『べらぼう』“蔦重”横浜流星の初めての“間違い” エンタメを戦いの手段に使うことの危うさ

『べらぼう』蔦重の初めての“間違い”

 作品に込められた思いが、そのまま受け手に伝わらないという歯がゆさは、いつの時代にもあるクリエイターのジレンマ。蔦重(横浜流星)が、松平定信(井上祐貴)への皮肉を込めて刊行した3冊の黄表紙もまたそうだった。

 物語の時代設定こそ変えてはいるものの、登場人物の着物を見れば定信を示す「梅鉢紋」が描かれていることから、今の世相を風刺していることは明らか。しかし、幸か不幸かその「からかい」が全く伝わらなかった。なかでも、朋誠堂喜三二(尾美としのり)作の『文武二道万石通』は飛ぶように売れたのだった。

 NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第35回「間違凧文武二道」は、サブタイトルに「間違い」という言葉があるように、これまで狙い通りにヒットを作り出してきた蔦重が、判断を大きく誤っていく様子が見て取れた。

 蔦重としては、表向きは意次(渡辺謙)をはじめとする田沼一派を貶めることでお咎めを回避しつつ、その裏で息苦しい世の中へと向かう定信の政策に抗うつもりだった。しかし、世の中は田沼を下げて定信を上げる、表面的な物語に大歓喜。『文武二道万石通』を手にした当の定信さえも「蔦重大明神」が励ましてくれていると喜ぶ始末だ。

 とはいえ、家臣の水野為長(園田祥太)のように、その真意に気づく者もいた。だが、定信は「からかっているのでは?」という言葉にも「黄表紙なのだから面白くせねばなるまい」とその見方を変えようとはしない。いつだって読者は読みたいように受け取るものなのだ。

 笑えないことを笑いにする。それが蔦重のモットーだったはず。しかし、今の蔦重は「笑いごとじゃねえですよ」と、眉をひそめるばかり。誰かを笑顔にしたいという小さな幸せから離れ、物語をもって大きな力に抗おうとする姿は、「死を呼ぶ手袋」を巡る意次の汚名を晴らすべく創作をせずにはいられなかった平賀源内(安田顕)と重なる部分があった。そこへ、舞い込んできた意次の訃報。唇を噛み締めながら静かに頷く蔦重は、その覚悟を強くしたようにも見えた。

 蔦重が意次と最後に会ったあの日。意次は、表面的にせよ田沼の名を貶める黄表紙を描く蔦重を許さないなんてことをすれば、「あの世から源内が雷を落としてこよう」と笑った。そのときは2人にとって大事な源内のエレキテルを絡めた思い出話のひとつとして聞いていたのだが、どうやら冗談では終わらない気配がする。

 雷鳴轟く中、鳥山石燕(片岡鶴太郎)が死の間際に見たあやかしは、確かに源内が着用していた流水文様の羽織を身に着けているように見えた。その姿を絵にしたためた石燕。蔦重のもとには遺作として届く。もし源内が何かを告げに来ていたのだとしたら、蔦重のもとに直接現れないのは、それだけ蔦重が聞く耳を持つことができていないという皮肉なのだろうか。

 蔦重と歌麿(染谷将太)にとって、ある意味で「親」と呼べるような存在だった意次と石燕。その旅立ちによって蔦重は定信への批判にのめり込んでいく一方で、歌麿は「ちゃんとしたい」と自分の幸せを見つめるようになっていく対比も心苦しく感じられた。

 かつては、蔦重だけがこの世と自分を繋ぐたったひとつの糸だった歌麿。だが、石燕からありのままに描く楽しさを教えてもらい、耳の不自由なきよ(藤間爽子)と愛し合うことで生きることそのものを幸せだと感じることができるようになった。

 きよと暮らしていく。生きる目的が明確になったことで、トラウマを引き起こしてきた「笑い絵」を描けるようになった。その表情からも性(人の生まれつき)を喜んで受け入れていることがわかる、伸びやかで生き生きとした筆致。「よく描けたな」と、蔦重は思わず目に涙を浮かべる。

 蔦重とていの姿を見て、歌麿が「もう本当に、ただの抱えの絵師だな」と寂しそうにしていたが、もしかしたら歌麿ときよの仲睦まじい様子を見て、今度は蔦重のなかにその切ない感情が湧き上がってきたのではないだろうか。ならば、と大店の旦那らしく100両もの大金を出したというのも、田沼時代の申し子らしい見栄だ。しかし、世の中は質素倹約の流れ。ていからも「ちゃんと取り返すこと」と灸を据えられるのだった。

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