「手軽なツールでの作曲が、時代の”音”になるかもしれない」みのミュージック・みのに聞く、音楽体験のこれまでとこれから
アメリカはシアトル発の大人気YouTuberグループ・カリスマブラザーズ解散後、YouTubeチャンネル『みのミュージック』を立ち上げたみの。ロックの歴史やファッション、漫画といったサブカルチャー全般について解説した彼の動画は、アップされた瞬間にアクセスが殺到するなどソロでも相変わらずの人気を誇っている。
さらには60年代のガレージロック~サイケデリックミュージックに強い影響を受けたバンド・ミノタウロスとしての活動や、著書『戦いの音楽史 逆境を越え 世界を制した 20世紀ポップスの物語』の出版など、多岐にわたって才能を発揮し続けるみのの、並外れた創作意欲は一体どこからきているのだろうか。
──多岐にわたる活動をしているみのさんですが、24歳で活動の場をYouTubeに移すまでは、ブルースバーでギターを弾いていたそうですね。
みの:はい。自分が思春期くらいのころのリアルタイムの音楽に、あまり共感できなかったんですよね。ロックにあまり元気がなかったというか、イギリスはアークティック・モンキーズが出てくる前くらいの時期で、日本でもTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやBLANKEY JET CITYも解散してしまって。いま振り返ってみると、思春期の悶々とした気分を代弁してくれるアーティストがいなかったので、それで旧譜に走ったのかのかもしれません(笑)。あと、ブルースなどのインプロヴィゼーションが好きだったんですよ。自分が楽器を演奏するようになってからは特に、ロックのそういう部分が面白いなと思っていたんです。
──最初に夢中になったグループはビートルズだったそうですね。
みの:初めてちゃんと聴いたビートルズのアルバムが『Past Masters Vo.2』だったのですが、1曲目が「Day Tripper」なんですよ。とにかくサウンドがカッコ良くて、中学のころはビートルズ一辺倒でした。で、当時マーティン・スコセッシ監督がブルースのドキュメンタリー映画を制作して(『The Blues』)、アーティストごとのコンピレーションCDを販売していたんです。そのうちのエリック・クラプトン編を友人が貸してくれて、1曲目に入っていたジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズの“All Your Love”にふっ飛ばされました。そのころから、あの時代のあのサウンドが好きだったんですよね。
──当時、そういう音楽はどのように掘っていたのでしょうか。
みの:サブスクやYouTubeなどが普及する前は、もっぱら図書館ですね。あとは実店舗へ行って視聴したり、友人とCDを貸し借りしたり。音楽の聴き方としては、すごく大きかったのはiPod。一つのデバイスの中に何千曲も入るというのは画期的だったじゃないですか。僕はCDプレーヤーからiPodに変わっていく端境期を経験している最後の世代だと思うんですけど、その差がものすごくデカかったのを覚えています。例えばグリーンデイの『American Idiot』を聴いた直後に、「そういえば70年代パンクってどんな感じだったっけ」と思ってカラカラ……とホイールを回してピストルズを聴く、みたいなことが出来るようになったのは衝撃的でした。
──ブルースバーから活動の場をYouTubeにしたのは、どんなきっかけがあったのでしょうか。
みの:20代になってもしばらくブルースを演奏していたのですが、自分が嗜好している音楽の居場所はどこにあるのだろう? みたいなことはずっと考えていたんですよ。自分なりにリアルタイムの音楽と接点を持ちたい気持ちがあり、それでYouTubeに活路を見出したというか。もともとインターネットはすごく好きだったんですよ。中学生くらいのころから海外の配信コンテンツを見ていたのですが、いわゆるYouTuberみたいなものが、そのころから活躍し始めていて。日本でもHIKAKINさんやPDSさんが、顔出しで活動するようになったことに衝撃を受けました。それまでのインターネットはどちらかというと、匿名性の高いメディアという印象が強かったので。
──HIKAKINさんやPDSさんからの影響は、いろいろなメディアで話されていますよね。
みの:例えばHIKAKINさんがエアロスミスと共演したり、PDSさんが自作の曲でミリオン再生を叩き出したりしているのを見ると、僕が場末のバーでブルースをやったり、地元のリハスタでデモレコーディングしたりしてることが、すごく時代錯誤な気がしてきちゃったんですよね。これからは自分で作って発信してファンを獲得する時代なんだなと、そのころから思うようになりました。
──カリスマブラザーズとしての活動を経てスタートしたYouTube番組『みのミュージック』は、若い音楽ファンが洋楽に触れたり、邦楽の昔の名盤に触れたりする入口になっていると思うのですが、そういう影響力のあるコンテンツになると最初から思っていました?
みの:いや、全く思っていなかったですね(笑)。カリブラ(カリスマブラザーズ)だってあんなに大きなチャンネルになるなんて想像もしていなかったし。もちろん若気の至り的に、「絶対、俺は売れてやる!」とは思っていたし、当時は「売れる確信があります」みたいなことも言ってそうだけど(笑)、いまの俺から観たら当時の自分がしていたことはただのギャンブルでしかないし、ただただ売れてよかったなと思っています。
動画の内容については、ある程度は批評的な意義を担保しないとただの使い捨てメディアみたいになってしまうから、「こういう題材は絶対に扱ってはダメ」っていう自分なりのルールはあるし、それをちゃんと守っているつもりですね。例えばアーティストの死をことさら感傷的に取り扱ったりする動画は簡単に作れるし、アクセス数が稼げると思うんですよ。「カート・コバーンの死の真相!」とかね。でもそんなの誰も得しないですし。
──先ほどインプロビゼーションが好きだとおっしゃいましたが、リアルタイムで即興的にパフォーマンスすることは、いまのYouTubeの活動にもつながっていると思いますか?
みの:めちゃめちゃ考えさせられる質問ですね(笑)。うーん、でも確かに、何か予定調和的なことから外れるようなハプニングは大好きですよ。そういうのもあって、エンタメ系のYouTubeをやっていたところもあるかな。やっぱり初期のYouTuberの動画って、筋もオチも決まっていないような、日常生活のハプニングを捉えたものがすごく多かったので、そういうものに惹かれたことと、音楽の趣味趣向は似通っていたかもしれない。
昔、ものすごく好きな動画があったんですよ。東海オンエアの相馬トランジスタが自分の部屋のドアノブとカーテンレールにハンモックをつなぎ、「今日はここで寝ます」みたいなことを言って、寝そべった瞬間にカーテンリールが全て吹っ飛ぶというやつなんですけど、とにかくパンク的なインパクトがめちゃくちゃ面白くて(笑)。当時でもすでにテレビはすごく作り込まれたエンタメになってて、どこか虚構に思えてあまり共感できる番組もなかったので、YouTubeの中に「リアルさ」を感じていたのかもしれないですね。
──さらに去年は著書『戦いの音楽史 逆境を越え 世界を制した 20世紀ポップスの物語』を出版されました。
みの:そもそも音楽評論が中学生のころから好きで、いつか「僕が考えるロックの歴史」というテーマに取り組みたかったんです。シアトルというリベラル色の強い場所で暮らしていた時期もあり、「音楽とカウンターカルチャー」の関係性を肌で感じていて。”政治的正しさ”やジェンダーの差異、文化の盗用みたいな、いまあちこちで論じられている事柄と、音楽は密接に関わっているし、それらをしっかりと論じる視点は書籍の中で、ある程度貫くことができたと自負しています。いまはもう次の書籍の準備をしているので、『戦いの音楽史』はその前哨戦的な意味合いも強いですね。
──次作はどんな内容になりそうですか?
みの:次は邦楽の通史を論じるものにしようと思っています。ただ、これって前例がないんですよ。例えば江戸後期から終戦までとか、戦前から現在までとかならあるんですけど、ジャパニーズフォークミュージックである民謡から始まって、最新地点までを網羅した書籍がないのはおかしいと思うんですよね。そういう自国の文化史をきちんと押さえていないと、例えば海外のアーティストが日本のシティポップをサンプリングしたことを手放しに喜んで、それでおしまい、みたいな状況がずっと続いてしまう。それは不健全じゃないかと。
──楽しみにしてます。ご自身のバンド、ミノタウロスの活動はいまどんな感じですか?
みの:これまで出ている音源に関しては、いま言ったような批評的な部分がまだ模索段階で弱かった気がしていて。次のアルバムのためのプリプロはもう全曲終わっているので、いつでもレコーディングに入れる状態なんですが、そっちはある意味では「何かを問う作品」になりそうです。批評で学んだものは音楽にフィードバックして、音楽で学んだものは批評にフィードバックしていく、そういう活動が自分にとって理想の形なんですよね。