な物語と同期していくからこそ、本作のクライマックスにはスペクタクルが発生することになる。イーストウッドは、自分を演出してきた監督たちがそうであったように、娯楽映画を通し、常に現実の社会問題をテーマに描く、紛れもない「現代の」監督でもあるのだ。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開情報
『ハドソン川の奇跡』
全国公開中
監督:クリント・イーストウッド
出演:トム・ハンクス、アーロン・エッカート、ローラ・リニー
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2016 Warner Bros. All Rights Reserved
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/hudson-kiseki/
■書籍情報
『機長、究極の決断「ハドソン川」の奇跡』
発売中
著者:C.サレンバーガー
刊行:静山社文庫