『恋愛裁判』が問う不可避の“推しと暴力”とその離脱 柄谷行人の再解釈から読み解く
4つの交換=恋愛様式
『恋愛裁判』にとって、関係の純粋性は恋人のみによって可能となる。横並びで同じフレームに収まることは恋人のみによって可能となる。しかし恋愛関係は、——擬似的であるか否かを問わず——必ず暴力か金銭(≒推し)を介在させてしまう。それがひとまず本作の結論といっていいだろう。
この視点が、少し抽象的に置き換えてみればそのまま柄谷行人の交換様式論と同じ作りを持っていると議論するのは、しかしあまりに突飛な発想だろうか?
柄谷の交換様式論はA贈与と返礼、B収奪と再分配、C商品交換、Dそれ以外のXの4つから成り立っていた。これを徹底的に世俗化して読み直せば、A友人、B暴力的な支配非支配、C推し、Dそれらを超えた恋愛と読み直せないことはないはずだ。柄谷行人の交換様式を初期の他者論から敷衍して読み直したとき、それを恋愛様式として読み直すのはそう胡乱な振る舞いではないように思われる(恋愛の主題による柄谷行人論は、本誌『リアルサウンド』を運営するblueprintが出版した『絓秀実コレクション1』に「柄谷行人——恋愛の主題による変奏」という素敵にブリリアントな先例がある)。柄谷は、DとはAの「高次元での回復」にほからないと述べていた。つまり恋愛とは友情の「高次元での回復」なのだ。しかしAが容易くBやCに変貌してしまうことも柄谷は見抜いていた。
例えばやまさんは、Cを無理やりDにしようとしたために、暴力的なBを招き寄せてしまう。推しに恋人がいたというその事実に耐えきれず、無媒介的な距離零度で自分も接してほしいと考えたとき、それは暴力に移行する。一方真衣と敬は最初Cだったが、やがてAを徹底することでついにDの境地に達する。つまり「推し」としての関係だった2人は徐々に友人となり、ある日を境に一挙に関係を深めてゆく。しかしその関係に持続性はなく、やがてBへと回帰してしまう。諍いが増え互いにいがみあい、対立しついには破局する。Dは束の間あらわれたと思ってもすぐさま他の様式に回収されてしまうものだ。持続性の欠如それ自体の裡に、理想の王国としてしかDというのは位置付けられないのかもしれない。純粋な恋愛はすぐさま暴力的な支配か「推し」に変貌してしまう。ただ2人が横並びで居続けることは難しい。
けれども恋愛が友情の高級なやり直しなのだとしたら、ずっと友達のままでいることこそ人が横並びで座ることのもっとも単純な可能性なのではないか。『恋愛裁判』のラストは、そのような感慨へと一瞬観る者を誘う。裁判のいっさいが終わったあと、真衣は「ハッピー☆ファンファーレ」で彼女に味方してくれたメンバー・梨沙(小川未祐)とともに梨沙の地元・静岡へとだるま朝日を見に行く。その過程で2人は並びあってサービスエリアでラーメンを食べ、並びあって日の出を見つめる。この関係こそあたかも最初から望まれていたものだったかのように。
エリック・ロメールを導入する
しかし最後の最後で映画はまったく新しい結論をくだす。ここで深田は交換を物語のテーマに描いてきた1人の天才作家を召喚する。エリック・ロメールである。だるま朝日が水平線の向こうから浮かび上がってくるラストはどう見ても彼の代表作『緑の光線』(1986年)そっくりだ。ロメールは続くオムニバス『レネットとミラベル/四つの冒険』(1987年)のなかで交換を主題にしている。同作は交換可能なものが交換不可能になり、交換不可能なものが交換可能なものに入れ替わってゆく心楽しい喜劇だが、その第1話「青い時間」は、暁闇と日の出の合間のほんのわずか一瞬を貫くしじまに交換不可能性を見出していた。これは『緑の光線』のラストで主人公が見つめる日没の太陽にも同じことがいえるだろう。
『恋愛裁判』の最後で、真衣は梨沙とともに横並びで水平線から登ってゆく太陽を見つめる。それは交換不可能なものを見つめるロメールの視線と瓜二つだ。そしてこの横並びは『寝ても覚めても』のラストと瓜二つでもある。一度破綻した亮平と朝子がもう一度再会したとき、濱口は関係をやり直すのかあるいは破綻したままなのかそのすべてを宙吊りにしたまま、2人をプロトイメージのように引用していた牛腸茂雄の双生児写真さながら横並びにさせる。ここで濱口は、いかにして共に生きるかという解答のない困難な問いに2人を直面させることで、映画を開かれたまま閉じることに成功した。梨沙と横並ぶ『恋愛裁判』はこの正確極まりない引用のように思われる。しかし、登ってゆく太陽を見つめることに飽きた梨沙はひと足さきに道を引き返してゆく。それはほんの数秒に過ぎないかもしれないが、この瞬間、真衣は交換不可能な太陽をたったひとりで見つめる。
そう、『恋愛裁判』は交換様式を超えたところに交換不可能なものを見出す映画だったのだ。いかにして共に生きるかではなく、いかにして人は1人で生きうるかを問う映画だったのだ。自分という単独性に、もう一度出会い直すまでの映画だったのだ。
■公開情報
『恋愛裁判』
全国公開中
出演:齊藤京子、倉悠貴、仲村悠菜、小川未祐、今村美月、桜ひなの、唐田えりか、津田健次郎
企画・脚本・監督:深田晃司
共同脚本:三谷伸太朗
音楽:agehasprings
主題歌:「Dawn」yama (Sony Music Labels Inc.)
制作プロダクション:ノックオンウッド、TOHOスタジオ
配給:東宝
製作:「恋愛裁判」製作委員会
©2025「恋愛裁判」製作委員会
公式サイト:https://renai-saiban.toho.co.jp/
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