吉沢亮は我が身を小泉八雲文学と化して見せた 『ばけばけ』が描いた“心の旅”に想いを寄せて

吉沢亮は我が身を小泉八雲文学と化して見せた

 さらば、松江。さらば、錦織(吉沢亮)。朝ドラことNHK連続テレビ小説『ばけばけ』第19週「ワカレル、シマス。」(演出:村橋直樹)ではヘブンが愛でる虫と錦織が重なって見えた。舟形の虫かごは人生の象徴のようでもある。第19週には生きとし生けるものがなぜ悲しいのか、そんな問いがあった。

 トキ(髙石あかり)のラシャメン疑惑が沈静化したものの、知らず知らず当人の心の傷は深くなっていた。フミ(池脇千鶴)もヘブン(トミー・バストウ)も密かにトキを心配して、ヘブンは熊本に移住を決意する。誰も知らないところでゼロから生き直すことにしたのだ。

 ショックを受けたのは錦織だ。ヘブンに心酔しきって、これまでひたすら尽くしてきた。自分が校長となりこれからもヘブンと共に松江の教育向上のために二人三脚で歩んでいこうとしていた矢先。しかも、錦織には相談のひとつもなかった。

 移住するらしいと聞いたのがヘブンの口からでなく、江藤知事(佐野史郎)からの又聞きであったことのショックはいかばかりか。「文学的にも気が合う唯一の親友」ではなかったのかーーと錦織は大変な絶望を味わったと思う。ヘブンの著書『日本滞在記』に書かれた「文学的にも気が合う唯一の親友」という一節を何度も何度も読み返し、思わず顔がほころんでいた、その気持ちの置き場をふいに取り上げられてしまった錦織の憔悴ぶりには目を覆うものがあった。

 『日本滞在記』の次作のテーマはヘブンの好きな虫がいいと錦織は提案し、自身は虫が嫌いにもかかわらず、虫を飼い、資料を集める。若干、先走り過ぎていたようにも思う。以前から、思い込みが激しく、ナイーブ過ぎるところがあったようにも感じるが、ひたすら純粋で一生懸命で視ていて同情しかわかない。これは吉沢亮の演技によるものでもあると思う。聡明さが前提にありながら、ともすればそれが行き過ぎると、ちょっとおかしく見える感じ。その理屈を超えた無意識の領域の造形が巧みだ。

 ヘブンが松江にいないのであれば、無理して校長になることもないと錦織は庄田(濱正悟)に校長の座を譲る。そもそも錦織は帝大を出ていなくて、教員免許ももっていなかった。現代だったら、学歴詐称、無免許と責められる案件であるが、当時、様々なシステムが変化していくごたごたの渦中で有耶無耶にできたようだ。帝大を落ち免許もなくてもそれは不運なだけで能力はあったから、周囲は資格にこだわらず、錦織をリスペクトしていたのだろう。実際、学歴や資格というルールからはみ出しても能力の高い人はいるし、優秀ながら貧しいがために教育を受けることがかなわなかった不遇な才能もあるだろう。錦織はそういった、恵まれなかった人の代表である。

 錦織がさらに悲しいのは、病に冒されてしまうことだ。第95話、旅立つヘブンの見送りに行かなかった錦織。ふと咳き込むと、喀血する。自分の運命を悟るような表情になるが、激しいショックではなく儚い受容であることがまた物悲しさを募らせる。

 見送りに行かなかったが、錦織がそっとヘブンの家に置いてきた舟形の虫かごと虫がヘブンと共に海を渡る。ヘブンが抱えた籠のなかの虫の声はまるで、ヘブンと錦織の心が呼応するかのように哀切を奏でる。

 舟形の虫かごは、ヘブンのモデル・小泉八雲が愛用していたもので記念館にも展示されているそうだ。史実的には錦織のモデル・西田千太郎がこの籠を送ったわけではないようだが、ドラマではこの籠をヘブンと錦織の友情の象徴にしたアイデアは冴えている。

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