さたぱんPが語る、ボカロPとしての“在り方と信念” 海外シーンへの視座と大成功の遠征を振り返る

さたぱんPが語る、ボカロPとしての“信念”

 近年、海外へ急速に認知と人気を拡大する音楽・VOCALOID。その背景で、文化の発信地ともなるニコニコ動画を運営するドワンゴは、シンガポールを拠点とするSOZO社と国際的なクリエイター連携プログラム「Asia Creators Cross」を始動。世界各地で行われるジャパンカルチャーに関するイベント/フェスへ、多数のボカロクリエイターを積極的に送り込み、世界のクリエイター同士を繋ぐ場を共創する取り組みを行っている。

 その一環として先日、2025年11月に開催された『Anime Festival Asia Singapore 2025(以下、AFA2025)』では、日本から八王子P、栗山夕璃、そしてさたぱんPという3名のボカロPが現地へ参戦し、DJパフォーマンスを披露。海を越えた現地リスナーを大いに湧かせ、日本のVOCALOIDカルチャーを背負った大役をそれぞれに果たしてきた。

 今回は、そんな海外出演を経たメンバーの一人となる、さたぱんPにインタビュー。世界のボカロカルチャーに対する熱量やイベント現地の盛り上がりについて、肌感のままに海外のステージで得た所感を語ってもらった。

 2022年のボカロPデビュー以降、17歳JKボカロP(概念)として活動し、これまで自身の素性についても多くを語らなかったさたぱんP。だが2025年に自身の素顔や過去の商業作家としての経歴も明かした上で、セルフ歌唱を行うSata名義での活動も今夏から開始した。激しい曲展開や高速歌唱などの作風から、アバンギャルドかつ破天荒な印象を持つリスナーも多いだろうが、その実彼を構成するのは本人曰く“センスがない”ゆえの圧倒的な泥臭さ、経験量に裏打ちされた「非常に幅広い視野」と「鋭い戦略的思考」となる。

 ボカロPとして、商業クリエイターとして世界と対峙する彼がここまで辿った道程は、どのようなものであったのか。過去のトライアンドエラーも具体的に深掘りしつつ、たっぷり話を聞かせてもらった。(曽我美なつめ)

「無理だ、音楽家になるの」 挫折から始まった音楽家人生

さたぱんP

──まずは“前世”のお話も含め経歴を伺えたら。学生時代のバンド活動から、音楽を仕事に、と考えたのはいつ頃でしたか?

さたぱんP:音楽系の大学を目指した時点で、ですね。そのまま大学進学後にレコーディングスタジオのバイトを始めて、最初はそこからレコーディングやエンジニアの仕事をもらって。その繋がりでアイドルさんやダンスボーカルグループさんの作曲の仕事をもらうようになり、大学卒業後もしばらく案件を頂いてました。

──そこでまず、“音楽を仕事にする”一歩目を踏み出したというか。

さたぱんP:ただ、そのままスムーズに音楽で飯を食べられていた訳ではないです(笑)。演歌やアコースティックの曲も作ったり、多岐に渡るアーティストさんに楽曲提供もさせてもらったり、仕事を選ばずになんでもやりました。その経験が今に繋がっている部分は勿論ありますけど、当時は本当に必死でした。

 正直、大学を出たら順風満帆だと思っていたんです。けど、全然そんなことはなくって。そもそも音楽制作の就職先って、すごく厳しいんです。一般的に募集があるのはゲーム会社やパチンコの制作会社で、大体どこも採用人数は0~2、3人とかで。普通の職種なら1~10人とか、少なくとも1はあると思うんです。なのに、それが0から始まるんですよ(笑)?

 それだけサウンドクリエイターの就活って狭き門で、そこに合格するのは3歳からピアノをやっていたり、ご両親がバイオリニストだったり、もう“家柄が違う”みたいな方々で。そこで1回心が折れましたね。「無理だ、音楽家になるの」って。

──大学卒業後は一旦フリーランスになったんですか?

さたぱんP:一応フリーで作曲の仕事は受け続けましたが、並行して一般企業にも就職しました。自分のお金で大学に行ったし、支払った学費の分を取り戻すためにもいわゆる「新卒カード」は絶対使いたかったんです。なので結局、とりあえず営業職で就職して、数年間働きました。ただし、毎日営業であちこちを回りながら、心の底で「絶対音楽で成功しちゃる」という気持ちではいましたね。

──そこから、どんな経緯で専業作家の道を選んだんでしょう。

さたぱんP:単純に「どこかで踏ん切りをつけないと、一生このままだな」と思ったんです。人間って、やっぱり安定した方へ進みたくなるじゃないですか。企業勤めで働いていれば一定の給料はもらえるし、今のまま兼業でも普通の生活はできる。

 けど、それだと一生片手間に音楽をやっちゃうな、という危機感を覚えたんです。それならもう、お金とか安定とか、いいや、と思って。本当にいきなり、パンッと会社を辞めました。背水の陣でしたね。

 ただ、そこからがむしゃらにやる中で、いい意味で「仕事を選んでいかなきゃいけない」という学びも得られました。というもの、自分のビジョンや強みと依頼内容の方向性がある程度は一致していないと、いいものが出来ないって分かってきたんです。仕事は仕事として全力で応えるけれど、そこが噛み合ったときにこそ……という部分がやっぱりあるというか。

 そこから「私が書ける曲って何だろう」「仕事として受けていい曲、ジャンルって何だろう」と考えるようになって。今頂くお仕事は、すべてそのフィルターを1回通してお受けしているので、迷いが少ない分、昔以上に熱量を持ってやれていますね。

──加えて、アーティストのプロデュース業ほかさまざまな裏方も経験されてますよね。その時の経験は現在にどんな影響を与えていますか?

さたぱんP:誰かに曲を作ること自体が、結構プロデュース業に近いという認識を持っていて、それは経験から得た認識かもしれませんね。そのアーティストの印象に沿う曲を作るって大事だし、曲1つでその方のイメージを変える事もできるわけですから。

──たしかにその発想は、作曲家の職業自認だけではなかなか出てこない考え方だと思います。幅広い経験があってこその認識かと。ちなみに今も、前世名義のお仕事は続けられているんですか?

さたぱんP:いや、もうほぼしてないです。さたぱんPの活動が忙しくなるにつれて、徐々に縮小しましたね。

──こうした過去の経歴について、この2025年に公にした理由はあるのでしょうか。

さたぱんP:昨年辺りから徐々に顔出しを始めて、8月にはSata名義で自分でも歌い始めたんですが、当然前世の時も顔を出していたので、そのうち変な形でバレるなら自分から言った方がいいな、と。

 あと私、“17歳JKボカロP(概念)”なんですが、それを現場でもよくイジられるんですよね(笑)。「高校生が来ると思った」とか、「JKだと思ってたのに」的なことがめっちゃあって。それがいい方向に作用する時もあれば、「え、違うんだ……」って落胆になる時もあるので、ちゃんとどこかに本当のことを書いた方がいいな、と。たとえば「17歳に仕事は任せられない」とか思われちゃっても、それはそれで損ですしね(笑)。

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