『原神』の千織に見るシティポップの文脈 “渋谷系”的アイデンティはどのように構築されたのか

『原神』の千織に見るシティポップの文脈

 HoYoverseが開発・運営するオープンワールドRPG『原神』のVer.4.5にて、稲妻の新キャラクター・千織が実装された。稲妻のモチーフになったのは日本だが、この国出身のキャラクターのBGMにはたびたび(元祖)シティポップ~渋谷系的ニュアンスの楽曲があてがわれている。鹿ノ院平蔵や綺良々など、AORやファンクを通過しながら、煌びやかなメロディが世界観を彩っている。千織のキャラクターBGMは4つのアレンジに分けられ、Ver.4.5.の公式PV『鋒刃、錦を裁つ』以降、やはり「シティ」なサウンドが割り当てられた。

 『鋒刃、錦を裁つ』の映像がリリースされた段階では、千織のBGMにシティポップ的なテクスチャー(音の作りや質感)のみが採用されているのだと思っていた。しかし彼女の伝説任務が実装されてから、テクスチャーだけでなくそのジャンルのコンテクスト(文脈)まで引用されていることが分かった。その点で、この千織というキャラクターは「最も日本的なアイデンティティ」、ひいては「渋谷系的なマインドセット」を持つ人物と言えよう。主観的な言い方になるが、筆者は完全に千織に喰らってしまった。本稿ではその根拠と理由について、諸々を整理しながら語りたい。

【原神】Ver.4.5公式PV「鋒刃、錦を裁つ」

 まずは簡単に千織の人物像と伝説任務のあらすじを整理する。ファッションと芸術の都・フォンテーヌで服屋「千織屋」を営む千織は、過激な物言いと態度から“雷鳴の裁錦師”という異名で呼ばれている。3月7日に公開されたエピソードPV「緋織一心」を見ても分かるように、彼女の店でルールに従わない輩には武力行使も辞さない。ゲーム内で実装されている「キャラクタープロフィール」には、「たとえ地位の高い貴族でもここに入ればただの客でしかない」と書かれている。稲妻からフォンテーヌに活躍の場を移して以来、千織屋における彼女の立場はさながら女王だ。 

 そう書くとまるで暴君のように思われてしまいそうだが、千織は至極真っ当な人物である。千織屋のルールというのはすなわち、「オーダーは先着順である」ということだ。時間で優先度を定量化するので、この店の客は身分や富の多寡に関わらず列に並ばなければならない。伝説任務をプレイするとわかるが、彼女は良心的な客の依頼(仕立て直しなど)には割とフレキシブルに対応している。作る服の幅も広く、千織屋の内部には古今東西の品がディスプレイされている。リネやリネットのステージ衣装を作ったのも、綺良々の服を仕立て直したのも彼女だ。

【原神】エピソード 千織「緋織一心」

 その伝説任務では、千織は自身の性格や態度に付け込まれることになる。物語の冒頭で、フォンテーヌの一大イベント「ファッションウィーク」に向け、彼女は自身のブランドと作品のために準備を進めていた。「ブランドをテイワット全土に広めること」を目標に定める彼女にとって、このイベントは自身の名を売る重要なチャンスだ。

 けれども、外様かつ売られた喧嘩をすべて言い値で買う千織への風当たりは強い。先の「キャラクターストーリー」には、次のように書かれている。「ファッション業界の『古い勢力』の一部は、自分の縄張りをよそ者に占拠されることを許せず、旗を揚げてこの『侵入者』に宣戦布告をした——それはもう様々な方法で」。

 例によって、伝説任務でも千織は邪な同業者の暗躍によって、窮地に立たされてしまうのだ。かつてのビジネスパートナーであるユーサーが千織屋に関するデマを流布し、大切な顧客たちがこぞって店との取引を停止する。千織屋で服を買った人たちが次々と返品のために来店し、アクセサリーを卸していた業者が「ファッションウィーク期間中の製品提供を停止する」と通達した。千織に理解がありそうなアクセサリー業者ですら保身に走り、「こんな境遇に陥ったのも、君のその性格のせいかもしれないぞ? そう考えたことはないのか?」と言い放つ。しかし女王は屈しない。

 そもそもなぜ千織は稲妻を出たのだろうか。キャラクターストーリー、「神の目」にはこう記されている。「彼女はまた一人の先生に追い出された。そして、彼女は理解し始めた。先生たちが彼女のデザインを気に入らないのではなく、誰もが彼女のデザインを採用する最初の人になる勇気がないのだ」。

 また、千織自身も故郷で受け入れられなかった理由について「奇想天外な考えを裁縫に取り入れようとした私の試みが、当時の伝統的な考えと相容れなかったみたい」と語っている。そして、稲妻の服飾業界における支配的な層への反発があった。

 そういったパンキッシュな精神性が「外側」へ向かう傾向は、モデルとなった日本のポップカルチャーにもあった。それが、シティポップから渋谷系へつながるコンテクストのなかに見られる。ライターで選曲家の栗本斉氏が、Billboard JAPANで公開された記事『シティ・ポップス NOW & THEN』において、シティポップと渋谷系の系譜について書いている。

90年代に入ると、それまでの音楽的な価値観も一変。シティ・ポップスは過去の遺物として、“ダサいもの”扱いされるようになった。しかし、実際のところ当時の最新音楽の中にもシティ・ポップス的なエッセンスは多数見受けられる。とくに渋谷系と呼ばれるムーヴメントは、ある意味地続きといってもいいだろう。例えば、ピチカート・ファイヴは細野晴臣のプロデュースでデビューし、大滝詠一のカヴァーもしていたし、コーネリアスこと小山田圭吾はシティ・ポップスの屋台骨を支えていたYMOのサポートに参加することになる。(Billboard JAPAN『シティ・ポップス NOW & THEN』2024.4.21アクセス)

 そして渋谷系の当事者たちは、そういった“形骸化したもの”から意図的に脱却を試みていたようだ。2019年7月25日、芸術文化をルーツとするメディア『CINRA』において、ピチカート・ファイヴの3代目ヴォーカリスト・野宮真貴氏とヒップホップグループ・スチャダラパーのメンバーであるBoseが対談をおこなった。その記事の中で、インタビュアーを務めた黒田隆憲氏は渋谷系について、「古今東西の音楽を等価で並べ、新しい解釈で構築し直す『サンプリングミュージック的手法』を、日本で初めて意識的にやり始めた」と定義している。

 そのうえで黒田氏は、「いわゆる旧態依然としたバンドには出来ないカウンター的な音楽の作り方を、スチャダラパーもピチカート・ファイヴもしている印象でした」と指摘した。Boseもこれに対し、「『そうじゃないもの』っていうアプローチで戦う意識はありましたね」と認めている。(CINRA「『渋谷系』とはなんだったのか? 野宮真貴×Boseが語り合う」2019.07.25公開)

PIZZICATO FIVE / 悲しい歌

 ここで千織の話に戻ろう。彼女はいかにして窮地を脱したのか。服飾に使用する材料を軒並み仕入れられなくなったとき、彼女がとった行動こそ「サンプリング」だったのだ。かつて自身が手掛けた服をヒントに、そこから再構築しようと試みる。

 そして、すべてのピンチを乗り越えたあと、ストーリーのクライマックスで流れる千織専用BGMに注目していただきたい。あらためて書くが、千織のキャラクターBGMには4つのアレンジが用意された。それらを『原神』の公式チャンネルで公開された順に並べると、Ver.4.5.公式PV『鋒刃、錦を裁つ』、エピソードPV 千織「緋織一心」、キャラクター実戦紹介 千織(CV:竹達彩奈)「千縫に綺意を込めて」、そしてストーリームービー「錦を裁ちて、夜を織りなす」である。

 この「錦を裁ちて、夜を織りなす」に当てられたBGMが、最も渋谷系のサウンドに近いように感じられる。そしてエピソードPV、並びに実戦紹介でみられた和楽器が、ここでは使われていない。けれども、かつてピチカート・ファイヴやスチャダラパーらが追い求めた“オルタナティブ”を最も身近に、そして最も切実に感じられるのはこのBGMだ。和楽器を使うという「分かりやすさ」に最終局面で着地しなかった制作陣に、心からの拍手と感謝を送りたい。

【原神】ストーリームービー「錦を裁ちて、夜を織りなす」

 そして千織は、「最後にお忘れなきよう」とあくまで挑発的に言い放つ。「夢を追いかける道でいかなる困難にくじけない人こそ、『千織』のブランドにふさわしい。では夢を追うすべての友人へ、ファッションウィークをどうぞお楽しみください」。

 さすがにシビれた。自身の困難を「友人へ」と普遍化し、千織は我々に語りかけるのである。キャラクターのアイデンティティに音楽のコンテクストが入り込んできた例は、中国モチーフである璃月(リーユエ)の出身者を除くと、これが初めてではないだろうか。ナヒーダの『スラサタンナ幻想曲』(大傑作)のように、アランナラの声を模してコーラスワークが「テクスチャー」として採用されたことはあったが、音楽の成り立ちや文脈までキャラクターデザインに影響したケースは限りなく少ないはずだ。

 最後にもうひとり、千織を語るうえで欠かせない人物がいる。それがこのキャラクターに魂を吹き込んだ、声優の竹達彩奈である。徹頭徹尾、千織が「強い女」でいられたのは彼女の快演あってこそだ。

 絶体絶命の大ピンチを迎えたあと、千織はフォンテーヌ廷の北にある海岸で黄昏ていた。このときのカメラワークがまた絶妙で、女王の落ち込みっぷりを雄弁に語るのである。顔の全体像を映さず、後ろ姿や口元のみを切り取り、表情そのものは見せない。泣いているのか、はたまた怒っているのかをプレイヤーに委ねるのだ。

 しかし千織の声色はまったくもってフラットである。悲しんでいる様子も、怒っている様子もなく、至っていつも通り。そしてその調子で彼女は、「落ち込んでなんかないわよ。新鮮な空気を吸いたかっただけ。ついでに気分転換にもなるしね」と言い放つ。このシーンは画面と音声の情報が一致せず、アンバランスな描写が続く。

 ところが、伝説任務の最終盤では「独りでできることはたかが知れてる。もし今回君たちが助けてくれなかったら、私は本当に何もかも失ってたかもしれない」と打ち明けている。“強い女”はしっかり追い込まれていたのだ。画面と音声の情報がここでようやく一致し、物語は大団円を迎える。

 当然ながら、声優も我々と同じくゲームに関わる前の段階では立場は一緒だ。物語の傍観者であり、どう頑張っても第三者目線からは逃れられない。従って、客観的な視座で感情が揺れ動くわけだ。悲嘆や憤慨、絶望や切なさといった心のありようは、往々にして当事者のそれではない。

 しかし声優が演じる立場になったとき、こことは異なる次元へ移行する。当事者でなければいけない。個人としてのいかなる自由も許されず(ドリーは例外かもしれないが)、その人物に徹さなければならない。つまり千織の場合、状況に惑わされず「フラットでなければいけない」のだ。ピンチに引っ張られず、「アンバランスな描写」を声で表現しきった演技こそ、声優・竹達彩奈の凄みなのである。

 千織は限定キャラクターなのでピックアップ期間は終わってしまったが、そのうち復刻が来るだろう。そのときはぜひ、このキャラクターに注目してほしい。公平を期するために述べておくと、確かに千織を含む岩元素のキャラクターは扱いが難しい。けれどもそれを超えて強さを得られたとき、ゲーマーとしての幸せを実感できる。

 筆者は千織以外にまったく岩元素のキャラクターを育成してこなかったので、パーティーを組むのに大変苦労しているが、幸福な試行錯誤に勤しんでいる。岩元素の主人公がこれほど強力だとは知らなかったし、防御力ステータスの重要性も初めて実感した。

 「めちゃくちゃ強い」と言えるにはまだ少し時間がかかりそうだが、それでも兆しは見えている。元素反応の種類が少なく、王道とは一線を画す岩元素の戦い方は、まさしく千織の生き方そのものではないか。「歩む道も、なりたい姿も、全部自分自身で決めるの。誰も私に指図なんかできないわ」。

 さぁ、ここまで読んだあなた。次の復刻で千織を引くのです。

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