『呪術廻戦』禪院直哉はなぜこんなに“愛されるのか” 彼が体現する呪術界と自己矛盾
呪いが再び巡りはじめた。コミックス累計発行部数は1億部を突破。11月7日から公開中の『劇場版 呪術廻戦「渋谷事変 特別編集版」×「死滅回游 先行上映」』が11月24日までの18日間で観客動員数101万人、興行収入15.1億円を突破し(※)、シリーズの勢いは止まる気配を見せない。そんな劇場版で話題を呼んでいるのが、「死滅回游」から新たに登場した“規格外”なキャラクター、禪院直哉である。
禪院直哉の存在感は、前売り券のシークレット枠としてシルエット登場した時から凄まじかった。なんと言ったって、原作連載時にも登場するたびに話題を攫い、数多くの名言(?)を残した人気キャラクターである。そもそも金髪にピアス、京都弁で和装の容姿だけでも目をひくにもかかわらず、「禪院家の次期当主になる“はずだった”男」という立ち位置にもインパクトがある。それ以上にその性格の悪さから、一貫して“悪役”として強烈な印象を保ち続けてきたが、彼そのものが呪術界を体現する重要な、“呪い”のような存在であることを忘れてはいけない。
禪院家、“呪術界”を煮詰めた存在として
「で、死んだん?」
これが直哉の初登場時のセリフである。今回の『劇場版 呪術廻戦「渋谷事変 特別編集版」×「死滅回游 先行上映」』は、ダイジェスト版だからこそ「渋谷事変」で一般人はもちろん、味方も含めどれだけ多くの人が亡くなったかが端的にわかるようになっていた。それゆえに虎杖悠仁の痛みが強調されていたのに対し、まるで皮肉るように直哉のこのセリフが作品の空気を断絶する。
これは自分の“三歩後ろ”を歩く禪院真依と真希の母親に対する、従兄妹・真依の安否について問う質問だった。「今は当主の心配を。それに死にかけているのは真希です」と答えが返ってきても彼はさほど気にしない。「渋谷事変」で漏瑚から致命傷を受けた禪院家の当主・直毘人の息子でありながら、実の父も、従兄妹の真希の安否も気に留めない。むしろ真希に対しては令和の劇場でそのまま流れることにこっちがヒヤヒヤしてしまうほどの男尊女卑的な発言、さらに父の死は自分にとって当主になるための“必要過程”としか認識していないのだ。
彼は、自分が強いと信じて疑わない。そして、弱い者(と彼が認定した者)は、たとえ肉親であっても存在する価値がないと本気で思っている。そこに「家族だから」という情もなければ、「建前」というオブラートもない。この“清々しいほどのクズ”ぶりこそが、主要キャラクターが(さらに)複雑な事情や葛藤を抱える「死滅回游」において、一種のカンフル剤として機能しているのだ。
しかし、それらの直哉の思考は決して彼独自のものではなく、ほぼ全てが「禪院家」の総意と言っても過言ではないところに注目すべきなのだ。「姉妹校交流会編」では真依の口から禪院家に女として生まれることの意味や、さらに呪力を持たない真希がどんな扱いを受けたのかが語られた。「禪院家に非ずんば呪術師に非ず 呪術師に非ずんば人に非ず」、そんな家訓を掲げる御三家の一つとして、本家は男でも相伝の術式を継承していない者は落伍者として認識され、家内の立ち位置も強さで決められる実力主義なのだ。そして、御三家の中でも有力な禪院家の古い慣習に囚われた価値観は、同じく御三家である五条家の代表・五条悟が言う“腐ったミカン”のような上層部ともあまり大差ない。
むしろ虎杖悠仁や乙骨憂太、といった呪術界から一度は秘匿死刑を言い渡された主人公や現在生き残っている仲間たち(呪力を持たないフィジカルギフテッドの真希、同じく呪術界にとって異質とされる存在の伏黒甚爾の息子・恵、呪胎九相図の脹相ら)に通じる異端児の前に、直哉は “旧来の呪術界”という対比的な存在として物語に現れる。とはいえ、彼が向き合うのは虎杖や乙骨ではなく、次期当主の座を図らずとも奪った恵、そして存在が気に食わない真希だ。彼らのぶつかり合いは、呪術界の未来を決めるといっても過言ではない。そんな戦いなのである。
冷徹な実力派でありながら、誰よりも“人間くさい”
直哉は父・直毘人と同様に相伝術式の「投射呪法」の使い手であり、階級も特別一級術師として高い実力を誇る。特に劇場で先行上映された「死滅回游」第1話と第2話で、彼がアニメーション向きなキャラクターであることを実感させられた。なんといっても、彼の術式そのものが“アニメーション作成”なのだから、当たり前かもしれないが。
父・直毘人から受け継いだこの術式は、1秒を24分割し、予め作った動きをトレースすることで超高速移動を可能にする。直毘人が「最速の術師」と呼ばれたように、直哉もまた、その速度を受け継いでいる。とにかく視覚で追うのが難しいくらい速い、という表現において、MAPPAの作画技術が遺憾なく発揮されていた。
それでも、脹相との戦いでは乙骨の介入がなければほぼ負けており、地面に這いつくばって毒の影響で嘔吐するシーンも印象的に描かれている。なんというか、強いのにビッグマウスが故に時々漂わせる“小物感”が拭えない点も、視聴者とキャラクターの距離を縮める要因に感じる。アニメオリジナルシーンとして、玄関で真希・真依の母親に草履を履かせてもらっているのが何だかかわいらしかった。そう、直哉には単なる性格の悪いミソジニーのお坊ちゃんとして片付けるには、あまりにも魅力的なのだ。その魅力の核は、彼の“人間くささ”である。