クリストファー・ノーラン映画と『FFXIV』の関連性ーー「シタデル・ボズヤ蒸発事変」の“記憶の時間旅行”と『インセプション』を補助線に考察

ノーラン映画と『FFXIV』の関連性

『TENET』にも通ずる“記憶の時間旅行”という概念

 吉田氏も熱いコメントを寄せているノーランの『TENET』は、ジョン・デイビッド・ワシントン演じる「名もなき男」が、スパイとして、第三次世界大戦勃発を阻止するために時間軸上を奔走する。『TENET』は、ある事象の結果を知った状態、あるいはある結果が確定した状態で過去へと逆行し、そこから原因を作ることができるという、時間の逆行と順行がめまぐるしく入れ替わる非常に複雑なストーリーラインを形成している。過去から未来へ向かう時間軸と未来から過去へと向かう時間軸が同時に存在しているため、因果関係は一方通行とはならず、原因が結果に、結果が原因へと常に横滑りし続ける。しかし、それは過去を改変しているというわけではない。ある出来事はすでに確定している。そこに後付け的に原因を追加する『TENET』はそういうプロセスを描く。それは、すでに確定した結果あるいは原因に向かって運命づけられたルートを歩む決定論的な物語でもあるだろう。

 『FFXIV』の物語でも、時間遡行が描かれている。例えば、「機工城アレキサンダー」編におけるミーデとダヤンの物語で描かれる円環状に閉じた時間旅行や、あるいは第八霊災を体験した世界線の水晶公の時渡りなど、物理的に時間旅行が行われる場合もある。主人公自身は物理的なかたちで時間旅行を行なうわけではない(少なくともパッチ5.35時点では物語上、過去・未来への時間旅行を経験してはいない)が、主人公はある意味で時間旅行者であると言える。主人公の「超える力」は過去を視る力であり、実際に過去へと移動するわけではない。その代わり、持ち主の記憶をほとんどそのまま、きわめてリアルに追体験できる主人公の能力は時間旅行にも等しい。それは、いわば「記憶の時間旅行」だ。少なくとも人の記憶があるかぎりにおいて、現在を基点に双方向へと伸び続ける過去から未来までの際限ない時間軸上で過去へと遡り、隠された記憶の真相を追体験できる。

 『FFXIV』において、主人公の最大の強みである「過去視」の「超える力」も、このような因果関係の逆転にあるのではないかと筆者は考えている。「過去視」はあくまで過去の記憶を視る力であり、実際に時間を順行・逆行するというタイムトラベルではない。しかし、すでに結果として知っている“歴史”の原因を、過去を目前にあるもののように追体験できる。そして多くの場合、主人公が視る過去には、物語の秘められた核心として明かされる記憶、ハイデリン世界における“歴史”として必ずしも正確に記録されていない裏の史実、ミコトの定義に則して言えば、「無意識に記録された情報」が眠っている。“歴史”として表層意識に認識されていないながらも、現実の出来事としてどこかで確実に起きた過去の出来事を、記憶の時間旅行を通じて明らかにし、そしてそこに置き去りにされた、個人にとっても世界にとっても、そして私たちプレイヤーの体験にとっても、きわめて重要なキーとなるひとひらを見つけ、それをすくい上げる。『FFXIV』が与えてくれるゲーム体験は、そういう「記憶の時間旅行」の物語ではないかと筆者は感じている。

 記憶と時間は不可分だ。どちらか一方がなくては、もう片方も成立しえないだろう。主人公の記憶の時間旅行は、記憶と時間が常に伴う喪失、忘却へと抗い、ふと気づくと崩れ去っていくような“歴史”の脆さへの抵抗として、それを常に再構築し続ける。「シタデル・ボズヤ蒸発事変」は、長い冒険を経験してきた光の戦士たる主人公と私たちプレイヤーにとっても、その旅路が持つひとつの意義を再確認する契機ではないだろうか。大きな歴史とは、対照的な個々人の深層意識世界に刻まれた、小さく、しかし重みのある記憶だ。それが生み出す人の想いの潜在的な強さをすくい取り、歴史へと還元し、それを共有する。物語の行く先はわからないが、筆者はそのような物語として『FFXIV』を読んでいきたい。

 本稿では、『FFXIV』における記憶と時間のテーマについて、ノーラン作品から読み直すという無謀を試みてみた。繰り返しになるが、本稿はあくまでも一人のプレイヤーとしての筆者の解釈でしかない。物語の読み方は十人十色であるが、本稿が『FFXIV』という壮大な物語を読むうえで、何か有意義な示唆となれば幸いだ。

※1『インセプション』が描くのは、人が睡眠中に見る夢世界だ。しかし、その世界はある程度まで夢の設計者の記憶に基づき構築されている。夢と現実とがほとんど区別がつかない類似性を持つことからも、本作における夢とその下敷きとなる現実の記憶がほとんど換喩的関係にあると言えるだろう。

■ロラルロラック
文学畑の非常勤大学講師。文芸批評理論を用いたゲームのナラティブや遊びの形式分析に関心あり。ゲーマーとしては専らオンラインゲームをプレイする日々。

〈参考文献・サイト〉
『Encyclopædia Eorzea――The World of Final Fantasy XIV』2016年、スクウェア・エニックス。
『TENET』公式サイト
「『FFXIV』パッチ5.1吉田氏インタビュー。絶アレキサンダー討滅戦は過去の“絶”のいいとこどり! 真の絶望が待っている?」2019年10月25日。(ファミ通。)
『エオスト―Story of Eorzea』(「シタデル・ボズヤ蒸発事変」のゲーム内スクリーンショットをご提供いただきました)

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