『汚れた血』はなぜ“伝説”と言われる一作となったのか ラストシーンの意味を解き明かす

次作『ポンヌフの恋人』で破局を迎えることになるジュリエット・ビノシュとの関係は、ここではまだみずみずしいものだった。カラックスの若く熱い感情は、彼女の美しい顔を執拗なまでにじっくりと捉えたカットからも、痛々しいまでに伝わってくる。こうした映画の“私物化”こそが、カラックスが自身の周囲を表現するシンガーソングライターや、自身の生き方とパフォーマンスを重ね合わせるロックスターなどに例えられる所以であるだろう。
そこに狂おしい愛が存在することは、当時大きな社会問題となっていた「HIV」の感染を、ファンタジックな設定として題材にしてしまう試みによっても示されている。愛のない性行為で死に至る奇病「STBO」が蔓延しているという、本作のSF的な趣向は、「Modern Love」の歌詞と呼応するように、現代における心が抜け落ち形骸化した世界への失望や反発を感じさせる。全ての恋人たち、全ての夫婦に、「永遠に疾走する愛」がなくてはならない……そうした独善的ともいえる精神世界が、恋愛に浮かされていた若いカラックスの思考だったのだと考えられる。
それは、一種の宗教のようでもある。とくに若い世代は、そんなカラックスが提示する「永遠に疾走する愛」が存在するというロマンティックな考え方に共鳴する者も少なくないのではないか。この作品で描かれる、灰色の世界に鮮やかに描かれた原色とは、そして走り続けるアレックスの姿とは、愛する人に自分の全てを捧げようとする刹那の感情を、永遠のものとしてとどめたいという、“願い”の象徴であるように感じられるのだ。
このように考え、作品のテーマを掘り出していくことで、本作のラストの展開が、なぜあのように不可解に感じられるものになったのかも理解できるのではないか。そんな本作のラストシーンとは、以下のようなものだ。
「STBO」のワクチンを盗み出したアレックスは、それを奪おうとする「アメリカ女」に銃撃され、瀕死の重傷を負う。マルクやアンナ、そしてリーズ(ジュリー・デルピー)らとともに逃亡し、計画通り飛行場から高跳びをしようとするアレックスだったが、飛行機に乗り込む前に絶命してしまう。彼を強く愛していたリーズは大きな衝撃を受けるが、以前からアレックスの心が離れていたことを知る彼女は、「彼は私をすでに捨てていた」とつぶやき、バイクに乗って失意のまま走り去ろうとする。
そんなリーズに、アンナは「いつか彼と巡り会える」と声をかける。アレックスはすでに死亡しているため、それはあり得ないことだ。リーズはそのままバイクで走り出してしまうが、アンナは自分の足で彼女を追って駆け出してゆく。走りながら腕を広げるアンナの上半身を捉えて、映画は幕を閉じる。
重要なのは、この支離滅裂にも見えるラストシーンにおいて、アンナが“何を考えていたのか”という点だろう。この疾走を、「映画の外部に出ようとする飛翔」だったり、「犯罪映画におけるジェンダーロール(性別的な役割)からの解放」と解釈する者もいたが、ここで登場人物の側の心情を無視し、メタフィジックな解釈に終始してしまえば、犯罪映画としてアンバランスになってまで登場人物たちの心情を繊細に描いてきた作品そのものを裏切る行為になってしまうだろう。
さて、アンナはここで何を考えていたのだろうか。そこに迫る前提として知っておきたいのは、この映画で描かれる恋愛関係が、基本的に一方通行であることだ。リーズはアレックスを愛し、アレックスはアンナを愛する。そしてアンナはマルクを愛するが、マルクは彼女に情熱的な愛を返そうとはしない。ここでの男女は、自分たちの情熱的な愛が返ってこないことに苦しみながら、愛を追い求めている。
アンナは、アレックスの愛情には応えられなかったものの、彼が語った「永遠に疾走する愛」が存在するということを信じたかったはずだ。だから、リーズが愛を得られずに失意のまま去っていくという悲劇を目の当たりにすることが、心情的に耐えられなかったのではないのか。ここでのリーズの絶望は、普遍的な愛の終焉までをも意味し、世界が全て灰色に塗りつぶされることになるのだと、アンナは直感したのかもしれない。
だとすれば、アンナがここで、かつてアレックスが夜の路地を疾走したように、自身もまた「永遠に疾走する愛」を体現しようとした心情を説明できる。それだけでなく彼女は、滑走路を進み、自身の身体が飛行機であるかのように腕を広げる。重力に抵抗して空に飛び上がっていくように。そんな地球の重力から解放されるイメージは、劇中で言及される「ハレー彗星」が、光輝きながら宇宙を進み続ける姿にも重ねられる。
現実であれば、おそらく数秒後には、そんな刹那的な希望は打ち砕かれ、息を切らしたアンナは滑走路に倒れ込み、またしても現実の重力に捉えられてしまうことになるのだろう。そしてそれは、愛の敗北を意味する。この後、あれだけ才能を賛美され将来を嘱望されたカラックスが愛に破れ、そのことで何年も映画を撮ることができなくなったように。
しかし、映画という芸術は、任意の場所で“カット”することで、その姿を、時間を、永遠に止めることが可能だ。カラックスとビノシュが愛を交わしていた時間も、カラックスが永遠を信じていた若い時代も、本作『汚れた血』は、そのままパッキングしている。われわれは、そんな映画ならではの奇跡を目の当たりにすることで、映画という芸術が、この世界に存在することの意義を感覚的に享受するのである。
■公開情報
『汚れた血』4Kレストア版
ユーロスペースほかにて公開中
出演:ジュリエット・ビノシュ、ドニ・ラヴァン、ミシェル・ピコリ
監督・脚本:レオス・カラックス
撮影:ジャン=イヴ・エスコフィエ
配給:ユーロスペース
1986年/フランス/カラー/120分/DCP/原題:Mauvais Sang/日本語字幕:松浦寿輝
公式サイト:https://carax4k.com

























