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柴 那典「フェス文化論」第10回(インタビュー後編)

「挑戦の結果を5年以内に出したい」鹿野 淳が語る、ロックフェスの現状と未来

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 5月3日〜5日、さいたまスーパーアリーナにて開催されるロックフェスティバル『VIVA LA ROCK』。同フェスのプロデューサー、鹿野 淳氏へのインタビューを前後編にわたってお届けする。前編【VIVA LA ROCKプロデューサー鹿野 淳が語る、フェス2年目の挑戦「フリーエリアをなぜ増強したか」】では2年目を迎えたフェスの変化やラインナップについて話を訊いた。後編ではフェス市場が拡大し続けている2015年の音楽シーンの状況、その中でVIVA LA ROCKが目指す方向性について語ってもらった。(柴 那典)

「今の時代には楽に探せるところに潜っている音楽が沢山ある」

――ここ数年のフェスと音楽シーンを巡る状況については、鹿野さんはどう考えていますか?

鹿野:フェスというものは、数年前から「そろそろ淘汰される」「ブームが終わる」と言われながらも、実態的にはいまだに拡大を続けているマーケットです。その一方で、フェスという場から生まれてきた音楽のジャンルや潮流は、そろそろ変わっていくんじゃないかと思います。その代表的なものは「四つ打ちロック」と言われる、踊るというよりは盛り上がるための均一的なビートによるインパクトの強い音楽のブームがある。

――ここ1〜2年でシーンの潮流として取り沙汰されることが多くなったスタイルですね。

鹿野:僕はそれをネガティブなものだと思っていませんし、ここ最近ではKANA-BOONやゲスの極み乙女。のような素晴らしいバンドが出てきて、『MUSICA』という雑誌も新しい読者を獲得したということもあります。ただ、四つ打ちロックのブームというものがこのまま拡大していく可能性は少ないんじゃないかと思ってるんです。

――それは何故でしょうか?

鹿野:何故かというと、90年代に「ビジュアル系」と言われていた人たちは、そう呼ばれることに物凄くネガティブな思いとコンプレックスを抱えていた。それと同じように、今「四つ打ちロック」と括られているバンド自身が、その括られ方にネガティブな気持ちを抱えているからなんですね。それをやってる当人たちが面白くないのであれば、そんなシーンは変わっていくでしょう。つまり、フェスというもの自体はこれからも音楽マーケットにおいて重要なものであり続ける。しかし、フェスの中心でブームになっている音楽は、この先にフェードアウトしていくか、静かなる定着をしていくだろうと思っている。そうすると、VIVA LA ROCKでは、この先にフェスという現場でどういう音楽が鳴っていくべきなのかをちゃんと試行錯誤をしながら打ち出していかなくてはいけない。今回のブッキングでは自分なりにそういうところを入れたつもりです。

ーー新しいサウンドや音楽性のバンドをフェスという場所で見せようという意志がある。

鹿野:簡単に言うと、フェスというのは音楽の展示場なんです。いわば音楽の砂場である。そこにはいろいろなものが埋まっていて、いろんなものが掘り出せる。そして、その喩えで言うなら「四つ打ちロック」というものは、すでに砂場の表面にあるものなんですね。それだけでなく、今の時代には楽に探せるところに潜っている音楽が沢山ある。例えば「シティ・ポップ」という言葉で、東京発の情報性と感度の高い音楽として評されているバンドがいる。

――今年の出演陣ではceroやAwesome City Club、森は生きている、Shiggy Jr.、Yogee New Wavesあたりですね。

鹿野:実際、そのシーンの中には沢山の才能がある人がいると思っています。その人たちは今のフェスの現場には、ビートやスピード感の速さという意味では必ずしも相性が良いとは言えない。しかし、これまでもロックミュージックは時代の中で様々な変化を起こして、新しくなってきた。だからこそ、今の時代にそういうことを自然な感覚でやっているアーティストにも光を当てたい。そういうアーティストによって新しいロックフェスの像を掲げたいということは、自覚的に考えています。

――VIVA LA ROCKのラインナップはバンドが中心で、「ロックフェス」というアイデンティティを強く掲げています。そこについては、どういう意識が働いているんでしょうか。

鹿野:VIVA LA ROCKは、ロックというマーケットを再構築したいし、あるのかないのかわからないと言われているそのシーンを活性化したい、という気持ちを明確に持っています。僕が思うのは、音楽フェスティバルは5年くらい前まで「音楽を好きな人が集まる場」でよかったと思います。「自分は音楽を好きだ」という自覚を明確に持っている人たちが沢山いて、彼らが集まることによってマーケットができるのが、音楽フェスティバルという場でした。しかし、その状況が大きく変わった。

――2010年代になってからのことですね。どう変わってきたんでしょう?

鹿野:音楽フェスティバルは音楽を好きな人たちを生み出さなければいけなくなりました。それくらい「自分は音楽を好きだ」と明確に自覚している人が減っていった。しかし音楽そのものは日常的により拡散されている。だから、自分が音楽というカルチャーを好きであることをプレゼンテーションできる場所がなくては、音楽は死なないのに音楽マーケットは死ぬのではないか、という危機感がある。それが今の時代だと思っています。

――フェスティバルに音楽ファンを増やす役割が課せられるようになった。

鹿野:「音楽好きを生む場所としての音楽フェスティバル」にはいろいろな切り口があると思います。例えばアイドルを好きになって、そこから音楽をマニアックに捉えるようになってロックやポップスにたどり着く、というやり方もあるでしょう。しかし、僕は「音楽を好き」ということが明確に示しやすい、つまり音楽に対してマニアックな感性を持つ人たちが作り手であり演じ手であるロックというシーンに対してきちんとこだわることが、「音楽を好きだ」と自覚する人を増やしていくひとつの大きな手段になるんじゃないか、と信じているんです。それが、VIVA LA ROCKがロックというマーケットとロックフェスであるということにこだわるフェスであることの一つの裏付けだったりします。

     
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