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『FOUJITA』公開記念インタビュー

オダギリジョー&中谷美紀が語る、“非”伝記映画『FOUJITA』が意図するもの

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 『死の棘』(1990年)でカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ&国際批評家連盟賞をダブル受賞するなど、海外でも高い評価を受けている小栗康平監督が、約10年ぶり(!)に撮り上げた、待望の新作映画『FOUJITA』。ここで描かれるのは、1920年代のフランス・パリと太平戦争前後の日本という、2つの異なる時代と環境を生きた画家・藤田嗣治の数奇な運命だ。リアルサウンド映画部は、おかっぱ頭に丸メガネという個性的な出で立ちで、主人公“フジタ”を熱演したオダギリジョーと、フジタの晩年を支えた5番目の妻・君代を演じた中谷美紀の2人に取材を敢行。ともに1976年生まれの同い年でありながら、面と向かって芝居を交わしたのは意外にも今回が初という2人に、美学的なタッチで知られる小栗監督の撮影現場の様子やお互いの印象、そしてある意味“芸術至上主義的な作品”となった本作の意図するところについて尋ねた。

「そこに“存在すること”が、いちばん大切だったと思います」(オダギリ)

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(c)2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド・フィルム・プロダクション

――本作に出演されるにあたって、どんな事前準備をされましたか?

オダギリ:特にないですよ、大袈裟なことは(笑)。最初に監督から、フジタのことは勉強しないでほしいって言われたんですよね。で、その言葉を真に受けて、あまり調べないように……とはいえ、やっぱり心配だから、ちょっと調べてしまったり(笑)。ただ、それを全部忘れて、現場に入ろうとは思っていました。もちろん、絵を描いたりとか、フランス語をしゃべったりっていう、現実的に乗り越えなきゃいけない課題はいくつかあったので、その練習はやりましたけど、そのぐらいですよ。

――なるほど。

オダギリ:感覚的な話になってしまいますが、結局、その現場で何が起こるかみたいなことって、行ってみないと分からないところがあるんですよね。特に、小栗監督の場合は、肌感覚でフジタを演じて欲しい、生きたフジタを見せて欲しい。そういう事を望む方だったんです。資料や情報を集めて、フジタとはどんな人間かと分析したり、頭で演じてしまうと感覚的な部分が小さくなってしまいますからね。固定観念に囚われてしまうのも怖いですし。だから、今回の作品では、1920年代のパリと戦時中の日本という、まったく雰囲気が違うふたつの世界で自分が置かれた状況に、いかに順応できるかっていう。そこに“存在すること”が、いちばん大切だったと思います。

――中谷さんは、いかがでしたか?

中谷:事前に監督からの指示も特になかったので、大して準備はしなかったのですが、フジタが晩年を過ごしたエッソンヌのアトリエがあるのですが、そちらを訪れたりですとか……あと、ランスにあるノートル=ダム・ド・ラ・ペという、フジタが最後の集大成としてフレスコ画を手掛けた教会を訪れたりしたぐらいですね。

「映画だからこそ描ける、フジタというものを作りたい」(オダギリ)

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オダギリジョー、中谷美紀

――藤田嗣治は、20年代のパリと戦時の日本という2つの文化と時代を生きた画家ですが、そんな数奇な運命を辿った“フジタ”という人物を、おふたりはどのように捉えながら今回の役どころを演じたのでしょう?

オダギリ:すごく乱暴な言い方なんですけど、僕はフジタを理解しようと思わなかったし、フジタになろうとも思ってなかったんですね。彼がどんな人で、どんなエピソードを残していて、どう思われているかということを、まったく念頭に置かなかったんです。それはそれとして、僕は小栗監督が書いた脚本のフジタを演じるだけだという気持ちでした。というのも、小栗監督が「この映画は伝記にしたくない」とおっしゃったんです。

――伝記にしたくない?

オダギリ:はい。本や資料を読んだり、ドキュメンタリーを観たりすれば、フジタを知ることはできるわけですが……それは結局フジタの行動の羅列でしかないというのか‥「映画だからこそ描ける、フジタの内面や感情を大切にしたい」というようなことを監督がおっしゃっていて。それはイコール、フジタを再現しようとは思ってないじゃないですか。だから、小栗監督のオリジナリティを持ったフジタという人物を、どう作り上げるのか。そこにこの映画の意義があると思っていたんです。

――なるほど。

オダギリ:なので、僕もフジタを真似ようというつもりがなかったんです。だから、誤解を招く言い方になりますが、結局のところ、フジタがどういう人間だったのか分からないままですし、それを掴もうとはしなかった。まったく別の感覚で演じていましたね。

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(c)2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド・フィルム・プロダクション

――とはいえ、おかっぱ頭に丸メガネ姿のオダギリさんは、我々が写真など見るフジタと瓜ふたつでした。

オダギリ:あれも最初、監督は似せなくていいって言ってたんですよ。髪型も別におかっぱである必要もないしって。ただ、あのインパクトって、どの時代の人も残っているというか、「フジタと言えば」というスタイルだと思ったので……一応、勝手にカツラと丸メガネを用意して行ったんですね。で、一回、「ちなみに、カツラとメガネを付けると、こんな感じです」って監督に見せたら、結構面白がってくれて。「じゃあ、映画の前半、パリのパートは、これでいこうか」っていうことになったんです。

――そうだったんですね。しかし、そんなフジタの五番目の妻・君代として、日本のパートから登場する中谷さんは、さらに難しい役どころだったのでは?

中谷:そうですね。実際にお会いしたわけではないので、君代さんがどんな方だったのかは分からないのですが、オダギリさん演じるフジタが、ずっとフジタでいてくださったので(笑)。もちろん、フジタという人は、美意識の大変高い方ですので、その美意識の一端を担いたいという思いはあって……とはいえ、フジタにはフジタの世界があって、実際に絵を描いているアトリエには、君代さんも入れなかったらしいんですよね。ですから、どこかその立ち入ってはいけない境界線みたいなものを感じつつ、それでもこうフジタを手のひらのうえで転がそうとして転がされているような、そんな何とも言えない関係だったんじゃないかと思って演じていましたね。

     
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