ゲーム音楽家活動36周年 『スーパードンキーコング』を手がけたデビッド・ワイズの足跡

 海外のベテランゲーム音楽家で日本のリスナーからも広く認知されている人物といえば、『伝説の騎士エルロンド』『バトルトード』『スーパードンキーコング』シリーズなどの音楽を手がけたデビッド・ワイズは筆頭格に挙がるだろう。デビッドの音楽に魅了され、熱烈なファンを公言している芸人コンビのカミナリが今年4月にイギリスに赴き、本人へのインタビューを敢行したことも記憶に新しい。

【超絶奇跡】ゲーム音楽作曲家David Wiseに会いに行こう!inイギリス ~Japanese big fans went to UK to meet their idol David Wise.~

 1987年にゲーム音楽家としてデビューし、レア社が開発に関わった数々のゲームで音楽を制作。2009年にフリーランスに転身してからはインディーゲームの音楽制作や、ゲーム音楽に関するワークショップ、自身のバンドを率いてのライヴ活動にも範囲を広げ、ワールドワイドな活動を展開しているデビッド。氏の楽曲はなぜこんなにも多くの人を惹きつけてやまないのだろうか。短期集中連載としてこれまでの活動を振り返り、掘り下げていきたい。

 第1回となる本稿では、デビッドのゲーム音楽家としての出発点からスタートし、レア社とともに迎えた成長期、その音楽性までを取り上げる。

【目次】
ゲーム音楽家としての出発点
1989年~1992年 レア社とデビッド・ワイズの成長期
ヒキガエルとハード・ロックの激突──『バトルトード』
悲運のパズルアクションゲーム──『Monster Max』
デビッド・ワイズの音楽性と柔軟な吸収力

ゲーム音楽家としての出発点

 物心ついたときから優れた音感を持っていたデビッド・ワイズは、幼少期のピアノレッスン以外は独学で音楽を吸収していった。やがてトランペットを吹くようになり、ブラスバンドへ参加。アルバイトで得た資金でドラムキットを手に入れてからは、仲間と結成したパンクバンドでドラマーを務めていたこともある。レスターの楽器店で働くようになったデビッドは、店がミュージック・コンピューターを取り扱うようになったことで必然的にコンピューター音楽制作の知識を身につけてゆく。

 そんなある日、2人の人物──ーーティム・スタンパーとクリス・スタンパーが店を訪れる。1982年にゲーム会社「Ultimate Play the Game」を設立し、『Jetpac』『Sabre Wulf』『ナイト・ロアー』などのヒットで経営を軌道に乗せ、1985年に新たにレア社を設立した兄弟だ。2人の前でデビッドが自作曲を用いてYAMAHA CX5のデモンストレーションを行ったことがキッカケで、スタンパー兄弟は作曲の仕事を持ちかける。デビッドはフリーランスのコンポーザーとしてレア社に関わったことで、半ば偶然のような形でゲーム業界に身を置くこととなる。

 レア社の開発デビュー作であるスキーゲーム『Vs.Slalom』(日本未発売)は、任天堂のアーケードゲーム基板「任天堂VS.システム」のソフトとして1986年にアメリカで発表された。任天堂VS.システムはファミリーコンピュータ/NES(Nintendo Entertainment System)と互換性があり、移植が容易であったため、1987年8月にはNES版『Slalom』が発売。デビッド・ワイズのゲーム音楽制作はここから第一歩を踏み出した。それまで楽器店で最新機器のデモンストレーターをしていたデビッドには当時、NESの4チャンネルのサウンドがさながら「ドアベル」のように聴こえたとのことで、初めてのゲーム音楽への取り組みは「ある種の挑戦だった」と振り返る。

 次に音楽を手がけたのは、当時創立まもないAcclaim Entertainmentから1987年12月に発売されたNES用ソフト『Wizards & Warriors』(日本では1988年7月にジャレコから『伝説の騎士エルロンド』のタイトルで発売)。哀愁を帯びた印象的なメインテーマは、デビッドが15歳の頃にピアノのために作曲した楽曲のリメイクである。同時発音数の限られたNESに実装するにあたり、主旋律とコードをアルペジオで表現し、対旋律を加えてベースとハーモニーを表現する形をとっている。

 デビッドの思い入れも深く、かつて自身の公式ホームページのトップページで同曲を紹介し、単一のメロディでコード感を出そうと試行を重ねるうちにバッハのようなクラシカルな雰囲気が得られたので、対位法を用いずにはいられなかったという旨のコメントを添えていた。音使いこそまだ素朴な感があるが、ポップで明快なメロディのステージ1や、重々しい雰囲気のなかで秀逸なメロディがきらめくステージ3&4のBGMにも注目したい。シリーズはその後『Ironsword: Wizards & Warriors II』『Wizards & Warriors X: The Fortress of Fear』『Wizards & Warriors III Kuros: Visions of Power』と展開される人気作となり、シリーズを追うごとにデビッドの作風の進化・深化を感じさせるという点でも興味深い。

 1988年のレア社は、アイソメトリック・ビュー(クォータービュー/斜め上からの俯瞰視点)のレーシングゲーム『R.C. Pro-Am』(2月発売)、同名の人気クイズ番組のテレビゲーム化『Wheel of Fortune』『Jeopardy!』(9月発売)、ボードゲームスタイルのパーティゲーム『Anticipation』(11月発売)の開発を担当した。『Anticipation』では全編にわたってジャジーな楽曲が収められており、特にタイトル画面やメニューBGMが耳に残る。軽快なファミコン・ジャズの秀作として注目したい。また、イギリスのゲーム情報誌『The Games Machine』の1988年3月号(通巻第4号)では10ページにわたってレア社の特集が組まれ、同記事ではRoland Alpha Juno 1とRoland TR-707で楽曲制作を行う若きデビッドの姿も収められている。写真のキャプションにはこうある。

「Like most of the Rare staff, David is virtually unknown in Britain, yet Tim Stamper rates him as one of the top computer musicians in the country.」

(レア社のほとんどのスタッフと同じく、デビッドはイギリスではほとんど無名だが、ティム・スタンパーは彼を国内有数のコンピューター音楽家の一人だと評価している)

 90年代半ばにレア社に音楽制作部門が設置されるまで、デビッドは社内唯一のコンポーザーであり、同社の下請けを担っていたZippo Games(1987年設立。1990年にレア社による買収に伴いRare Manchesterに社名を変更したが、同年解散)の開発タイトルにも関与していた(スタッフロールが確認できる貴重な一作『Ironsword: Wizards & Warriors II』では音楽制作クレジットに「MUSIC RARE LTD」とある)。開発初期段階から楽曲があることでゲーム全体の方向性を示しやすくなり、開発チームのモチベーションアップにもつながると考えていたティム・スタンパーの方針により、楽曲制作はゲーム開発と同時並行で進められている。

 この頃のデビッドの制作スタイルは、テキストエディター「Brief」を用いて16進数で楽曲データ(ノート、オクターブ、音色、エフェクトなどの要素)を打ち込み、微調整を重ねて仕上げていくというものであった。2010年のインタビューで、音楽を手がけた初期のゲームで最も象徴的な作品や最も誇りに思っている作品は何かという質問に、デビッドはこう答えている。

「Ultimately, I think of all scores as very much an evolution, rather than a landmark. The experience gained from one is useful to the next. Some work well, others not so well, but they all help to shape subsequent works. The challenge on the NES was trying to coax different musical styles from what some may consider a rather limited sound palette.」

(結局のところ、私はどの作品の音楽もランドマークではなく進化だと考えています。ひとつの作品で得た経験は、次の作品に生かされます。うまくいったものも、うまくいかなかったものもありますが、どれもその後の楽曲制作に役立っています。NESでの課題は、限られた音色でさまざまな音楽スタイルを引き出すことでした)

★David Wise Interview: Revisiting Donkey Kong Country
【VGMO|2010年12月15日】
http://www.vgmonline.net/davidwiseinterview/

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