現役高校生の青春を届ける「あの日の放課後」 ストリートから学校公認へーーコンテンツが成立したワケ

「あの日の放課後」仕掛け人インタビュー

 中学校生活3年、高校生活3年、計6年。あのころ私たちは、どんなことで泣いたり笑ったりしていただろうか。大人になったいま、あのときの感情をどれだけ思い出せるだろうか。

 そんな“あのころ”を引き寄せてくれるのが、「あの日の放課後」だ。画面に映っているのは現役の学生たち。もちろん見ず知らずの学生たちなのだが、彼ら彼女らを見ていると、なぜかあのころの記憶や感情を鮮明に思い出し、同時にいつの間にか“あの時間”の尊さを忘れかけていたことに気づく。

 「あの日の放課後」がスタートした当初は撮影者・出演者の情報は明かされていなかったのだが、徐々に情報が解禁され、今回は「あの日の放課後」の仕掛け人であり撮影も手がける神田龍介氏にインタビューを実施することができた。なぜ、「あの日の放課後」を始めようと思ったのか。そして出会った学生たちから何を受け取り、何を伝えたいと思っているのかを聞いた。

始まりは感じたことのない胸の“ザワザワ感”

ーー「あの日の放課後」は、どのようにして生まれたのでしょうか?

神田龍介

神田龍介(以下、神田):最初は、なんとなく学生と何かを作りたいなという思いがあって。というのも、僕自身学生時代あまり学校に行っていなかったんです(笑)。

ーーそうなんですか?

神田:高校生のときは最低出席日数ギリギリで、学校に来ないのがカッコいいと思っていたイタいやつだったんです(笑)。たまに学校に来て、友達とじゃれて、なんかちょっと悪さして帰るみたいな。

 でも大人になるにつれて、だんだんあのときの時間の尊さを実感するようになってきて。自分がそういう学生生活を送っていたから、コンプレックスから生まれるパワーみたいなのもあって、『学生と何かしたい』と思うようになったんです。僕はずっと音楽関係の映像制作をしていたんですけど、それを思い付いてからはいままでとは違った胸のザワザワを感じました。

 そこから最初は、普段仕事をしている仲間と「給食チャンネル」という動画コンテンツを制作しました。ちょうどショート動画も流行り始めてたこともあって、ありがたいことに多くの反響をいただくことができたんです。

ーー最初は、違うチャンネルからスタートしたんですね。

神田:そうですね。学校給食の調理風景を撮影していたので、必然的に学生とも会うじゃないですか。もう、みんな目をキラキラさせて過ごしてて。普通に走ってるだけで面白いんです(笑)。そこでは、自分が過ごしてきた20代の日々とまったく違う世界が広がっていました。

 そのタイミングでJALから、徳之島の高校で映像やSNS関係のキャリアの授業をしませんかという依頼が来たんです。授業はオンラインで開催していたんですけど、僕たちがどうしても学校に行きたくて徳之島まで行ったんです。でも当時はコロナ禍というのもあって、行ったのはいいけど学生たちと対面するのが難しくて。

 諦めて宿に戻ろうとしたら、女子高生4人組が釣りをしていたんです。しかもその日は暴風雨で(笑)。「何してるの!?」って聞いたら、普通に「釣りしてます」って言ってて。その出会いがとにかく衝撃的で、そこから一緒に動画を制作することになったんです。

私たちは、あと1年でこの島を出なきゃいけない。

ーーそのときの学生たちと制作したのが、この『JAL』のPR動画なんですね。

神田:あの4人との出会いはいまでも原動力になっています。この子たちはもう卒業して成人し、このあいだ一緒に飲みに行きました(笑)。いまはもう家族ぐるみで仲良くさせてもらっています。

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