嵐・二宮和也が『母と暮せば』『赤めだか』『坊っちゃん』で示した、俳優としての真価

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(C)タナカケンイチ

 嵐・二宮和也が、2015年12月から今月にかけて、映画『母と暮せば』、スペシャルドラマ『赤めだか』と『坊っちゃん』の3作品に出演した。どの作品もキャスト、スタッフともに一流の面々が集結しており、題材もまた濃密である。ジャニーズ内ではもちろん、現在の若手俳優の中でも屈指の実力派として知られる二宮にとっても、この3作品は大きな意味を持ったのではないだろうか。そこで本稿では、3作品における二宮の役どころとその演技を考察することによって、改めて俳優としての立ち位置に迫りたい。

 昨年12月に公開された、長崎の原爆投下から3年後を舞台に母と息子の親子愛を描いた映画『母と暮せば』では、母である吉永小百合の息子役“浩二”を演じた。二宮が演じた息子は、原爆が投下された1945年8月9日に亡くなっているため、亡霊で母親にしか見えず、泣くと姿が見えなくなるという設定だった。その事実とは裏腹に、浩二はおちゃめで前向きな青年で居続けた。母親との談笑シーンでは、笑い転げる様子を、顔の表情や手を叩くのではなく、足を小刻みにバタバタさせることで表した。観客もつい笑ってしまう穏やかで明るいシーンのひとつだ。亡くなった浩二に想いを寄せ続けている恋人・町子(黒木華)の幸せを願い、自分を忘れられるよう突き放す過程も特筆したい。町子を想うとすぐに涙していた浩二だが、物語の後半では、「町子の幸せは、原爆で亡くなった全ての人の願いでもある」と真摯な表情で語り、和やかなシーンの背景にある凄惨な現実と、それでも前へ進もうという力強いメッセージを同時に表現していた。亡霊という設定上、出演シーンは母親との会話のみに限られているにも関わらず、初めから終わりまで、浩二の存在を否応無しに意識させられたのは、明るく笑い上戸な浩二の性格に寄り添いながらも、その辛く悲しい現実にも想いを馳せることができる、二宮の役者としての高い理解力があったからこそだろう。

 年末に放送されたスペシャルドラマ『赤めだか』では、落語家・立川談春が17歳で談志師匠に弟子入りし、“プロの落語家”として認められたことを表す二ツ目昇進までを演じた。生活のための新聞配達のアルバイトをしたり、きつい修行で廃業する弟子の姿を目の当たりにしたり、自分より後に入門した弟子に追い越されそうになったりと、その日々は決して楽なものではない。それでも食らいついていく様子を、二宮はあくまでコミカルに演じていた。談春のガサツな性格を外股で地面を擦るような歩き方で、若さゆえの猪突猛進な性格をスピード感のある鋭い物言いで表現していたのは、二宮ファンにとっても新鮮に映っただろう。とくに、随所で弟子たちが繰り広げる談志師匠(ビートたけし)のモノマネは、原作にはない面白さであり、二宮自身も乗って真似ているのが印象深かった。また、ラストの落語シーンは素人目に見ても迫力があり、ここでもまた役者・二宮の実力が発揮されていた。

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