土村芳×尾上寛之は海路の“日常と地続きの虚構”にどう挑んだのか 舞台『旧体』を語り合う

気鋭の劇作家にして演出家の海路の新作『旧体』は人間が球体に突然変異したのち、その224時間後に人間の姿に再び戻ると全能に生まれ変わっているというSF的な世界。全能になると五感すべての感覚や記憶がアーカイブされる。あるとき岩井夫婦の夫・宗次郎が球体になった。やがて世界に「球体の日」がやってきて……。急速に価値観が変わり始めている令和のいま、このような人間の進化や変化を描いた物語は不思議だけれど、絵空事にも思えない。日常と地続きの海路の世界を体現するには何が必要か。夫婦役を演じる土村芳と尾上寛之と海路が語り合う。(木俣冬)
“芝居に嘘をつかない”を突き詰めて

――海路さんは、今回、土村芳さんと尾上寛之さんにどんなことを期待していますか?
海路:おふたりのご出演作品は以前から多く拝見していました。土村さんは朝ドラ『べっぴんさん』(NHK総合)をはじめとして、『おいしい給食』や映画『僕たちは変わらない朝を迎える』など。尾上さんは加藤拓也さんの舞台『誰にも知られず死ぬ朝』で初めて知って、その後、映画『罪の声』やKERAさんの舞台『Don’t freak out』や猫のホテルの村上航さんと共演されている『ピンク』を拝見しました。『旧体』は少し不思議なフィクションですが、いつも以上に日常的な話を意識しています。おふたりなら物語世界を当たり前の日常にしてくれると思い、お声がけました。
――土村さんと尾上さんは海路さんの作品にどんな印象を持っていましたか?
尾上寛之(以下、尾上):めちゃくちゃ生な感じがするなと。それを大切に描いているのだろうと感じました。海路さんが稽古のときによくおっしゃっているのが「舞台に出てきたらセリフを喋る以外のことはしないでください」というもので、これまでの作品を観ると、まさしくそれを意識していることが分かります。そこに至るまでの関係性や、外で起きた出来事を俳優がしっかり心の中に持っていれば、ほかに何もしなくても伝わると信じているのだろうと感じます。
土村芳(以下、土村):本当にそうで。生っぽさがありますよね。観客がお芝居を見せられているのではなく、ふと目撃してしまっているような感覚になります。
尾上:覗き見しているような感じがあるよね。
土村:セリフが書き言葉ではないので、スッと入ってきますよね。そこが海路さん独特の色なのかなと思います。
尾上:面白いですよね。めちゃくちゃ現代口語で。いまこのときじゃないと多分出てこないだろうなという言葉で。たぶん、5年後、10年後だったらまた変わっているだろうと。物語の時代的には未来なのか過去なのかわからないですが、現代に起きている問題と重なる気がします。いまを映し出している台本ですね。

――セリフの頭に「え、」がよくつくのが(例:「え、自覚あるんだ」)平田オリザさんとか宮沢章夫さんなどが切り開いた現代口語演劇の系譜だと感じたのですが、海路さんはそこを意識されていますか?
海路:いや、むしろ、意識していないからこそ「え、」がセリフにつく気がしていて。意識したら多分省いちゃうと思うんですよ。「え、」のほかに「いや、」もよく書きます。日常会話をすごく大切にしていて。文法的におかしいようなものもそのまま書いています。覗き見している感覚と言っていただきましたけれど、そういうリアリティみたいなことを大事にしているんです。
尾上:関係性が近ければ近いほど意味のない言葉で喋っても全然伝わりますよね。
海路:そうですね。会話の中で起きる少しの気持ちの変化だったり反応だったり引っかかりだったりみたいなのが「え、」や「いや、」という言葉に乗っかってくるのかなと思っています。

――演じる側としては「え、」が入っているのはどうですか?
尾上:演じることが難しいわけではないですが、台本を読んだときに、どこからどこまでが一つの文で、どこで気持ちが変化しているのか読解するのがめちゃくちゃ難しいなと感じています。
土村:そうですよね。
海路:切れ目がわかりづらい?
尾上:つらつらと読んだほうがいいか、多分1回、区切った方がいいのかとか。極力台本に書かれている通りに言いたいけれど、ちょっとした塩梅をいま探っています。
土村:尾上さんのおっしゃるとおりで。稽古が始まってまだ2回目なので、今後、読む回数を重ねていくとセリフが自分とリンクしたとき、自然と「え、」が出やすくなりそうで。ハマればスッと入ってきてくれるという感覚を掴みかけているところです。

――海路さんは、ご自分が書かれたそのセリフを一字一句正しく言ってほしいですか?
海路:一字一句完璧に言うつもりでやってほしいとは思っています。ただお芝居が始まったら喋るだけしかしないでほしくて、だから芝居中に、相手から飛んできたものに思わず役としての言葉が出るのは全然いいんです。芝居が始まる前までは完璧に覚えて、いざ喋りだしたら目の前のことにだけ集中して欲しいと思っています。
――ただ喋るだけにしてほしいということをもう少し詳しく教えていただけますか?
海路:ただただそのシーンの中で生きていてほしいと思うんです。いまこういうふうに会話していることの延長線上のような感じで。芝居をやっていると表現に走りたくなる瞬間はありますか?
土村:客席に向けてですか?
海路:そうですね。
尾上:逆に僕が演劇をやってきた場所は、客席に向かって演技しなくてもいいという場所だったんです。客席に背を向けてもいいから、出演者同士ちゃんと対話しろという作品が多くて。だからむしろ客席に向かって開いた表現が怖いというか、いかにも舞台で演じていますみたいな表現になるとちょっと恥ずかしくなる感覚は常に持っています。
土村:私はそもそも舞台経験が少ないのですが、これまでの数少ない舞台では、私も客席に向けた芝居はそんなに要求されたことがなかったと記憶します。それに、映像ではカメラを見てお芝居することは少ないので、そういう芝居への抵抗はないほうかなとは思っています。
海路:ただただ芝居に嘘をつかないという意図に近いかな。それを究極に突き詰めていきたいんです。
『旧体』は劇的じゃなくて、当たり前に存在する世界

――『旧体』はあるとき人間が全能になるというビックリするような世界です。土村さんと尾上さんは読んでいかがでしたか?
土村:普通に考えたらぶっ飛んだ話なのに、なんでこんなにすっと読めてしまうのかなという驚きがありました。
尾上:本当に日常への落とし込み方がすごく自然で、なんならこういうことがいままさに起こっているんじゃないかとも感じもして。この不思議な感覚をお客様と共有できればこの演劇をやる意味があるのかなと思いました。

――海路さんがこの物語を思い浮かべたきっかけはなんだったのでしょうか?
海路:最初は人間が球体になる時期を挟んで、その時期が終わると天才に進化するみたいな、話のパッケージがなんとなく浮かんで。そこを入り口に、いろいろ調べて膨らませていきました。元ネタというか参考にしたのが、ボルヘスの『伝奇集』という短編集にある『記憶の人、フネス』という完全記憶の話で。それに三島由紀夫などの作品からいくつかイメージを引っ張ってきました。最近概念とか夢とか曖昧なものに興味があるんです。
尾上:確かに、読むと突拍子もない話に見えますよね(笑)。「いったい何の話なんだ?」と。でも、海路さんがおっしゃるようにあくまでも日常なんですよ。例えば球体が出てきたりとか、進化した人類が出てきたりしても、いい意味で劇的じゃなくて、当たり前に存在するように書かれているのが面白いところだと思います。
――その世界を演じてみて、俳優としてそれぞれどういうところが刺激的だったり、興味深かったりしますか?
尾上:いまはまだ本と向き合っているところで、立って共演者たちとちゃんと目を合わせて会話したときにがらっと変わるだろうと思うんです。脚本に振り幅があって、いくらでも飛べそうだと感じていて。お互い、どこまでいけるか楽しみです。

土村:そうですね。どこまでも行ってみたいですね。
尾上:僕らがやって行き過ぎた分は絶対に海路さんが修正してくれるだろうから安心して思いきりやりたい。
土村:尾上さんとは以前映画でご一緒したことがあって。わずか2日くらいでしたがすごくグッと距離を縮めてくださいました。気持ちを強く揺さぶって感情を引き出してくれて、どんな芝居をしても全部受け止めてくださるので、勝手にとても頼りにしています。
海路:いま、立ってみてからという話が出ましたが、僕も立ち稽古が楽しみです。本読みは仮説みたいな感覚です。本読みでいろいろ詰めたあと、立ち稽古で仮説を立証するとか実践してみるというイメージで。結果、思ったような関係になる可能性もあるし、思っていたことと違う関係性になる可能性もある。それが楽しみです。




















