CONNECTONEレーベルヘッド 高木亮氏インタビュー「“音楽の匂いが濃い”人に集まってほしい」

CONNECTONE高木亮氏の考えるレーベルの在り方

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「レーベルはセクシーでなければいけない」

――今回は高木さんご自身のキャリアも含め、業界の動向について伺っていきたいと思います。私が高木さんと初めてお会いした90年代後半はヴァージン・レコードのご担当で、まだ洋楽も元気な時代でした。

高木:いま振り返ると、CONNECTONEのブランディングの源泉は、ヴァージンから来ている部分が大きいと思います。創業者のリチャード・ブランソンという天才がいて、ヴァージンに対してものすごいプライドを持っている。そのスピリッツを受け継いで、常に尖っていないといけない、と思ってきたんです。国際会議に出ると、真顔で「レーベルというものはセクシーでなければいけない」なんて演説する幹部もいて、それがすごくカッコよかった。だから、自分でレーベルをやるときには、そういうものを大事にしたいなと。

―― 邦楽に移られたときも、ヴァージンのあり方を意識したと。

高木:そうですね。邦楽はあらためて勉強しなければならなかったので、自分のカラーを出すにはちょっと時間がかかりましたが、僕らは音楽を発信するうえで、いちばん川上にいるわけじゃないですか。そこがホットポイントになっていないと、世の中にワクワク感が伝わるわけがない。今回の新レーベルでも、それは最も大事にしたところですね。

――その“ワクワク感”というものを、もう少し掘り下げると?

高木:アーティストもスタッフも熱くて、「お前ら、これを聴けよ!」とシンプルに断言したものが広がっていく……というのが、音楽のいちばん幸せな伝わり方だと思うんですよ。特にレコード会社は、“仕掛けて売る”ということを覚えちゃったから、熱の部分が薄れていたかもしれない。いまはそういう売り方もなかなか通用しなくなってきていて、なおさら源流が強かったり、熱かったりしないと、伝わっていかないだろうという思いはありますね。

――特に2000年代に入ってから、“源流”はメジャーレーベルだけでなく、ネットも含め点在するようになります。それに伴い、どこに熱があるのかを見定めるのが難しい状況も生じました。

高木:メジャーとは何なのか、という問いは本当に難しいですね。小さいインディーレーベルも含めて、僕個人は本当に変わらなくなっているなと思います。物理的には、全員が同じことができるようになっている。メジャーは図体がデカいぶん、資金力やスタッフ力は多少大きいと思うけれど、それがそのままメジャーのメリットとは言いがたくて。僕はインディーズでもいいかな、くらいに思っているし、先ほどから申し上げているスピリットだったり、音源のクオリティだったりがあれば、何とか世の中に発信できると考えています。

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――その中で、CONNECTONEはメジャーレーベルとしてスタートしました。スピリットやクオリティを維持しつつ、いかにビジネスとしても成立させるかという課題もあるのでは。

高木:答えになるかわからないですけど、僕がレーベルの立ち上げに際してスタッフに声をかける上で、“レコード会社の人間として優秀じゃなくてもいいや”と考えたんですよ(笑)。ある種、デタラメなヤツでいいから、本当に音楽に対するパッションやセンスを持っていることを重視したんです。協力していただく外部の方も含めて、いわば“音楽の匂いが濃い”人を集めていて。イメージとしては、音楽が本当に好きな若いヤツらが常に10人、20人とウロチョロしているサロンというか、そういう場が作れたら最高だろうなと思っています。

――そういう場を作り、発展させていくというお立場ですね。

高木:僕もいい年になってきたし、音楽業界全体にもすごく関心を持っていて。やっぱり、自分は音楽で人生を変えられたし、それが実りの多いものになっているという実感もあるんです。だから、音楽そのものだったり、音楽業界に夢を持てるような環境にはしたいですよね。その一助になりたいし、CONNECTONEがそういう音楽のメッカみたいなところを打ち出せたらいいのかなと思います。ビジネスとしては、新しい時代の正しいモデルを誰も発明できていないし、試行錯誤の連続だとは思いますけど、硬直化しているより、こういう時代のほうが面白いですね。

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――高木さんは、音楽産業にとって1950年代から2000年代くらいが幸福な時期だったと発言されていますが、それが変わりつつあると感じたのはいつごろですか?

高木:数字的には98年がピークだと言われますよね。でも、本格的に“音源が売れなくなった”と実感したのって、この3年くらいなんですよ。“ああ、本当に音楽を買わない文化ができているな”と。ただ、この50年、60年というのがバブルだったんだ、と考えたほうがヘルシーだし、そういう前提に立つと焦るようなことでもなんでもなくて。そもそも、音楽って宙を舞っている空気の振動なわけだし、それを無理やりパッケージとして固定する文化自体が、ある種フリーキーなことだったと思えば、悲観する要素はない(笑)。音楽の楽しみ方がライブに立ち返ったと考えたほうが健全かもしれないな、と思ったんです。もっと言うと、“完パケってなんだろう?”と。納期だったりバジェットだったり、リミットがあるなかでできたものが完パケで、奇跡的に100点満点以上だと思えるような原盤もあるとは思うけれど、100点をつけられる人って意外と少ないと思うんですよ。

――ちょっと心残りがあるかもしれないですね。

高木:そうなんですよ。楽曲って、5年10年かけて練り上げられていく側面もあるわけじゃないですか。そういう意味では、音源が売れなくなって、音楽の送り出し方をいろいろと考える必要性が出てきたのが、かえって面白いなと。それに、これまでの音源文化はハードに引っ張られていて、例えば“尺”の制約があったりしました。そこから自由になっていいんだし、Awesome City Clubなんかはシングルとアルバムに分けないで、ミニアルバムサイズのものを年に2枚、という形でやっていて。クラウドファンディングというまた別のコンテンツの出し方もあるし、もっとワクワクする方法を試していきたいですね。

――海外、とりわけ英語圏のマーケットへの進出については、どうお考えでしょうか。

高木:僕は前の会社でMIYAVIを一生懸命やっていたんですけど、やっぱり日本のミュージックマンとしては、海外で大儲けできるアーティストを作りたい、という思いはありますね。実際、10年前に比べてリアリティが出てきているところもあって。当時からMIYAVIも海外でコンスタントに利益を出していたし、デビュー間もないぼくりりに早くも中国からライブのオファーがあったり。うちで言ったらSANABAGUN.なんか、言葉の壁を飛び越えて、演奏力だけでアピールできるところもありそうです。ただ“英語で歌いましょう”というところではなくて、まずは日本人を熱くしなければいけないですけどね。グラミーを獲るレベルまでいくには時間も運も必要ですが、いろいろとトライはしていきたいなと。

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