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AKB48の「ミュージカル路線」はここまで進化した 舞台『マジすか学園』が示したAKB歌劇団の最新系

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香月孝史
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 TVドラマ『マジすか学園』シリーズを舞台化した『「マジすか学園」~京都・血風修学旅行~』(渋谷・AiiA Theater Tokyo)が5月19日に公演を終えた。ドラマ版の『マジすか学園』、特にシリーズ初期の作品はAKB48の新たなファン開拓の入口にもなった人気作だが、それは同作に現実の48グループが描く人間関係のダイナミズムを踏襲した設定が織り込まれていたことが要因だった。宇野常寛氏がかつて整理したように、ファンの間に浸透していたAKB48の各メンバーのキャラクターをオリジナルとして、「秋元康を中心としたプロデュースチームはその二次創作として公式製作のテレビドラマを送り出し、アイドルの身体はその二次創作的キャラクターを演じる」(宇野常寛『リトル・ピープルの時代』:幻冬舎)という構造が『マジすか学園』にはあった。今回の舞台化は、その公式による二次創作的フィクションである『マジすか学園』を舞台演劇の場で再度、アイドル自身のライブの身体的パフォーマンスとして作り直す試みということになる。

 現実(実際の48グループ)→現実を踏まえつつ構成されたフィクション→そのフィクションをオリジナルのアイドル自身によって舞台化という、複数のジャンルのコンテンツにまたがって再解釈を加え虚実を交錯させる方法は、昨年9月および今年3月に上演された舞台『AKB49』にも共通したものだ。特に際立ったキャラクターを複数生み出した『マジすか学園』についていえば、映像メディアで生み出したそのキャラクターが、舞台というアイドル自身のパーソナリティが強く滲みやすいライブの場でどのように再構築されるのかが注目された。今回の舞台で最もフィーチャーされたのは、松井玲奈演じるゲキカラである。ドラマ全シリーズを通じて屈指の人気と完成度の高さを誇るゲキカラを演じた松井は、編集のきかない舞台の場でもそのイメージを壊すことなく、ゲキカラの破綻的な性格や独特の佇まいをキープし、ポテンシャルの高さをうかがわせた。フィナーレではキャストが劇中人物かつ48グループのメンバーとしてマイクを握るが、ここでの松井は一挙手一投足に「ゲキカラ」と「松井玲奈」を二重に映すような際立った振る舞いを見せ、演者としての懐の深さを見せつけた。また、フィナーレで歌われた楽曲はAKB48「前しか向かねえ」だったが、2014年の大島優子卒業に際して制作されたこの楽曲がチョイスされることで、TVドラマにおいて大島が演じた「優子」へのゲキカラの思慕とも重なり合い、虚実を絡ませて再解釈を重ねていくような、48グループのフィクション作品の効果がここにもあらわれていた。

 いま、「前しか向かねえ」について言及したが、48グループの手がける演劇は、グループがこれまで発表してきた楽曲を随所で活用するミュージカルとしての側面を持つ。いうまでもなくAKB48グループは、各グループのシングル曲とカップリング曲、それに劇場公演曲と、膨大な楽曲アーカイブを持ち、なおかつその総数は毎年定期的にシングルがリリースされることで、ハイスピードで増えていく。舞台『マジすか学園』『AKB49』は、それら48楽曲を駆使して制作されている。大きなヒットを記録してきたシングル曲にせよ、今回の『マジすか学園』でいえば「おしべとめしべと夜の蝶々」のように継承されてきた公演曲、あるいは現在の新進メンバーによって勢いと不穏さが表現されたアルバム曲「Birth」にせよ、舞台の物語に合わせて適用されることで新たな解釈を施され、また楽曲に合わせてシーンがつくられることで既存曲のイメージも豊かなものになる(とりわけ「Birth」は、小嶋真子と同曲歌唱メンバーでもある大和田南那のアクションシーンに用いられ、潜在能力の高い若手の不敵さを象徴する効果をあげていた)。48グループの積み上げてきた楽曲群の表現を広げる手段としても、ミュージカル公演は有効なものになっている。

     
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