西寺郷太『TEMPLE ST.』全曲解説インタビュー(前編)
「仏教と洋楽の“土着化”は似ている」お寺育ちの西寺郷太が初ソロで挑戦したこと
各方面でマルチな才能を発揮し続けるNONA REEVESの西寺郷太が初のソロ・アルバム『TEMPLE ST.』をリリースした。バンドのフロントマンとしてはもちろん、音楽プロデューサーとして、ソングライターとして、マイケル・ジャクソン研究家として、コラムニストとして、ラジオ・パーソナリティとして――多岐に渡る活動を展開する業界きってのハーデスト・ワーキング・マン=西寺の多忙の合間を縫って行われた今回の独占取材では、西寺本人によるアルバムの全曲解説を企画。
制作に際してインスパイアされた楽曲を挙げてもらいながら、『TEMPLE ST.』を紐解いていく約1万5,000字に及ぶロング・インタビューは、きっと西寺の“ポップ・マエストロ”たるゆえんの証明にもなるだろう。
自分のいちばんのアイデンティティは寺の子供として生まれたこと
――実際はそんなことはないのかもしれないですけど、最初に聴いたときはさらっとつくった印象を受けたんです。さらっとつくったがゆえのかっこよさだったり、聴きやすさがあるアルバムだなって。
西寺:アルバムの制作に取りかかったのは去年の夏ごろなんですけど、ちょうどほかの仕事が忙しいときで……bump.y(アルバム『pinpoint』トータル・プロデュース)、Negicco(シングル『ときめきのヘッドライナー』プロデュース)、岡村靖幸さん(シングル『ビバナミダ』共作詞)、Small Boys(堂島孝平とのコンビによるアイドル・ユニット。セカンド・アルバム『Small Boys II』を制作)……夏から冬にかけてはライブをやることも多くて、土日に地方に行って弾き語りをやったりだとか。だから今回のソロは時間のないなかでつくったんですけど、スケジュールを見てソロのレコーディングが入ってる日はすごくうれしくて。原稿を書くことも多かったですしね。
でも、そういうなかでソロ・アルバムをつくったのは僕にとって良かったような気がしています。なんか、いままでは音楽に対する愛情や執念みたいなものがありすぎたというか。それは良いことでもあるし、だからこそ伝わる人には伝わった部分もあるとは思ってますけどね。
たとえとしてはちょっと大きな話になっちゃいますけど、ボブ・ディランはアルバムつくってもじっくり聴かないらしいんですよ。制作のときに集中してつくり込んで、完成して自分の手から離れたものはもう人のものであると。その感覚っていままではよくわからなくて、適当につくってるだけなんじゃないか? って思いがちだったんですけど、でもボブ・ディランの作品のすごさって、そうやって聴いた人が勝手にストーリーをつくっていける余地みたいなものをちゃんと残してるんですよね。ボブ・ディランの曲ってカヴァーのほうが良かったりすることがよくあるけど、それはそういうことだと思うんですよ。
――確かに、ディランの曲はそういうケースがよくあります。
西寺:いまようやく僕も、トップスピードのなかでたくさん仕事をしてきたことで取捨選択がはっきりしてきて。たぶん“このアルバムではこういうところを見せたい”という焦点が明確になってきたことがすっきり聴けることにつながってるんだと思います。あとは並行してNONA REEVESのニュー・アルバムもつくっていて、曲をつくっているなかでNONA向きのものはそっちに回したりしていたので、純然たるソロ・アルバムとして割り切ってつくれたのは大きかったかもしれないですね。
――カジュアルにつくった作品ならではの心地よさがあるんですよね。実際、特にコンセプトも決めずにつくっていったそうで。
西寺:ひとつだけあるとしたら、運やタイミングを重視したこと。偶然電話がかかってきた人に頼むとか、ティト(ジャクソン)が来日してたからギター弾いてほしいってお願いしたりだとか。流れに身を任せていたようなところはあります。
――アルバム・タイトルの『TEMPLE ST.』は、郷太くんの実家がお寺であることにちなんでいるんですよね。
西寺:自分のいちばんのアイデンティティは寺の子供として生まれたことだと思ってるんですよ。仏教はインドや中国の教えをどうやって日本のなかに入れ込んでいくかを考えてきた歴史だったわけで、高度文明から得た新しいものを日本の土着性のなかに落とし込むことは、寺の考え方の根本にあるんですよね。それって洋楽に心酔して育った僕が日本の音楽シーンでやってきたことと一緒なんじゃないかって思ったりもして、“TEMPLE”という言葉は自分を示すひとつのアイデンティティとして相応しいかな、って思えてきたんです。
――まさに今回のアルバムでは“TEMPLE”という言葉がひとつのシンボルになっていると思っていて、ほのかに漂うエキゾチシズムやオリエンタリズムがアルバムの大きな魅力になっていますよね。英語詞の曲が8曲中5曲を占めていることも関係しているのかもしれないですけど、なんとも不思議な無国籍感があります。
西寺:実は歌詞カードもそういうデザインにしているんですけど、よくハワイなんかに行くと中国語みたいな明朝体を使っている日本食レストランってあるじゃないですか? 日本人の感性では絶対に選ばないあの字体の感じっていいなって思っていて。いまはインターネットの時代で誰がどこで何を聴いているかもわからないし、狙いとしてユニバーサルな作品は目指しましたね。例えば、いままでは日本のマーケットで売るなら日本語で歌わないとって思ってましたけど、そうとも限らないのかなって考え直すようになってきて。そこの常識を一回外してみようとしてつくったのが今回のソロ・アルバムです。