『バレリーナ』アナ・デ・アルマスが『ジョン・ウィック』シリーズに吹き込んだ新たな風

銃撃やナイフなどの格闘だけでなく、皿やスケート靴など、即興的に身近な物を転用しながらのバトルも面白い。この柔軟な戦い方は、生き残るための工夫としてのリアリティであるとともに、ときにユーモアを感じさせもする。そのなりふり構わぬ必死の奮闘には、常にぎりぎりで死の脅威を回避しなければならない緊張感が漂っている。
そんな彼女が火炎放射器で敵を一掃し、スクリーンを炎が埋め尽くしていく場面には、復讐の炎が炸裂する精神的な意味が反映されている。だが、ある敵も火炎放射器を手にすると、炎と炎がぶつかり合う戦いへと移行する。そこでイヴが“水”を持ち出すのも、また象徴的だ。ホースから放たれる水流は、より強い力には力で対抗するのでなく、土俵を変えるという、彼女の機知と応用の象徴として表現されている。その裏には、女性が自らの方法で状況を打開する姿勢や、ある種のフェミニズムにおける戦い方の多様性が読み取れる部分でもある。
しかし彼女は、なぜそこまでして戦い続けるのか。その復讐の根底には、“女の情念”とでも言うような、ある種、古くさい価値観を感じさせるところがある。アメリカ映画でいえば、『キル・ビル』シリーズを想起させるところだ。『キル・ビル Vol.1』(2003年)では、復讐に燃えるザ・ブライド(ユマ・サーマン)が、殺し屋たちに復讐を果たすべく立ち上がり、ルーシー・リュー演じるオーレン石井とのバトルが展開する。そこでクエンティン・タランティーノ監督の愛する『修羅雪姫』(1973年)のオマージュとして、劇中に梶芽衣子が歌う「修羅の花」が挿入される。
『キル・ビル』シリーズにおいてタランティーノ監督は、日本の演歌、歌謡曲、そして劇画などにおける“女の意気地”のような概念を、アメリカにおける「パルプ・フィクション(三文小説)」やコミックの世界の橋渡し役となり、両者の同一性を明らかなものにしてみせた。その意味において、本作『バレリーナ:The World of John Wick』のイヴの情念は、日本の1970年代に確実にあった感覚と接続されているといえるのだ。現代の日本の若い観客にとってみれば、それは新鮮な発見のように感じるかもしれない。
かつての憧れであったバレエを断念し、イヴは修羅の道を進む……。実際にあるプラハの劇場で撮影された、友人の舞台を眺めるラストシーンにおいて、自身の夢と決定的に決別する瞬間は、じつに切なく、美しい。“ベタ”ともいえるが、だからこそグッとくる表現である。
同時に本作には、ジョン・ウー監督やユエン・ウーピンなどがハリウッドで活躍した、1990年代の時代感覚も反映されている。そのアクションにおける優雅な身のこなし、美的な演出には、キアヌ・リーブスや、彼のスタントパーソンであり、後に『ジョン・ウィック』シリーズの監督を手がけることになるチャド・スタエルスキも、『マトリックス』(1999年)などにおいて薫陶を受けている。
そんなハリウッドアクションの変革期のなかで、『アンダーワールド』シリーズや『ダイハード4.0』(2007年)などのアクション作品を手がけた、本作のレン・ワイズマン監督もまた、アクションを美的な表現に昇華してきた一人だ。そんな彼の演出は、その精神を受け継ぐ本作に相応しいものだったといえるだろう。
キアヌ・リーブス演じるジョン・ウィックが、かつて『ノック・ノック』(2015年)で共演したアナ・デ・アルマス演じるイヴに共感を覚え、自身の姿を重ねようとする展開は、キアヌ・リーブスの生きてきた時代、さらにその前の時代の人々の精神性を伝える儀式ともいえる。新時代の女性像を確立し、トップ俳優となったアナ・デ・アルマスは、『ブロンド』(2022年)でマリリン・モンローを演じたのと同様、過去からさまざまなものを学び獲得する時期に、必然的に差し掛かっているということなのかもしれない。
■公開情報
『バレリーナ:The World of John Wick』
全国公開中
出演:アナ・デ・アルマス、ノーマン・リーダス、アンジェリカ・ヒューストン、ガブリエル・バーン、キアヌ・リーブス
監督:レン・ワイズマン
製作:チャド・スタエルスキ
提供:木下グループ
配給:キノフィルムズ
2025/アメリカ/原題:From the World of John Wick: Ballerina
®︎, TM & ©︎ 2025 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.
公式サイト:ballerina-jwmovie.jp
公式X(旧Twitter):@ballerina_jw
公式Instagram:ballerina_jw

























