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映画『あっちゃん』公開記念鼎談

ニューロティカ・あっちゃん、元メンバーと語るバンド30年のウラ話 「修豚との共演は5年くらい断っていた」

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左から修豚、アツシ、ターシ

 2014年に結成30周年を迎えたパンクロックバンド・ニューロティカのフロントマンであり唯一のオリジナルメンバー、あっちゃんことイノウエアツシ(ボーカル/50歳)が主演を務めるドキュメンタリー映画『あっちゃん』が4月18日より公開される。同作は、1984年の結成から30年に及ぶバンドの歴史を追いながら、80年代~90年代初頭のバンドブーム時代を駆け抜けたニューロティカを通して当時のバンドが置かれた状況や、当事者たちが考えていたことなどを浮き彫りにしていくという内容で、筋肉少女帯の大槻ケンヂをはじめ、多くのミュージシャンたちが登場している。(参考:ニューロティカあっちゃん、メイク下の素顔とは? ドキュメンタリー映画が描く、愛と笑いのバンド人生)今回、主演のあっちゃんと、ニューロティカのオリジナルメンバーだった修豚(30%LESS FAT)、結成前より2人と交流のあるターシ(LONESOME DOVE WOODROWS)を迎えて鼎談が実現。映画公開に先がけ、バンドの結成秘話や、メンバー脱退の際の心境などについて、ざっくばらんに語り合ってもらった。聞き手は、FORWARDのボーカリストであり、彼らとは旧知の仲のISHIYA氏。(編集部)

ターシ「音楽が先じゃなくて、友達になるのが先だった」

ーーあっちゃんと修豚は同級生で、最初は2人でニューロティカを結成したんだよね?

アツシ:中学、高校と同級生。

修豚:最初に出会ったのは中学のとき。松山千春好きが高じてロック好きになって、文化祭でARBのコピーバンドをやった。あっちゃんは楽器ができなかったからボーカルをやってもらうしか無くて。俺はギターだったから。

ーー修豚がつくったバンドなの?

修豚:まぁ、そう。俺は軽音楽部で、あっちゃんは軽音楽部じゃなくて何部だっけ?

アツシ:野球部。高校のときはやってないけど。

ーーターシは2人の後輩だよね。いつ頃から仲良くなったの?

ターシ:俺は最初、我殺のメンバーと仲良くなって、我殺がいる学校の文化祭とかに遊びに行くようになって、その先輩が井上さん(あっちゃん)とか宮原さん(修豚)だった。その頃はまだニューロティカができる前で、吉祥寺の曼荼羅で昼間にライブやっていて、そういうのを観に行ってた。

修豚:ルースターズのコピーバンドとかさ。昼間ライブやって、夕方から飲み会な。

ターシ:そうそうそう。井上さん補導されて、ひとりだけ移動交番に(笑)。

ーーターシはハイドラやってたじゃん。

ターシ:ニューロティカが出来て、我殺がADKレコードからオムニバスのレコード出し始めて、「お前達もバンドやってるならみんなで一緒にやろうか」ってことになった。それでニューロティカと我殺とハイドラで「ネオファミリーレコード」っていうのをやり始めた。

アツシ:ハイドラの1stもネオファミリーだよ。我殺が出せるんだったら俺達も出せるだろうってTAMさん(ADKレコード)にお願いしたら「今忙しいからADKからは出せないけど、プロデュースはするよ」ってソノシートが出て。それでネオファミリーが出来て、それじゃあ我殺もネオファミリーで出して、ハイドラも出してっていう流れじゃないかな。

ーー何でネオファミリーをやることになったのかな? インディーズブームの最初の頃だよね? まだインディーズって言葉も無かった時代だけど。

アツシ:RBFとかADKとか色んなレーベルがあって、俺達もできるんじゃないか?って感じだったんじゃないのかな。だけど、俺達の1stソノシートは後のAAレコードの社長になった、当時オールディーズの宮本さんが金を出してくれた。

修豚:何で金出してくれたんだろうね? 契約しろとか何も無かったよね。オールディーズによく通ってたから、それもあったのかな。

ターシ:ネオファミリーはもともと、レーベルをやるために集まったんじゃ無いから、付き合い自体はずーっとある。もう卒業したいんだけど(笑)。

ーーネオファミリー大作戦みたいなシリーズGIGもやっていたから、お客さん達や周りの人間はレーベルとして見ていたと思うんだけど、実際はどういう意識でやっていたの?

アツシ:俺達はただ流行に乗ったっていう感じ(笑)。

修豚:バンドがみんな個々に動員があったから、そう見られたのかもしれないね。

ターシ:やってる本人達はいわゆるレーベルっていう感じでは無かったんだけど、扱われ方が特殊だったよね。

ーーたしかに特殊だったし、すごく楽しそうだった。レーベルの枠じゃないこともやっているし、でもそれぞれバンドもやっている。かなりのムーブメントを作ったと思う。

ターシ:運動会やったりバーベキューやったりね(笑)。音楽が先じゃなくて、友達になるのが先だったから、そういう風になったんだと思う。

修豚「メジャーの頃はネオファミリーと距離があった」

ーーニューロティカがメジャーに行くまでネオファミリーだったの?

修豚:キャプテンレコードでもやってた。

ターシ:キャプテンが入って来てから仕切りが大人の人になってきて。やっぱりだんだん変わってはいった。

修豚:メジャーに行くまでは仲間同士でいっしょに運送屋でバイトしていたけど、メジャーが決まってからはそこも辞めたしね。

ーーその辺のことは映画『あっちゃん』の中で言ってるね。修豚は観てないからわかんないだろうけど(笑)。それでみんなニューロティカを抜けるじゃない? そのときターシは昔からの仲間としてどう思った?

ターシ:俺ね、本当のこと言うと、メジャーの時のニューロティカって興味無かったの。メジャーになってからあんまり観に行ったりしてなかったんだよ。映画でもちょっと言ったんだけど、なんか居心地悪くてさ。楽屋でも追い出されたり、打ち上げ行っても大人の人達が仕切りになって、俺達みたいな後輩はその人達にとっては「誰こいつ?」みたいな感じだったから。でも、ずっと続いていくものだとは思ってたから、宮原さんが辞めるっていうのを人づてに聞いたときは「何言ってんだろ? あんたが作ったんじゃん!」って思ったよ。でも、よくよく話を聞いたら身体のこととかが理由だったんだよね。そういうのもあって、宮原さん達が辞めるときのライブに行ったのが、久しぶりのニューロティカのライブだった。それなりにショックだったね。

修豚:メジャーの頃って、やっぱりネオファミリーとは距離があったもんね。そう思ってたもん、俺。1回事務所の社長に、ネオファミリーとは離れたくないって言ったんだけど、俺達も大人の世界に行っちゃってるからそっちの大人の話もわかるし、昔からの仲間とは離れたくないしって、喧々諤々となったことはあるけどね。

ターシ:若かったしね。なんかそういう大人の世界が気に入らなくて「何言ってんだよ」って、だんだん足が遠のいていって。今ならわかるけどさ。

アツシ:みんながそんな話をしてるときに、俺はアイドルと付き合ってたのかな?(笑)

修豚:B級のな!(全員爆笑)こいつはね、違うんだよ。

ターシ:そう、ちょっとズレてるのこの人は(笑)。そういうこと考えないんだよね。

修豚:そういう話したことないもんな。SHONとは話したりするんだけど、あっちゃんはそういう話の時いないもんな。

ターシ:なんか次元の違うところにいるんだよね。

修豚:そこは良いんだか悪いんだかわからないけれど、その場には大体いない。でも意見はいつも「いいよ」なんだよね。

アツシ:いいよ。何でもいいよ。(全員爆笑)意見を言われるだけ素晴らしいじゃないですか。色んな人がニューロティカに対していろんな意見を言ってくれるんだから「いいよ、いいよ!」って思う。

修豚:なるほど、そういう意味での「いいよ」か。今はわかるけど、若いうちはわかんなかったかな。お前は昔から大人だったんだね。

アツシ:仕事があったんだよー。メンバー4人と事務所スタッフ2人の生活があったんだよー。

修豚:そういう生活が見えてなかったんだよな。俺達は若いから、友達に気持ちが行っちゃうから。

ターシ:俺達なんて本当にガキだったから「何だよそんなの。メジャーになったからって急に何だよ」ってさ。

アツシ:えー! 全然子供だったんだねそれじゃ。逆にもうターシなんかそんなのわかってるんだと思ってたのに。

修豚:あっちゃんは大人だよ、大人(笑)。

ターシ:「住む世界が変わっちゃったんだな」っていう漠然とした気持ちはあったよ。この人達はもう違うんだって。

アツシ:だからそういう風に考えている時点で、君達はインディーズ(笑)。

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