『ブライアン・エプスタイン』はどこまでリアル? ビートルズを支えたマネージャーの軌跡

「誰が誰を演じるのか?」などの話題性も含めて、以前からある「ジャンル」ではあるものの、映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)の世界的な大ヒットを受けてか、以降続々と作られるようになった印象もある、ドキュメンタリーではなく、プロの役者が実在のミュージシャンを演じるタイプの音楽系伝記映画。最近では、ティモシー・シャラメが若き日のボブ・ディランを演じた『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(2024年)が記憶に新しいところだし、2025年にはアントワーン・フークア監督によるマイケル・ジャクソンの伝記映画『Michael(原題)』が公開される予定だ。けれども、そんな「スーパースター」たちを世に送り出すことに尽力した「マネージャー」という立場の人物を主人公とした映画は、案外珍しいのかもしれない。このたび日本公開される映画『ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男』は、その邦題のごとく世界最高のバンド=ザ・ビートルズを発見し育て上げ、世に送り出した「5人目のビートルズ」――ブライアン・エプスタインの生涯を描いた一本だ。
父が経営する瀟洒な家具店で働きながら、その一角で始めたレコード販売業が軌道に乗り、「音楽の目利き」としての自信を深めていたエプスタイン(ジェイコブ・フォーチュン=ロイド)は、1961年11月、地元・リヴァプールのクラブ「キャヴァーン」で、駆け出しのバンドのライブを目撃し、雷に打たれたような衝撃を受ける。そのバンドの名は、ビートルズ。マネジメント業務の経験が一切ないにもかかわらず、衝動的にバンドのマネージャーを自ら買って出た彼は、その前任者であるアラン・ウィリアムズに話を付けると同時に、バンドのメンバーたちに「君たちは素晴らしいバンドだ。僕が君たちをニューヨークに連れていく」と約束。晴れてバンドのマネージャーに就任する。そこから始まる、結果的には6年にも満たないながらも、実に濃厚で夢のような激動の日々。本作は、無名の若者たちが、やがて世界の「スーパースター」となるに至るまでの日々を、あくまでもエプスタインというひとりの裏方の人間の目線から描き出してゆくのだった。
そんな本作で描かれていることはどこまでリアルなのか。以下、所見と思うところを書いていくことにしよう。まず、映画の冒頭に「真実に基づく物語(INSPIRED BY REAL EVENTS)」と出てくるように、この物語はあくまでも、実際の出来事にインスパイアされた脚本家による「創作物」であることに注意したい。とはいえ、恐らくエプスタインが1964年に出版した自伝『ビートルズ神話/エプスタイン回顧録』にその多くを依拠しているであろうエプスタイン自身の出自や性格――ポーランドから渡って来たユダヤ人一家のもとに生まれるも、少年時代より学校に馴染めず放校・転校を繰り返し、一時はドレスデザイナーになりたいという夢を持つも両親にたしなめられ断念。卒業後は、父が経営する家具店で販売員として勤務するも、今度は俳優を目指してロンドンの王立演劇学校(RADA)に入学。程なくしてリヴァプールに戻り、再び家業を手伝うなど、「本物にあこがれながら本物にはなれない」挫折感と、しかしながら「本物を見極める目だけは確かである」という自信の両面を持った、本作におけるエプスタインの人物造形は、かなり実際の人物を反映したものとなっているのだろう(見た目もかなり寄せていた!)。
そして、その後の展開――1961年にビートルズに出会ったこと、自らマネージャーを買って出たこと、革ジャン姿の彼らにスーツを仕立て、そのイメージを刷新したこと、優良小売レコード店の主任である自らの伝手をたどって各レコード会社に当たり、EMI傘下のパーロフォンと契約を取り付け、結果的に彼以上にビートルズと長い付き合いとなる音楽プロデューサー、ジョージ・マーティンとの協議のもと、技術的な問題から、当時ドラムを担当していたピート・ベストを解雇し、リンゴ・スターを加入させたあと、1962年にビートルズをデビューさせたことなど、本作で描き出される出来事は、概ね「事実」として受け止めていいだろう。無論、個々の出来事に関する、それぞれの「捉え方」や「受け止め方」は、少々違うかもしれないが。というのも、「ビートルズの歴史」については、各メンバーはもちろん、本作に登場するほとんどの人物が、さまざまな場所で発言したり、本を書いたりしているのだから。エプスタインの若きアシスタント、アリステア・テイラーに至るまで! それらの発言が、完全に一致することはない。























