『プリミティヴ・ウォー 恐竜戦争』の異常な映画体験 壊れたバランスだからこその完璧な調和
私たちは、何度も騙されてきた。GEOやTSUTAYAに行って、怪物や軍隊が大暴れする景気のいいジャケに、胸を躍らせながら借りてみたら、ぜんぜんそんな怪物も軍隊も出てこない。出てきたと思ったらジャケのド迫力な見た目とは似ても似つかぬ、ショボショボのショボが出てきた。……そんな悲しい思いを何度もしている。けれど、この『プリミティヴ・ウォー 恐竜大戦争』(2026年)は違う。ジャケで想像した通りか、なんならジャケ以上のことが起きるのだ。それはそれで異常事態であり、この映画を観ることは、もはや映画鑑賞という言葉に収まるものではない。
基本的に映画は鑑賞するものだ。しかし時に「鑑賞」という言葉が似合わない作品も存在する。それは観客を巻き込む映画である。何かとんでもない事件を目撃したような気分になるもの、あるいは一緒に何かをやらかす共犯になったような気分になるもの。鑑賞とは異なる体験へ観客を誘う映画は確かに存在する。
『プリミティヴ・ウォー 恐竜戦争』は、立ち会う作品だ。この映画は普通ではない。監督の気概と覚悟に、観客が正面から向き合う作品である。受けとめるか、いなすか、最初から相手にしないか。それは自由だ。けれど、「その意気やよし」で心のフンドシを締め正面から衝突することができたなら、間違いなく極上の映画体験になるだろう。河原で殴り合って分かり合う不良少年のように。
本作のあらすじは至ってシンプルだ。ベトナム戦争の戦場に恐竜が現れて、米兵と恐竜が死闘を演じる。その裏には何か巨大な陰謀があり、これまた米兵と死闘を繰り広げる。このあらすじから想定されることが全部起きる。起きすぎるくらい起きる。そこがミソである。起きること自体は想定の範囲を超えないが、その起きる量と質が異常なのだ。
焼き鳥屋でたとえよう。レバーとか砂肝とか、これ1種類だけを延々と食べていたいと思うことはないだろうか? 酒も飲まず、飽きるまで、好きな串だけを食べ続けたいと、そんなことを思ったことは? 社会とは厄介なもので、そんなふうに思ってもなかなか実行できない。もし友人と店に来ていたら、そこはみんながバランスよく食べれるように5種盛りとかを頼むだろう。仮に1人で店を訪ねたとしても同様だ。店側の都合もある。酒も頼まなければとか、他のお客さんの分もあるから独占するのはよくないとか、あれこれ考えるものだ。やる前に「実際にやってもすぐ飽きるんじゃないかな?」という気持ちも芽生えるだろう。いろいろな理由から実行するのは難しい。常識や良識、マナーとか自制心とか、そういうものだ。何より「やらない」ことは間違いでもないし、悪いことでもない。
だが、この映画は「やった」のだ。
今までも恐竜と軍隊が戦う映画はあった。低予算から超大作まで、恐竜と人間が戦う映画自体は無数に存在する。しかし、ここまで恐竜が出てきて、ここまで戦ってばっかりの映画は他にないと思う。もちろん映画誕生から現在までに作られた全部の恐竜映画を観たわけではないが、このバランスの壊れかたは映画史上の最高峰ではないか。