ケイト・ブランシェットら登壇 ロッテルダム国際映画祭で難民映画基金支援の短編初披露
『燃える香りのささやき』モ・ハラウェ
ソマリア出身のハラウェ監督による『燃える香りのささやき』(原題:『Whispers of a Burning Scent』)は、裁判で重要な審理が行われる同じ日に、結婚式での大事な演奏を控えた寡黙な男を主人公に、私的な人生が否応なく公の場にさらされていく状況を描いた作品だ。ハラウェは、デビュー長編『The Village Next to Paradise(原題)』が第77回カンヌ国際映画祭ある視点部門に選出されるなど、国際的な評価を受けてきた。
ソマリアに戻って本作を撮影した経験について問われると、ハラウェはまず、制作環境そのものが持つ意味を語った。「この映画を作るためにソマリアへ行くと決めたとき、一番ワクワクしていたのは、ソマリアにいるチームと、私たちがこれまでやってきた方法で一緒に働けることでした」。映画制作のインフラがほとんど存在しないなかで、これまで短編2本と長編1本を撮影してきたハラウェは、「その長編と短編に関わった人たちの約70%が、今回の短編にも参加しています。初めて映画のセットに立つ人も多く、ある意味でインフラを築いている感覚がありました」と振り返る。
また、本作とディスプレイスメントの関係についても、ハラウェは独自の視点を示した。「ディスプレイスメントを扱う映画だからといって、必ずしもそれを直接描く必要はないと思っています。むしろ、ディスプレイスメントを経験してきた人間としての感情や感覚を描くことにこそ可能性がある」。自身が置かれてきた状況について、「ソマリアはいま、ある段階のディスプレイスメントを経験しています。私は、いまは別のフェーズにいると感じていますが、それがどんなものかは知っている」と語りつつ、「この機会は、映画を作ること以上に、チームとともに働き、『ただ映画を作ろう』と思える時間を与えてくれました。誇りをもって言えるのは、作品以上に、この人たちと一緒に働けたことが嬉しいということです」と思いを寄せた。
『亡命者たちの連帯』ハサン・カッタン
シリア出身のカッタン監督による『亡命者たちの連帯』(原題:『Allies in Exile』)は、同じくシリア出身の映画作家ファディ・アル・アラビとともに、14年にわたって続くシリア紛争と向き合ってきた日々を捉えたドキュメンタリーだ。カッタンは、第89回アカデミー賞短編ドキュメンタリー映画賞を受賞した『ホワイト・ヘルメット -シリアの民間防衛隊-』で撮影監督を務め、第90回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた『アレッポ 最後の男たち』には助監督として参加した。
本作で極めて個人的なアーカイブと向き合うドキュメンタリー表現に挑んだ理由について、カッタンは「まず最初に、ホームからのディスプレイスメントについて語りたい」と切り出した。「このプロジェクトを支えてくれたすべての人に感謝しています。私はアーカイブの一つひとつ、フレームの一つひとつが、私の人生の一部であり、記憶そのものだからです」。映像の奥深くへ入っていく作業は、「現実から逃げるためにアーカイブへ身を寄せるような感覚でもあった」と明かす。
さらに彼は、“家”という概念が本作の中心にあると語った。「シリアから旅をし、トルコを経て、いまロンドンにいるなかで、私は最も重要な家を失いました。人はそれを失ったとき、どうにかして取り戻そうとします。映画作家としての私にとって、この映画は家を取り戻す方法だったのだと思います」。制作を通じて浮かび上がった「私は誰なのか」「私はどこにいるのか」といった無数の問いに、明確な答えは出なかったとしながらも、「映画を完成させたあと、私は確実に良くなりました。私は家を感じています」と語り、「ディスプレイスメント・フィルム・ファンドは、それを“家”にしてくれた」と感謝の言葉を寄せた。
『アフガニスタンの素晴らしきジム』シャフルバヌ・サダト
アフガニスタン出身のサダト監督による『アフガニスタンの素晴らしきジム』(原題:『Super Afghan Gym』)は、カブール中心部のとあるジムに集う主婦たちの姿を通して、女性たちが置かれた現実とささやかな抵抗の場を描いた作品だ。デビュー作『狼と羊』は第69回カンヌ国際映画祭監督週間でアートシネマ賞を受賞し、第46回ロッテルダム国際映画祭でも上映された。また、次回作となる長編『No Good Men(原題)』は難民映画基金の支援を受け、第76回ベルリン国際映画祭のオープニング作品にも選ばれている。
「二重のディスプレイスメント」というコンセプトについて問われたサダトは、まず自身の人生を振り返ることから語り始めた。「私の両親は、1970年代のソ連侵攻の際にアフガニスタンから逃れ、イランに渡りました。私はイランで生まれ、そこで育ちましたが、難民や移民に対する極端な人種差別を、子どもの頃から日常的に経験してきました」。サダトは、「人種差別という言葉を知る前に、それを身体で理解してしまった」と語り、その経験が「自分は壊れている」「足りない存在だ」という感覚を長く抱かせていたと明かす。
9.11以降、家族でアフガニスタンに戻った際には、今度は「イラン人」と呼ばれ、自分がアフガンであることを証明しようと必死になったという。20年間アフガニスタンで暮らした後、4年前のカブール陥落を受けてドイツへ避難したサダトは、「イランでも、アフガニスタンでも、そしてドイツでも、私は一度も『ここに属している』と感じたことがありませんでした」と語る。
「私はいつも他者で、よそ者でした」。映画作りについても、サダトはそれを「セラピーのようなものだった」と表現する。「私は映画学校出身ではありません。ただ作りながら学んできました。映画は、自分の声を見つけ、自分自身を見つけるための手段でした」。そんななかでディスプレイスメント・フィルム・ファンドから連絡を受けたことは、「外側から押し付けられてきたアイデンティティを手放せた、完璧なタイミングだった」と振り返る。「イラン人、アフガン人、難民――それらは外側から与えられたラベルで、内側からのものではない。内側から見れば、私はただ、異なる場所で生きてきた経験を持つ同じ人間です」と語った。
さらにサダトは、もう一つのディスプレイスメントとして「女性として、自分の身体の中に“家”を感じられない感覚」を挙げる。「誰にとっても最初の家は身体だと思います。でも、女性の身体はどうあるべきか、どう見えるべきかという強烈な圧力がある」。カブールで男性用ジムに通い、女性は1日1時間だけ利用を許されていた体験が、本作の着想につながったという。
『アフガニスタンの素晴らしきジム』の情報をSNSで発信した際、多くの男性から否定的な反応が寄せられた一方で、「タリバン政権下でも、秘密裏にジムに通っている」という女性たちからの声が届いたと明かす。「仕事も学校も奪われ、4年間ロックダウンのような生活を強いられているなかで、それが唯一の楽しみだという人もいました」。サダトは、「人は制限されるほど、方法を見つけて自分の人生を主張する」と語り、「誰も人間を完全に縛ることはできない。そのことが、私に希望を与えてくれます」とメッセージを寄せた。
最後に創設パートナーの一人であるHBF(ヒューバート・バルス基金)のタマラ・タティシヴィリは、本プロジェクトを貫くキーワードとして「連帯」を挙げた。「パートナー同士、そして映画作家やプロデューサーとの連帯がなければ、今日のプレミアは実現しなかったでしょう」と語り、30年以上にわたり映画作家を支えてきたHBFの歴史が、難民映画基金で強く結実したと強調した。また、「5人の映画作家それぞれの作品には、一本一本に伝記がある」と述べ、誰がどの立場から語るのかを重視する姿勢こそが、スクリーン上の物語に力を与えているとメッセージを寄せた。