>  > TOWA TEIが語るソロ20年史とその原点

ソロ活動20周年・ベストアルバム3部作インタビュー(前編)

TOWA TEIが語るソロ活動20年の原点「毎晩DJが作る時間のカーブを自分も描きたいと思った」

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 TOWA TEIが、ソロ活動20周年を記念したリミックスベストアルバム『94-14 REMIX』を7月23日に、20年間に発表してきた楽曲の中からセレクトしたオリジナルソングのベストアルバム『94-14』と、カヴァーソングのベストアルバム『94-14 COVERS』を9月3日にリリースした。今回リアルサウンドでは、他に例を見ないTOWA TEIの音楽キャリアをたどるロング・インタビューを実施。前編では、NYに渡ってDJ活動をはじめた経緯や、ザ・ジャングル・ブラザーズらとの交遊禄、さらにはディー・ライトで世界的なブレイクを経験した当時のウラ話など、ソロ活動以前のエピソードもたっぷりと語ってもらった。聞き手は小野島 大氏。(編集部)


「やっぱりプロダクション寄りの人間なんですかね」

――今、テイさんは高橋幸宏さんとYukihiro Takahashi & METAFIVEというバンドをやってらしゃいますが、これ、テイさんにとってはディー・ライト以来のバンドってことになるんですよね。ライブにも積極的に取り組んでおられます。

テイ・トウワ:幸宏さんに頼まれたんですよ。自分のリーダー曲で2曲ほど幸宏さんをフィーチャーさせていただいたので、断る理由がなくて(笑)。コンサートも、自分のでさえ100%やらないですから。嫌いなんで。ライブの仕込みとか練習とか大嫌いなんですよ。

――そういえばソロになってからライブは一回もやられてないですよね。

テイ・トウワ:やってないですよ。ディー・ライトも、みんなが全盛期と思ってる時に辞めちゃったんで。その時は事故ったので、それを理由に辞められたんですけど。なんというかな…筋肉というかトレーニングというか再現性とか、そういうものにまったく興味がない。だからシーケンサー使ってるし(笑)。やっぱりプロダクション寄りの人間なんですかね。作ったあとリミックスしたりジャケ考えたりするのが好きというか。

――ライブをやる人は、ライブはライブならではの醍醐味があると言いますけど。

テイ・トウワ:こないだワールド・ハピネスのライブが大雨で大変だったんですよ。幸宏さんがすごい晴れ男で、僕らの時は止んだんですけど、風が凄くて、Macの蓋が閉まっちゃうぐらい。ビニールを機材の上にかぶせて、手をビニールの中に入れて操作して。なんとかなったね、という話を二次会でしていたら、まりん(砂原良徳)がポツンと“バンドだとさあ、みんなで共有できるじゃん、大変だったことも良かったことも”って言ったんですよ。ああ、ずいぶん忘れてた感覚だなあ、と思って。DJは良かったにせよ悪かったにせよ、分かち合えないですからね。呼んでくれたイベンターさんと”盛り上がったねー”みたいなのはあるかもしれないけど、ひとりでやるピン芸人なんで。みんな(META FIVEのメンバー)濃いバンドにいたじゃないですか(笑)。だからバンドの良さはわかるんだろうけど、僕はほんとに(バンドでは)やることないですし。幸宏さんに最初に声をかけてもらって”いやいやいや、やったことないですし”って断ろうと思ったんですけど、一回だけでも、という話だったので、じゃあVJをやろうかと3曲だけやって、あとはやることをリハ中に見つけていくって感じだったんですけど…もちろん練習すれば弾けますけどね、自分の関わった曲とかYMOの曲とかのなにかしらは。でも別にそれはシーケンサーでもいいし、とか思っちゃうし。みんなキーボード弾けるし、自分の立ち位置がよくわからないなと思ってたんですけど、結果的には居場所ができたというか。ツマミ係というかね(笑)。スイッチとかフィルターとかの担当をやってますね(笑)。

――お客さんの反応とかどうなんですか。

テイ・トウワ:うん、それはそれなりに。DJとはまた違うものがありますよね。

――じゃあ今度ご自分の…

テイ・トウワ:(遮って)やらないです(笑)。

――あ、やらないですか(笑)。

テイ・トウワ:あははは(笑)。細野(晴臣)さんに去年言われたんですよ。”そうか、来年は20周年か。もうテイ君も50歳か。コンサートやろうよ。なんでもやるから。ベース弾くよ”って言ってくださって。”ええーっ!”って。ちょうどそこに小山田(圭吾)君もいて、”僕ギター弾きますよ”ってくれて。すげえバンドになるなあ、と思ったんですけど、その言葉だけで有難く…。

――いやいや、それはもったいなさすぎです(笑)。そんな豪華なメンツが自分から言ってくるなんて…

テイ・トウワ:社交辞令じゃないですか?(笑)

――いやいやいや…じゃあご自分としてはスタジオの中で音をいじっている方がいい、と。

テイ・トウワ:そうですねえ…ちまちまコラージュやってるとかね。そもそも団体行動があまり好きじゃないし…やはりディー・ライトの時のトラウマがね…。それこそ自分たちの作った曲を世界中の人たちが大合唱してくれて、イントロかけただけでわーっとなるっていう感覚…あの時初めて味わって、あれは中毒になるだろうなとは思いましたけど…。

――でもディー・ライトも、ある時期までは楽しいと思ってたんですよね?

テイ・トウワ:いやあ…一番最初のころ、地元のバンドとしてパーティーをやったりとか、それぐらいの時はよかったですけど、そこからワーナー(エレクトラ)と契約して、いきなりアメリカ・ツアーだヨーロッパ・ツアーだってなってからは、毎晩各地へ移動して練習して本番やって、また翌朝チェックアウトして移動して…という、それがもうトラウマになっちゃったんですよね。

――アメリカ・ツアーが過酷だって話はいろんな人から聞きますね。

テイ・トウワ:過酷ですよ~食い物が一番つらいですね。僕、パン食が3回続けられない人なんで(笑)。テキサスの田舎とか行くとホテルのルームメニューぐらいしか食べるものがなくて、それも”ビーフorチキンorサーモン”ぐらい選択肢がない。それも全部同じバター味ですよ(笑)。

――ディー・ライトで世界デビューして大ヒット、というのはいわば、メジャー契約をする多くのミュージシャンが最終的に目指すような大目標じゃないですか。でもそれをテイさんはミュージシャンとしての最初のキャリアでいきなり達成してしまったわけですよね。

テイ・トウワ:そうなんですよね。普通のバンドならだんだん会場が大きくなって、”よし次は武道館だ!”みたいな、そういうグラデーションがあるけど、僕らは90年にデビューしていきなり行っちゃいましたからね。それでも87年の終わりからやってて、88年89年とDJで食いつなぎながら、月に1回か2回はいろんなパーティーに呼ばれて演奏して、だんだん町の人気バンドになって、何万人も来るような地元の大きなゲイのイベントでトリをやって…みたいな経緯は辿ってますけど。

――そのころのニューヨークはハウスの勃興期ですね。

テイ・トウワ:そうです。87年にフランキー(・ナックルズ)がシカゴから来て。ヒップホップも盛り上がってましたよね。僕は88年にジャンブラ(ザ・ジャングル・ブラザーズ)のファースト(『Straight out the Jungle』)を聞いて、音悪いけどかっこいいなあと思って。僕がDJをやってるパーティーで初めて会って名刺を渡して。次の日にスタジオに遊びに行ったんです。ちょうどセカンド・アルバム(『Done by the Forces of Nature』89年)を作り始めたころで。へったくそな打ち込みをずっと聞かされて。今作ってるネタも全部あるしサンプラーもあるからウチにおいでよ、タダでできるよって話を彼らにして。それから仲良くなって。なのでジャンブラのアルバムの半分以上はウチで打ち込んでますね。だから(僕のやっていたのは)マニピュレーターですよ。キックはこういうパターンにしたら、みたいな話をして、打ち込んであげたりね。そうしたら”話は聞いてるよ、今度デビューするア・トライブ・コールド・クエストなんだけど”って、Qティップを紹介されて、“あ、あのヘンな声の人だ”って(笑)。それからQティップがレコード抱えてウチに来るようになって、彼らのファースト(『People's Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』)をお手伝いして。

――うーむ。すごい話ですねえ…

テイ・トウワ:ちょうどデラ(デ・ラ・ソウル)が89年にクロスオーバーなヒットを飛ばしてた時期で。“ジャンブラを手伝ってる人でしょ”って声かけられて。ディー・ライトとしてもローカル番組で(デラと)一緒になったりしてね。UKの方では屋敷豪太さんが関わったーーその頃はまだ面識なかったですけどーーソウルIIソウルが出てきて。

――いろんな人たちが世界中から同時多発的に出てきて大きな動きになりつつあった。

テイ・トウワ:だから、ウチらもチャンスはあるだろうなって確信はしてました。ただポップ・チャートで各国で1位になるとは思ってなかった。88年には野外フェスで”Grooves in the Heart”とかかけて大盛り上がりしてたんで、ダンス・チャートでは1位になるだろうとは思ってましたけどね。

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