『豊臣兄弟!』はただのサクセスストーリーではない これまでにない“地獄のリアリティ”

『豊臣兄弟!』が描く地獄のリアリティ

 姉川の戦いから比叡山焼き討ち、そして小谷城の戦いへと、史実においても重要な局面に差し掛かった大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK総合)。第15回終盤において、藤吉郎(池松壮亮)・小一郎(仲野太賀)兄弟が茫然と立ち尽くして見ていたのは、戦いで命を落とした人々が至るところに横たわる光景だった。

 まるで世界全体が人々の血によって染め上げられたかのように、画面全体が赤い色調で覆われたその光景は、小一郎の言う通りまさに「地獄」だ。しかし、第15・16回が描いた本当の「地獄」は、前述した「合戦シーン」そのものの残酷さのみならず、同時進行で描かれた家族の話の中にこそあるのではないか。藤吉郎・小一郎兄弟の“心”に生じた変化。それこそが、「戦」の本当の恐ろしさだと思った。

 織田信長(小栗旬)、豊臣秀吉(池松壮亮)、浅井長政(中島歩)、明智光秀(要潤)、足利義昭(尾上右近)と、主要登場人物の誰もが“内面に葛藤を抱えているものの、自分の信念、あるいは大切な人のために突き動かされている、基本的にはいい人”というスタンスで突き進んでいる本作が描く「地獄」は、ある意味とてもリアリティがある。

 なぜなら本作は、彼らの物語を、単に百姓からのスタートである豊臣兄弟の「下剋上物語」、つまりは戦国サラリーマンのサクセスストーリーとして明るく描こうとはしていないことが分かるからだ。個人が個人の出世のためだけに働いていたら、物事はもっと単純だっただろう。特に第16回は、あらゆる側面で「自分ではなく誰かのため」に動こうとする人々の受難を描いた回だと思った。

 本作は終始「兄弟の物語」で構成されている。序盤で、小一郎と幼なじみ・直(白石聖)、そして藤吉郎と3人で田舎を飛び出したにもかかわらず、直が兄弟のあまりの仲の良さに立ち入れないものを感じて苦笑する場面があったことからも分かるように、本作において、兄弟、もしくはそれによく似た関係性は、時に恋愛・夫婦愛以上に強調して描かれる傾向にある。

 それは、互いの痛みを分かち合い、支え合う藤吉郎・小一郎兄弟の絆の話のみならず、蜂須賀正勝(高橋努)と義兄弟・前野長康(渋谷謙人)の関係性をはじめ、様々な登場人物に「兄弟」のエピソードが用意されていることからも分かる。

 信長においても同様のことが言える。信長と妹・市(宮﨑あおい)の兄妹の絆はもちろん、かつて信長が裏切られた結果、自ら殺めることになった弟・信勝(中沢元紀)が回想として頻繁に登場する。そのため、第14回において、信長と信勝のエピソードに上乗せする形で、義弟となった市の夫・浅井長政との束の間の蜜月と、その後に裏切られたことによる絶望が、より重いものとして描かれた。

 そしてその事実が判明した直後、信長のやりきれない気持ちを慮って自分の足を刺し、自らしんがりに名乗り出た秀吉は、長政の謀反によって再びぽっかりと空いてしまった信長の心の中の「弟」ポジションにピッタリ収まってしまったかのように見えた。それによって彼もまた、今まで以上に少しの「裏切り」も許されない状況に追いやられたように思う。

 さらには同回終盤において、それまで藤吉郎・小一郎兄弟を「わしのもの」にしたがっていた足利義昭が、その話を聞いて仕方なく光秀に「そなたが信長のものになれ」と告げるというエピソードが加わる。ただしあくまでスパイ的立ち位置として、つまり光秀は「わしのもの」という義昭の中の前提があることがうかがえ、信長を一旦経由するという、これまた複雑で濃密な主従関係が義昭・光秀間にも存在することが分かるのである。

 これらの前提を踏まえた上で第16回を見直してみると、同回はすべてにおいて「自分を捨てて誰かのために動こうとする人々」の話なのだ。

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