『情熱大陸』に登場 東大卒プロゲーマー・ときどって、一体どんな人?
本日8月12日、23時より放送の人気ドキュメンタリー番組『情熱大陸』(TBS系)に、東大卒プロゲーマーの「ときど」が登場する。一般に、東京大学大学院まで進学した高学歴と、「プロゲーマー」という職業の間には、大きなギャップがあるように思えるかもしれない。そんな特異なキャリアを持つときどとは、一体どんな人物/プレイヤーなのか。本稿では格闘ゲームというシーンを知らない人のために、番組の放送に先駆けて、簡単ながらその人物像をお伝えしたい。
ときどは1985年生まれ、現在33歳。横浜市で育ち、麻布中学・高校を卒業後、東京大学理科I類に進んだ。 小学校時代、いとこと『バーチャファイター2』をプレイしたのが、格闘ゲームとの出会い。転校先でいじめを受け、遊ぶ友人がいなかったことも、のめり込む理由になったと、本人は語っている。
「ときど」というプレイヤーネームの由来は、中学時代に初めて参加した『ザ・キング・オブ・ファイターズ ’98』(KOF98)の大会で、八神庵というキャラクターを操り、ジャンプキック(飛んで、キック)から闇払い(どうしたぁ!という掛け声とともに繰り出される)という必殺技のコンボだけを使い続けたためにつけられた(「と」んで、「き」っくして、「ど」うしたぁ!)。そこから、一時代を築いた梅原大吾・大貫晋也らの一つ下の世代のスーパープレイヤーとして全国に名を轟かすのは、そう時間はかからなかった。
当時、秀才のイメージは、プレイにも色濃く出ていた。プレイヤーネームの由来にも象徴されるように、「見栄え」はまったく気にせず、とにかく合理的に勝ちに行く。それゆえに、リスペクト半分、ネタ半分で「アイスエイジ」(氷河期=“寒い”プレイ)と呼ばれることも多かったが、どんなゲームも瞬く間に上手くなり、特に10年代前半は、世界有数のマルチゲーマーとして、海外大会で複数タイトルのトロフィーを持ち帰るのが当たり前になっていた。
要領のいい、嫌なやつーーそんな印象を持たれただろうか。そんなことはまったくなく、2000年代後半は、ときどがアルバイトしながらゲームの腕を磨いていたゲームセンター『西横浜Gamer's Vision』(現在は閉店)から配信された『顔TV』や、現在は『TOPANGA TV』など、ネット配信番組にも積極的に顔を出しており、陽気で実直な性格が伝えられている。ゲームに対して誰よりも真剣な姿勢が“冷たい”プレイスタイルに繋がっていたのだと、ファンなら誰もが知っているところだ。
さて、ときどは2011年、梅原大吾のあとを追うかたちで、アメリカの周辺機器メーカーによるスポンサードを受け、プロゲーマーとなる。今でこそ、プロゲーマーという職業はそれなりに一般化しているが、当時はまだ、日本においてゲームで生計を立てるということにリアリティはなかったように思う(唯一、格闘ゲーム界のカリスマである梅原がそれを体現しようとしていた)。最高学府の大学院を中退し、先の見えない世界に飛び込んだときどは、これまで以上に「勝つこと」へのプレッシャーが増すなかで、着実に勝利を重ねつつも、重要な場面で結果が出ないこともあった。