ベネット・フォディを中心に見るインディーゲーム小史 第一回
“壺おじ”を生んだ「ベネット・フォディ」とは何者か 個人開発インディーゲームの歴史を変えた重要人物の足跡を辿る

Flashゲームの時代 ノスタルジーが多すぎる

アメリカ移住を間近に控えた2007年7月27日、フォディはBenzidoというハンドルネームのもと、第一作目となるFlashゲーム『Too Many Ninjas』の試作品を公開した。
画面中央のサムライを操り、四方八方から襲いかかってくるニンジャどもをパリィによって防御しつつ退けていくアクションゲームだ。
古めかしいピクセルアートは、もちろんフォディが幼少に遊んだ『ZX Spectrum』へのオマージュ。コンセプトとしては、8ビットコンピュータ時代の巨匠であるアーチャー・マクリーン、特に1988年の『International Karate+』と『Last Ninja 2: Back with a Vengeance』(1987)へのオマージュが捧げられている。
この作品は、後年のフォディ作品に比べると比較的「おとなしい」つくりではある。操作自体にひねくれたむずかしさはない。が、高得点を狙うにはそれなりの習熟が要求される。高難度のアーケードゲームとその移植版で育ったフォディにとって、シンプルでワンプレイの短いFlashゲームに、かつてのアーケードゲームのスタイルを持ちこむのは自然ななりゆきにおもわれた。
彼は「私は右も左もわからない駆け出しのゲーム開発者で、これはその最初の作品です」という控えめなコメントを添え、TIGSフォーラムに投稿を行った。一時間も経たないうちにコメントがついた。管理人であるデレク・ユウからだ。
「ははは、こういうの僕好きだよ! グラがちょっとゲロっぽい(もっと感じのいい言い方をおもいつかなくてごめん)けど、ほんとにすごく気に入ってる。特に主人公のアニメーションがいいね!」
そして、ユウによるいくつかのアドバイスに続いて、別の開発者からのコメントもついた。
「わあ、このゲームのルック、めちゃいいね。キミがぼくのゲームについて言ってくれたことをそのまま返してもあてはまるよ」
このコメントから遡ること数時間前、フォディは『Too Many Ninjas』リリース告知投稿の直後に、その開発者の作っていたゲームのスレッドに投稿していた。
そのゲームもまた『Too Many Ninjas』同様にお披露目されたばかりだった。とはいえ、フォディのようにプレイアブルな状態で発表されたのではない。一枚のスクリーンショットとともに「開発中」であることを告知しているだけだ。
フォディはそのスクショに魅了され、その興奮を伝えるためにTIGSのアカウントを作ったとさえ告白した。
「これは昔のピクセルスタイルのロマン化されたバージョンだ。もし『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』がこのスタイルで作られていたら、と想像してみてほしい! なぜだかわからないけれど、最近、私はインディーゲームにしか興奮できなくなっている。今のインディーシーンには、市販ゲームには欠けている何かがあるんだ(ほんの一部の例外を除いて)。あたかも1989年に時計の針を戻し、ゲームの進化が間違った方向に行き始めた地点からやり直す必要があるように感じる」
フォディを魅了したそのゲームの開発者は、フィル・フィッシュ。ゲームの名は『FEZ』という。

のちに初期のインディーシーンでもっとも脚光を浴び、ゲームの歴史を変える一本とまで評価されることとなるタイトルだ。
『Too Many Ninjas』のスレッドには他にもインディーの歴史に名を刻むひとびとが登場する。 最初期のインディーヒットとして記憶される『VVVVVV』のテリー・キャヴァナー、『NIGHT IN THE WOODS』や『TUNIC』のパブリッシャーとして名を馳せるFinjiの創立者、“アダム・アトミック”ことアダム・サルツマンなども顔を見せている。それは『Too Many Ninjas』がTIGSにおいて格別際立っていたからではなく(もちろん出来の良さは認められていただろうが)、そうした気さくな雰囲気のコミュニティだったからだ。
フォディは、TIGSフォーラムに出会ったときの昂揚をのちにこう述懐している。
「TIGSourceフォーラムに行き、似た嗜好の人々、似た関心の人々が、各国から集まっているのに気づいた。地元では同好の士を見つけられないからこそ、オンラインでコミュニティが盛り上がったのだと思う。
初めて、自分の居場所を見つけたような気がした。深夜3時にFlashゲームをいじってはフォーラムに上げ、オンラインの友人たちに共有し、同じゲーム制作者としての受容、温かさ、興奮、そして競争心を感じた。哲学の現場では得られなかった感覚だ。なにかが、しっくりきた」
TIGSに集った開発者たちは、いわば「草の根批評家」でもあった。フォディのような素人同然のゲーマーから業界大手であるUbisoftで働いたフィッシュのような業界人まで、フォーラムでは分け隔てなく日夜激論を交わしあっていた。その多くは当時市場にあふれていた大作ゲームの味気なさを嘆き、実験と作家性にあふれた昔のゲームを懐古する傾向にあった。
かれらは自作にも古めかしいピクセルアートの画風や理不尽な高難度といった、反主流的なデザインを採用していく。それはもちろん予算や技術面での制限と折り合うためもあったが、同時にかれらの思想と不可分でもあった。
高度に産業化された大作ゲームはフェイクであり、たとえ見た目はみすぼらしくとも自分たちこそがあるべきビデオゲームの未来を指し示している。そんな気概だ。こちらこそが、「真正」なのだと。
ゲーム研究者のイェスパー・ユールはその著書『Handmade Pixels:Independent Video Games and the Quest for Authenticity』において、歴史家のT・J・ジャクソン・リアーズによる「アンチ・モダニズム(反近代主義)」の定義を借り、当時のインディーゲームにおける「真正さ(Authencity)」の在り方について論じている。リアーズによればアンチ・モダニズムとは、合理化のプロセスに対する嫌悪の表明だ。
技術と市場の発展に伴い、ビデオゲームは制作からマーケティングにいたるまで肥大化し、もはや若い開発者のビジョンに賭けるリスクを取れなくなってしまった。
インディーゲームのアンチ・モダニストたちは、70年代〜80年代のビデオゲーム草創期の実験的な試みを憧憬をもって語り、現在のゲームデザインやゲーム業界のビジネスモデルについて嫌悪感を表明する。そして、みずからの作るゲームでは、メインストリームの視覚的スタイルや慣習を拒む。
小規模で、率直で、より「手作り」感のあるインディーゲームはプレイヤーとかれら自身へ真正さの感覚を与えるというわけだ。
たとえば、『Call of Duty 4: Modern Warfare』。同作はミリタリーシュータージャンルにおいて「現代戦もの」を大衆化し、ジャンルのスタンダードへと押し上げた重要作だ。だが、いっぽうで当時のAAAを象徴するタイトルとして多くのフォロワーと並べられ揶揄や批判の対象ともなった。
そして、フォディもそうしたインディーゲームの真正さを信じるひとりだった。事実、彼はのちのインタビューで、インディー作品に用いられたピクセルアートについて「2000年代後半の砂色まみれのミリタリーシューターばかりだったAAAのゲームのスタイルへの抵抗」と証言している。フォディにとってのピクセルアートのスタイルは個人的なノスタルジーにとどまらず、カウンターカルチャー的な反逆精神を伴ったものだった。あらゆる革命がそうであるように、革新を志向するかれらはエリート主義的な復古主義者でもあった。
当時のインディーゲームを芸術上のムーブメントとして捉えるのなら、それはまさしくルネッサンス(復興)であったといえるだろう。
フォディはフォーラムにつぎつぎと投稿されるゲームを見て、確信する。「『MSX』、『ZX Spectrum』、『Amiga』の頃のように、小人数・短期間で作られた、粗っぽくて、最適化も甘く、快適ではないものの、開発者の個性が濃密だった時代への回帰。消えていたものが戻ってきたのだ」と。
80年代のゲーム文化やそのマインドに対するノスタルジーは、以降10年ほどに渡り、彼の執着となりつづけていく。知ってか知らずか、フォディは時代を作ることになるシーンのど真ん中に飛び込んでいた。
<第二回へ続く>























