シャーリーズ・セロンが“現実の問題”を体現 『エイペックス・プレデター』の恐怖の本質

 本作では滑落シーンが印象的だが、一歩間違えば奈落に落ちていくという表現や、外部と連絡が取れない状況下において、一度脚を折ってしまえば、自然の奥地ではそれだけでほとんど死を意味してしまうなど、さまざまなギミックを物語全体に施さなくても、自然の脅威そのものが作品のサスペンスを醸成することができるという意味で、コルマウクル監督の試みは彼ならではといえるのではないだろうか。

 そうした経験に裏打ちされた細部へのこだわりが、本作のサバイバル表現に色濃く反映されているほか、シャーリーズ・セロンが専門家の指導のもと、スタントパーソンを使わずに自力で挑んだというクライミングシーンも見どころとなっている。

 一方、その堅実なつくりに対して、プロットの独創性については評価が分かれるところかもしれない。自然を舞台に人間同士が争うといった表現においては、『脱出』(1972年)や『激流』(1994年)、『ザ・ワイルド』(1997年)などといった作品群を彷彿とさせ、これら既存のサバイバル映画の要素からさほど逸脱しない点が、さまざまな点でクオリティの高さが窺える本作の評価の足枷になっていると考えられる。

 そのなかで本作が突出している特徴といえば、“食人”という要素があることだろう。生きるために飢えを満たす目的ではないのに、人間が人間を食するといったタブーを犯す行為は、娯楽作品の枠のなかにおいては、明らかに異質な性質を帯びている。これには、どんな意味があるのだろうか。

 本作では、大多数の人々が好んで足を運ばないような、過酷な場所での登山やキャンプに熱意を燃やし、生きる実感を得るといった、サーシャのようなタイプの人物の心情が語られる。日本でも近年、コロナ禍下でのレジャーとして、アニメ作品のヒットも後押しするかたちで、大きなキャンプ・アウトドアブームが起きた。

 だが、その一方で、ソロキャンプなど女性だけで自然の中へ向かった際、現地で男性につきまとわれたり無用な干渉を受けるケースがあるという事例が、ブームの影で問題となった。本作の劇中、サーシャが殺人鬼に追われる“ゲーム”が始まってしまう前、彼女がガソリンスタンドや森の入り口で、男性のハンターたちから執拗にからかわれたり、脅されたりするシーンが挿入される描写は、単なるスリラーの伏線以上の不安感に満ちている。

 第三者の目の無い空間に足を踏み入れたとき、女性が否応なしに直面せざるを得ない脅威は、サーシャのように男性のパートナーがいなくなったり、ソロで活動することで、飛躍的に大きなものになってしまう。この映画は一見、人食いという特殊性を持つ異常者に追われるという、非現実的なシチュエーションを描いているように見える。だが、おそらくここでは、森や川や山に限らず、誰にも助けを求められない状況下で、他者の欲望の対象にされてしまうという、普遍的な恐怖を題材にしているのではないか。

 だから、本作における“食人”という残忍な要素は、女性が得体の知れない男性から向けられる剥き出しの欲望に対する、女性側からの実感に近い感覚的なものとして機能しているように思える。例えば、動物を擬人化した日本の漫画作品『BEASTARS』において、種族間の“肉食”という要素が、ある種の性的な欲望や加害、被害のメタファーとしても読み取ることができたように。

 そうした、いつ“捕食者”の標的にされるか分からないという不安が、作品の全体に絶えず漂っているのである。本作『エイペックス・プレデター』は、その現実の問題があるからこそ、サスペンスとしての質が高まっていると考えられるのだ。

■配信情報
『エイペックス・プレデター』
Netflixにて配信中
出演:シャーリーズ・セロン、タロン・エジャトン、エリック・バナ
監督:バルタザール・コルマウクル

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