『ひらやすみ』岡山天音のヒロトはなぜ“いい”のか 悩める現代人を救った最高の実写化に

 主人公が成長したり変化したりすることが、「物語」の定石と言われる。しかし、ヒロトは変わらない。おそらく最終回まで変わらないだろう。けれども、彼の周りの人たちは少しずつ変わっていく。ヒロトは、周囲にふんわりと影響を与え、いつの間にか良い方向に導いている。それも「無自覚のうちに」だ。

 なつみは、ヒロトが常日頃から言っている「くよくよ考えたってしょうがないじゃん。大丈夫、なっちゃんは」という言葉に背中を押されて友達もできたし、漫画家への道も開こうとしている。第1週では朝晩ご飯を作ってくれるヒロトに感謝の気持ちも表さず、八つ当たりばかりしていたなつみ。しかし数カ月間共に「平屋暮らし」を送ったのちには、ヒロトを気遣ったり、言葉が過ぎたときには謝ったりするようになっている。

 よもぎは、モヤモヤしたときはダッシュすればいいというライフハックをヒロトから教わる。元陸上部のよもぎはダッシュでヒロトを追い越したあと、ヒロトの靴下の足の親指の部分に穴が空いているのを見て「引き笑い」が止まらない。人間、行き詰まったときは視点を変えれば、想定もしていなかったやり方で事態が少し変わったりする。

 身寄りがなく、近所の人たちにも心を閉ざして、周りからは「偏屈ばあさん」と呼ばれていたはなえ。彼女もまた、ヒロトの想定外の価値観にふれることで心がほぐれた。彼女の身の上でヒロトに出会ったなら、自分の亡きあと持ち家も託してしまうかもしれないと思わせてしまう物語の力、そして、じわりじわりと浸透していく「ヒロト力」に、視聴者はまんまと納得させられてしまう。

 さらに、当たり前だけれど、ヒロトは妖精なんかではなく、一個の人間なのだということも描いている。漫画家を志すなつみの身の回りに起こることに、ヒロトはかつて俳優として何者かになることを夢見ていた頃の自分を重ね合わせて、胸がクッとなる。それを岡山天音がところどころ、一瞬の表情で表現している。

 きっとヒロトは怠けているわけでも逃げているわけでもなく、努めて「人と比べない」という幸福論に行き着いたのではないだろうか。ヒロトによる「ふんわりポジティブ」な言霊の数々は、彼自身にも向けられているのではないか。

 ヒロトはこの先も、基本的に変わらないけれど、ヒロトの「モラトリアム期」は一生続くわけじゃない。阿佐ヶ谷の平屋での、なつみとの暮らしも永遠には続かない。人生も、物語も、終わりがあるからこそ儚く、尊く、美しい。

 最終週では、高校時代からのヒロトの親友・ヒデキ(吉村界人)にピンチが訪れる。ヒロトとは対照的に、彼のライフステージはここ数年で結婚・子どもの誕生と、急変した。ヒデキは仕事に子育てに、なんとか向き合おうとするけれど、いろんなことが空回りして、追い詰められてしまった。

 第2回でヒロトを飲みに誘ったヒデキは、子どもが生まれるので「これからは前より会えなくなる」「最後の宴」と言ったが、これが壮大な「ダチョウ倶楽部スタイル」の“振り”で、ヒデキはその後もしょっちゅう、何かと理由をつけてはヒロトに会いにきていた。そしてそのたびに、「いつまでも青春時代のままではいられないのだ」という諦念と悲哀が、ヒデキのふとした表情に見てとれた。

 社会人、責任ある立場、子の親。誰もがあらかじめその役割にカッチリはまっていたのではなく、みんな慣れないながら、迷いながら、その役割をどうにかこうにか演じ続けることで、だんだんと自分のものになっていく。

 相変わらず世の中はギスギスしていて、理不尽なことばかりだ。現世を生き抜くには、ヒロトのように自分を全肯定して、ふんわりじんわり励ましてくれる人がいればありがたいけれど、そんな誰かにめぐり会うことは奇跡に等しい。ヒロトは、悩み多き現代人が求める「理想の人格」ともいえる。

 こうなったら、自分の中にヒロトを宿せばいいのではないか。イラッとしたりモヤっとしたり、生きるのが辛くなって自暴自棄になりそうなときは、「くよくよ考えたってしょうがないじゃん」「大丈夫」「バーカ未成年が飲んでんじゃねえよ(を「○○が△△してんじゃねえよ」にカスタマイズして)」「そういうのは、思ってなくても言っちゃダメだよ。わかったね」などの「ヒロト語録」を心の中で反芻することで、少しフフッと笑えるかもしれない。

 岡山天音による白眉の声の表現により具現化した、あの、叱るでも、押し付けるでもない、柔らかい綿の実をポンッと肩に当ててくるような言葉の数々。ドラマが終わっても、私たちはこれらを脳内に呼び起こすことができる。ありがたいことだ。

参照
※ https://san-tatsu.jp/articles/211340/

■放送情報
夜ドラ『ひらやすみ』
NHK総合にて、毎週月曜から木曜22:45~23:00放送
NHK ONE(新NHKプラス)で同時・見逃し配信中
出演:岡山天音、森七菜、吉村界人、光嶌なづな、蓮佛美沙子、駿河太郎、吉岡里帆、根岸季衣 ほか
ナレーション:小林聡美
原作:真造圭伍
脚本:米内山陽子
音楽:富貴晴美
音楽プロデューサー:福島節
演出:松本佳奈、川和田恵真、高土浩二
制作統括:坂部康二、熊野律時
プロデューサー:大塚安希
写真提供=NHK

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