是枝裕和監督が『箱の中の羊』で“夫婦”と“AI”を描いた理由 映画を飛躍させる“人間の歪み”

「今のところはAIには飛躍がない」
ーー今のお話と繋がりますが、音々がヒューマノイドに対して「この過程が必要。悩むのが楽しい、それが生きるってことなの」と語るセリフが非常に印象的でした。
是枝:そう、まさに。そのトライアンドエラーのプロセスが必要な存在かどうかが、人間と機械を分けるのかなとは思っているから。あの一言にストレートな思いを込めました。
ーーそこに重なるようにAIが大きなテーマになっています。今、編集や文字起こしなどもAIでできることが増えています。監督ご自身は現在、AIをどのように活用されていますか?
是枝:ゼロだったんです。ただ、外国の人と打ち合わせしたりする時の翻訳機能が、この1年で格段に上がったなというのは実感しています。普段のクリエイティビティに関することで言うと使わないです。今回初めて、試しにプロデューサーに頼んで、ChatGPTに脚本を読ませてみて、感想をもらうようなことをやりました。
ーー予想外の回答が返ってきたのでしょうか?
是枝:予想外のことを言われたことはないです。「ああ、なるほどね、そうだよね」という。間違ってはいませんでした。だから使いようかなと思ったけれど、どこまで進化するのか分からないから。人間には自分の好き嫌いに根差した価値観があり、そこに反映されたアイデアが出てくる。この機械には、自分なりの価値観の体系が生まれるのかなと思ったんです。今は多分ない。ただ、裾野は僕より広い。同じ裾野を持っていてそこから出てくるアイデアは、人間の人生観より広いけれど歪みはない。だけど、何かを動かすアイデアって、おそらくその人なりの、良くも悪くも歪んだ価値観に基づいたアイデア以外は面白くはないなと思っていて。正しいかもしれないけれど、「正しさを求めているのかな自分は」と思っているんです。
ーー飛躍がない、ということですね。
是枝:今のところはAIには飛躍がないです。もしそれを超えてきたらどうなるんだろうなと思うけれど。今のままだったら、これを使って作られている映画やアニメも、すべてが均質化してしまう気がします。だんだん、デザインやイラストがなんとなく無意識に「これはAIっぽい」と思うのも、その共通項の何かだと思うんです。そうなってはいけないし、気づく人間でいたいなとは思っています。
ーー音々が仕事でAIを活用しているシーンは少し意外でした。
是枝:彼女は仕事に関して言うとAIも使うし、材木も集成材を使えるタイプの人で。それは健介が「無垢材しか使わない」というのと少し分けようと思って。あの家の中でも、風呂場だけは檜風呂にして、あそこの空間は親父のもの、というふうに少し分けて、別の価値観でそこはできている感じにしました。
ーー音々の母を演じた余貴美子さんの「お盆と同じで1年に1度でいい」というセリフに非常に納得させられました。ヒューマノイドという存在にある種の怖さや危うさを感じる一方で、あのセリフによってスッと腑に落ちた感覚がありました。日本のお盆やメキシコの死者の日のような死生観は、本作のテーマを扱う上でどのように捉えていらっしゃったのでしょうか?
是枝:最初から捉えていたわけではなくて、余さんのあのセリフもかなり後になって足したものなんです。でも、あのセリフがあって良かったですね。セリフがあることで、あの森が少し死後の世界に見えてくるというか、生者と死者が融合していく感じがイメージとして足されたので。パーソナルなものをパブリックに開いていくことと同じように、生者と死者、木と機械といったものの境界線を無効化していく目線が、おそらく一つ大きな要素としてありました。すべての境界が無効化された空間としてあの森があるということが、伝わるといいなと思っています。
ーー『幻の光』や『ワンダフルライフ』のような是枝さんの初期作が持つファンタジー性を少し感じました。近年はリアリティのある作品が多かったので、原点回帰のようなニュアンスも受けたのですが、ご自身ではそういった意識はありましたか?
是枝:原点回帰とは思わなかったけれど、ただ最後30分でどこかリアリズムから離れないといけないなと思いました。見えているものじゃないものを見せないといけないなと思ったので、ロボットに見えるけれどそうではないものを見た人が想起するとか、見えていないものを見るとか。あの森が何か別のものに見える、死後の世界に見えるかもしれないし。そういった、見えていないものを見せていくという寓話性に向かうと考えたときに、『ワンダフルライフ』などが思い出されるのは分からなくもないです。自分がそこを思い出していたかというとそんなことはないです。ただそういう、二重性、三重性のような、レイヤーを少し増やしていく方向に向かわないといけないとは思っていました。
ーー最後の質問になります。今年、監督ご自身の作品だけでなく、分福に所属する監督たちの作品も多数公開されますが、分福として何か発信したい全体テーマのようなものはあるのでしょうか?
是枝:全体テーマはないです。たまたまです。若手と言ってももう30を超えている監督の方が多いから、とっとと作れとずっとお尻を叩いていたのもあって、たまたまいろいろなタイミングが重なったということです。K2 Picturesが頑張ってくれているからそれもあるんですけど。口を酸っぱくして、1本公開しているときにはもう次の企画を持っていて、「良かったですね」と言ってくれた人がいたら「次はこういうのがあるんですよ」と言えるようにしろと言っているのに、誰もそのペースで撮ってくれない。難しさももちろんあります。5年空いたらお前のことなんか誰も覚えてないぞと言っているのに、みんなあまりガツガツしないんです。1本、2本撮ると多分いろいろなことが変わると思うんです。だからもう少しすると、もっとみんなガツガツして撮ってくれるんじゃないかなと思っています。
ーー監督ご自身もコンスタントに作品を発表されていますが、現在も温めている企画がいくつもあるのですね。
是枝:秋に控えている作品の公開があって、来年海外で1本撮るので、2027年は多分それで終わってしまうので、2028年にはまた日本に戻ってきます。撮りたいなと思っているものが4つ5つあります。
■公開情報
『箱の中の羊』
TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
出演:綾瀬はるか、大悟(千鳥)、桒木里夢、清野菜名、寛一郎、柊木陽太、角田晃広、野呂佳代、星野真里、中島歩、余貴美子、田中泯
監督・脚本・編集:是枝裕和
音楽:坂東祐大
製作:フジテレビジョン、ギャガ、東宝、AOI Pro.
制作プロダクション:AOI Pro.
配給:東宝、ギャガ
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