【今夜放送】『風の谷のナウシカ』漫画版を知っているとより楽しめる“残酷な世界観”
宮﨑駿監督のアニメ映画『風の谷のナウシカ』(1984年)が、8月14日に日本テレビ系の『金曜ロードショー』で放送。よく動く美しい映像で感動的な物語を作る監督だと、宮﨑駿の名を世間に印象づけた作品で、たとえ破滅に向かっても、自然を汚し争うことを止めない人類に警鐘を鳴らすテーマ性もあって、今も大勢の人たちに愛されている。もっとも、この映画版『ナウシカ』は宮﨑監督の構想の一部分に過ぎない。まるで違った結末が待っている漫画版があるからだ。両者は何が同じで何が違うのか?
いつかアニメで聞いてみたいセリフがある。「お前は亡ぼす予定の者達をあくまであざむくつもりか!!」「お前が知と技をいくらかかえていても世界をとりかえる朝には結局ドレイの手がいるからか」「その朝が来るなら私達はその朝に向かって生きよう」「私達は血を吐きつつくり返しくり返しその朝をこえて飛ぶ鳥だ!!」。
激しくも勇ましいこのセリフを言っているのは誰か? ナウシカだ。漫画版『風の谷のナウシカ』の最終第7巻に描かれるクライマックスで、ナウシカはこのセリフとともにとてつもない決断をする。どのような決断かは漫画版を読んでもらうとして、少しだけ触れるなら、ナウシカはこのセリフを神とも言える存在にぶつけて、訪れたかもしれないひとつの未来を拒絶する。もっと言うなら、ひとつの種を絶滅させる。
映画版『風の谷のナウシカ』で見知ったナウシカが、どうしてそのような非道をしでかしたのかと戸惑う人がいても不思議はない。なぜなら映画版に登場するナウシカは、比喩ではなく文字通りに「蟲も殺せない少女」として描かれるからだ。
「火の7日間」と呼ばれる最終戦争に等しい事態が起こって破壊し尽くされた世界では、かろうじて生き残った人々が、さまざまな場所で国や集団を作って暮らしていた。ナウシカが暮らす「風の谷」もそんな集団のひとつ。大地を覆い尽くし、生物にとって猛毒となる瘴気を発生させる植物や蟲たちが跋扈する「腐海」にまだ浸食されていない土地で、細々と命脈を保っていた。
その族長の娘として生まれたナウシカは、幼い頃から蟲と腐海に興味を抱き、メーヴェと呼ばれる飛行機を駆って腐海の森を訪ねては、腐海や蟲がどうして存在するのかを調べていた。
ナウシカは、蟲が人間を襲っても決して殺そうとはしない。蟲の怒りを鎮めて人間から引き離そうとする。大国のトルメキア王国が、秘密裏に復活させようと企み運んでいた、「巨神兵」と呼ばれるかつて世界を焼き尽くした巨大な人型兵器が風の谷に落下したときは、それを返しに来たトルメキアの軍隊に父を殺され、怒りにまかせて兵士を殺害してしまった。それでも、トルメキア軍を率いていた皇女のクシャナが危機に陥ったときには、手を差し伸べて助けようとした。
映画版ではそんな、平和主義者で博愛主義者のナウシカの高潔な様が、澄んでいて慈しみ溢れ、時に毅然として力強い島本須美による声とともに描かれ、観る人を魅了した。仲間を傷つけられ、怒りに燃えて突進する王蟲の群れを、その身を犠牲にしてでも止めようとするナウシカの優しさに、物語の世界も呼応したのだろうか。汚染された世界がやがて清浄なものへと生まれ変わる可能性を見せた。
実に感動的なビジョン。漫画版の第2巻の半分くらいまでに当たる展開を、約2時間という映画の中でまとめ、争いと憎しみの不毛さであり自然を慈しむことの大切さを伝えようとしたストーリーにふさわしい結末に触れて、1984年の公開時には誰もが温かい心で映画館を後にした。『金曜ロードショー』で、あるいはパッケージなりリバイバル上映の映画館で触れる人も、浮かぶ気持ちは同じだろう。
だからといって、同じ感動を味わいたいと漫画版に手を出すと、これがあの優しいナウシカなのか、憎しみが対話を経て融和へと向かいそうに見えたのは嘘だったのかと思えて、愕然とする。絶望すら抱くかもしれない。それほどまでに漫画版『ナウシカ』の世界は苛烈で残酷だ。ナウシカがただの蟲愛ずる優しい姫君ではいられないほどに。