歌広場淳が語る「格ゲーから学んだこと」 コロナ禍のいまだから考えたい“人とプレイする喜び”

歌広場淳が語る「格ゲーから学んだこと」

 大のゲームフリークとして知られ、ゲーマーからの信頼も厚いゴールデンボンバー・歌広場淳による連載「続・格ゲーマーは死ななきゃ安い」。今回は、歌広場淳に「格闘ゲームから学んだこと」を語ってもらった。歌広場はそもそもなぜ格闘ゲームを選び、そこから何を学び取り、現在の活動につなげているのか。コロナ禍のなかで考えたい重要なテーマも含まれており、格ゲーの知識がない方も、ぜひ耳を傾けていただきたい。(編集部)

「怠惰を求めて勤勉に行き着く」

 今回は、僕が「格闘ゲームから学んだこと」というテーマでお話ししたいと思います。

 そもそも僕が格闘ゲームを始めたのは、小学生のころ。当時、子供心にも「みんなが好きなマンガやアニメを見て、大ヒットしている歌を聴いていると、自分も周りと同じになってしまう」と思っていて、なんとなく「みんなが見ていないものを見て、知らないことを知るのはいいことだ」という感覚がありました。そんななかで、成長と共に周囲が一斉にゲームをやり始めた時期があったんです。

 それは主にRPGで、みんな学校から帰ったら一人で黙々とプレイして、翌日学校で「どこまで進んだ?」と話していました。一方で僕は、早々にゲームセンターやデパートの屋上のゲームコーナーで、格闘ゲームをプレイするようになった。それはやはり、みんなが家庭用ゲーム機のコントローラーを握っているときに、アーケード筐体のレバーを握っている方が、「自分にとって良いことがあるんじゃないか」という予感があったからだと思います。

 実際、格闘ゲームをやっていなければ思い至らなかった気づきが、いくつもありました。僕は幼いころから、「おままごと」のようなルールのない遊びが苦手で、鬼ごっこや缶蹴りのように、明確なルールがある遊びが好きだったのですが、格闘ゲームはまさに「ルール」の理解度が高いほど強くなれるものでした。格闘ゲームと出会ったことで、「自分がどんなものが好きで、どんなものを選ぶのか」ということが周囲に比べて早い段階で理解できたし、「勉強も仕事も、ルールの理解度が高い人間がうまくことを運べる」ということにも気づけたんです。

 例えば、テストの点数がいい子を見ていると「真面目なんだな」と勝手に思ってしまいがちですが、実際はそういった性格によるところよりも、きっと「勉強する上でのルールに早く気づいた」ことが大きいのだろうと。転じて「外見と内面は違う」「人は見かけで判断できない」という当たり前のことに無意識のうちに気づくことができたんですね。それから自分を周囲のイメージに意識的に会わせることにより、「あいつはこうだから」とグルーピングしたがる人たちと“表面上の付き合い”をあまりしなくて済むようになったのも、格闘ゲームから得た大きなことだと思います。

 また、格闘ゲームがほかのゲームと違うのは、「できなかったことができるようになる」ということが、自分自身の修練と直接的に結びついていることです。RPGであれば、極端なことを言えば、誰でもひたすらレベルを上げれば、強い魔法を覚えることができる。しかし、格闘ゲームは漫然とプレイしていたら、何十時間やっても強くなりません。つまり、最初は相手と戦う興奮だったり、好きなようにキャラクターを動かす爽快感こそがモチベーションだったのに、勝利を求め、より強くなるためにはどこかでそれまでの自分を捨てて、真面目にやり込まなければいけないタイミングがあるわけです。

 僕が好きな言葉に、「怠惰を求めて勤勉に行き着く」というものがあります。これは、『哲也~雀聖と呼ばれた男~』という麻雀マンガで、主人公・阿佐田哲也の師匠にあたる房州さんというキャラクターが言ったセリフです。この作品には敵として多くの博打打ちが出てくるのですが、それぞれが得意とする戦法=イカサマで主人公を苦しめます。ただ、先述の房州さんの言葉からは、麻雀でイカサマを使って勝とうとするのは、楽をしよう、ズルして勝とう、ということと同時に、そのイカサマを覚えるためには尋常じゃない努力が必要になる、ということが分かります。もっと言うと、博打打ちたちは一般的な社会生活から逃れて生きているのに、一般の生活以上に真面目にならなければいけない、という矛盾を一言で表しています。

 これは何となく伝わると思うのですが、格闘ゲーマーも反則的に強い人ほど真面目な人が多いんです。僕はそのことを知っているので、「eスポーツ」という対戦ゲームのムーブメントのなかにあるプレイヤーたちと接することができてきたと思っていますし、それがいまの仕事につながっているのではと思います。ヴィジュアル系バンドもそうですね。一般的には自分たちはマイノリティだと自覚した人たちがやっているものですが、ゴールデンボンバーが「わかる人(マイノリティ)だけわかってくれればいい」というところから、「すべての人(マジョリティ)を、誰よりも楽しませよう」という発想になったときに、どうしても真面目にならざるを得ませんから。

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