なぜ韓国人は『ベテラン』に熱狂したのか? 社会問題をエンタメ化する韓国映画の特性

『ベテラン』が示す韓国映画の特殊性

韓国映画史に残る大ヒット作

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 韓国映画『ベテラン』は、一見とてもわかりやすい作品だ。正義感の強いベテラン刑事が、財閥企業の悪徳ボンボンを追い詰めていく。簡潔な勧善懲悪の構図だ。南北朝鮮のスパイの攻防を描いた前作『ベルリンファイル』で知られるリュ・スンワン監督は、今作では勧善懲悪のアクション活劇にギアチェンジした。

 直情的に正義を貫く主人公の刑事ソ・ドチョルを演じるのは、『新しき世界』や『国際市場で逢いましょう』などで日本でも注目度が増すファン・ジョンミン。対して、やることなすことすべてが横暴かつ乱暴な財閥企業の御曹司チョ・テオを演じるのは、これまで『カンチョリ』など優しい好青年の役が目立ったユ・アイン。『ベテラン』最大の見どころは、この両者が正面から激突するクライマックスにある。

 結果、韓国では驚くほどの大ヒットを記録した。観客動員は、12月上旬時点で約1341万人。これは2015年の韓国映画界でトップ、歴代でも『アバター』を抜いて3位の大ヒットだ。韓国の人口が5000万人ほどであることを考えると、いかに爆発的なヒットであるかがわかるだろう。

 なぜ韓国人は、この映画に熱狂したのか? それは、この作品のテクスト(内容)だけでなく、それを受容した韓国の社会状況(コンテクスト)を踏まえることでより見えてくる。

財閥のスキャンダルがエンタメ化する理由

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 昨今の韓国映画のトレンドは、大きく4つに分けられる。近過去劇(『国際市場で逢いましょう』など)、時代劇(原題『鳴梁』など)、南北関係映画(『ベルリンファイル』など)、そして『ベテラン』に代表される社会問題を題材とした映画だ。

 日本の社会派映画は作劇よりも主張が前面化した地味で真面目な作品が多いが、韓国のそれは違う。テーマを伝えるために、全力でエンタテイメントに仕上げることを厭わない。あるいは、エンタテイメントの題材として社会問題を扱う。市民運動で民主化を成し遂げた韓国では、個々人の社会問題への関心が高く、デモも日常茶飯事だ。よって、社会問題自体がマスに訴求する。告発と娯楽が並立するのが、韓国の社会派映画なのである。

 同時に昨年から今年にかけて、韓国では財閥企業のスキャンダルが目立った。ひとつが日本でも大きく報じられた、昨年末の大韓航空ナッツリターン事件。もうひとつが、今年夏のロッテのお家騒動だ。特に後者は『ベテラン』公開のタイミングにピッタリとハマった。まるで財閥の騒動が映画の宣伝をしたかのように。

 もちろん『ベテラン』は、このふたつの騒動以前から製作されていた。かねてから財閥が問題視されているのは、厳しい経済格差に対する強い不満があるからだ。前回の大統領選挙において、候補者がこぞってマニフェストとしたのは「経済民主化」だった。97年の国家財政危機におけるIMFの介入以降、韓国では新自由主義への移行が進んだ。そこから経済は回復したものの、大手財閥企業に富が集中し、格差が大きく拡がることとなった。

悪役が示す韓国社会の暗部

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 財閥への不満の高まりは、経済格差によるものだけではない。ナッツリターン事件のように、財閥幹部の横暴な振る舞いが反感を買ったからでもある。『ベテラン』の前半にもそうしたシーンが見られる。会社に未払いの賃金を求める中年男性の運転手に対し、テオが他の人物と殴り合いをさせ、金を渡すという展開だ。あまりにもひどいシーンだが、これは2010年に実際に起きた事件が元ネタだ。SKグループ会長のいとこが、会社前でひとりデモを行っていた運転手に対し、“殴り代”を支払って金属バットで13回も殴ったのである。『ベテラン』のテオの極端なキャラクター造形も、単なるフィクションとは言えないのだ。

 勧善懲悪を徹底することによって、『ベテラン』はひとびとの鬱憤を晴らす娯楽性を発揮するのと同時に、財閥を問題視する韓国映画界の強い告発精神を見せつけた。しかし、そこで引っかかるのは、やはりあのテオの圧倒的なふてぶてしさだ。テオは、どうしようもない悪党だ。しかも、そんなにやわじゃない。権力で弱者を圧するだけでなく、格闘技をやっているために喧嘩も強い。絶対強者なのである。その針の振り切り方は、かなり強烈だ。それゆえ、この映画では正義の刑事・ドチョルのほうが相対的に目立たない。観賞後に強く印象に残るのも、世を舐め腐ったテオのニヒルな笑みだ。

 果たしてテオが将来的に反省することはあるのか? そして、韓国の司法は彼をしっかりと裁けるのか?

 そのひとつのヒントは、前述したSK会長いとこによる暴行事件の顛末にある。一審では実刑判決は下ったが、二審では執行猶予付きの判決が出た。裁判所が刑を軽減したのは、「社会的制裁を受けた」という理由からだ。あの徹底的なテオの不敵な笑みの裏には、まだまだ根が深い韓国社会の暗部がある――。

■松谷創一郎(まつたに・そういちろう)
1974年、広島市生まれ。ライター、リサーチャー。商業誌から社会学論文、企業PR誌まで幅広く執筆し、国内外各種企業のマーケティングリサーチも手がける。得意分野は、映画やマンガ、ファッションなどカルチャー全般、流行や社会現象分析、社会調査、映画やマンガ、テレビなどコンテンツビジネス業界について。新著に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(原書房/2012年)。

■公開情報
『ベテラン』
12月12日(土)シネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国順次ロードショー
監督:リュ・スンワン『ベルリンファイル』 
出演:ファン・ジョンミン、ユ・アイン、オ・ダルス、ユ・ヘジン、キム・シフ
2015年/韓国映画/124分/シネスコ/5.1chサラウンド
配給:CJ Entertainment Japan
(c)2015 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved
公式サイト:http://veteran-movie.jp/

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