『呪術廻戦』「死滅回遊」は情報量が多すぎ? デスゲームものにみる“ルール説明問題”

近年、漫画・アニメ・実写を問わずデスゲーム作品が人気を集めている。もともと人気のあるジャンルではあるものの、『イカゲーム』が社会現象となり、『今際の国のアリス』も世界的ヒットを記録したことで、ジャンルの裾野はより大きく広がった。
デスゲームと聞くと、仲間同士の裏切りや主人公の目的達成といった定番の型を思い浮かべる人も多いだろう。だが、同じ「命を賭けたゲーム」でも作品ごとに別の面白さとして成立するのは、結局のところゲームルールが異なるからにほかならない。勝利条件や制約、罠の仕掛け方が変われば、駆け引きの質も、ドラマの立ち上がり方もまるで違ってくる。
ただしアニメの場合、その「ルール」が壁になりやすい側面がある。理由は単純で、尺の制約が大きいからだ。映画やテレビドラマなら、1〜2時間をかけてひとつのゲームを腰を据えて描ける。ルール提示から参加者の思惑、決着までを一気通貫で追えるため、視聴者は途中で迷子になりにくい。
一方、30分枠が基本のテレビアニメでは、ワンゲームを1話に収めるか、複数話にまたがせるかの判断を迫られる。前者は駆け足になりやすく、後者は週をまたぐうちに細部が抜け落ちる。どちらにせよ、視聴者が「このゲーム、何をしたら勝ちなんだっけ?」と迷った瞬間、ルールの難しさが話の面白さより前に出てしまう。結果として、アニメというフォーマット自体がデスゲームの情報設計と噛み合いにくい局面を抱えているように見える。
2026年冬クール、その難しさに真逆のアプローチで挑んでいる2作がある。『呪術廻戦』第3期「死滅回遊 前編」と『死亡遊戯で飯を食う。』だ。
先に断っておくと、『呪術廻戦』は厳密にはデスゲームものではなく、「死滅回遊」も長期シリーズの中に組み込まれた1章にすぎない。渋谷事変の因果、伏黒津美紀という人質、五条悟の封印といった文脈をすでに背負っており、『死亡遊戯』のようにデスゲームそのものを主軸に据えた作品とは立ち位置が異なる。ただ、「ルールが複雑なゲームを、アニメの尺でどう伝えるか」という情報設計の課題において注目して見ると、なかなか面白い対比が浮かび上がってくる。

「死滅回遊」がとっているのは、ルールを“条文”として正面から提示するスタイルだ。テレビアニメ第3期第3話「死滅回游について」では、天元が虎杖たちに羂索の目的とゲームの骨格を語るシーンにまるまる1話が費やされる。公式サイトにも〈総則〉が条文形式で掲載されており、「術式覚醒後19日以内に参加宣誓しなければ術式を剥奪」「術師5点、非術師1点」といった規定がずらりと並ぶ(※)。なかでも重要なのは「100点で総則追加」だろう。伏黒が津美紀を救おうとする理由も、乙骨が仙台結界で戦う動機も、すべてこの条文と地続きだ。理解が深まるほど、キャラクターの焦りや判断が立体的に浮かび上がってくる。ルールがドラマを駆動していると言ってもいい。
ただし、その厚い説明には代償もある。視聴者は天元の言葉を追いながら、同時に「羂索とは誰か」「渋谷事変で何が起きたか」といった過去の文脈も処理しなければならない。『呪術廻戦』はアニメから入った視聴者も多く、原作を読み込んでいない層にとっては負荷が二重になる。各種メディアやブログでルールまとめ記事が量産され、さらに公式から攻略動画まで公開されているのは、補助線がなければ振り落とされる層が一定数いることを織り込んでのことだろう。






















