『ジュラシック・ワールド/復活の大地』なぜ賛否? シリーズにもたらされた“映画的充実”

恐竜映画の金字塔『ジュラシック・パーク』シリーズと、その世界観を大きく広げた新機軸の『ジュラシック・ワールド』シリーズ。新たに公開された『ジュラシック・ワールド/復活の大地』は、そんな「ワールド・シリーズ」の世界の続きを仕切り直す超大作だ。
脚本には、『ジュラシック・パーク』(1993年)と『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』、つまり「パーク・シリーズ」2作を手がけたデヴィッド・コープがカムバックを果たし、監督には、『GODZILLA ゴジラ』(2014年)、『ザ・クリエイター/創造者』(2023年)のギャレス・エドワーズが初めて抜擢。スカーレット・ヨハンソンを新たな主演に迎えている。
果たして、その出来はどうだったのだろうか。ここでは、さまざまな意見が飛び交う、仕切り直しの本作『ジュラシック・ワールド/復活の大地』の真価とはどんなものであったのかを、できるだけ深いところまで掘り出していきたい。
前作『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』(2022年)の5年後という時代設定の本作。世界中に放たれたはずの恐竜たちだったが、いまの地球の環境は、やはり恐竜たちにとって生存に適したものではなく、広く繁殖することはできなかったようだ。恐竜たちは、いまでは赤道直下の一部地域のみで生息するようになっていた。リアリティがあるとともに、なんとも寂しい設定だ。
冒頭、ニューヨークのシーンでは、竜脚類のアパトサウルスが施設から逃げ出して交通渋滞を引き起こし、人々から不興を買っていた。もはや人々は恐竜に関心を示さず、以前のような羨望の感情は消え去っている。このアパトサウルスは、西部劇黎明期のスター「ブロンコ・ビリー」をもじった「ブロント・ビリー」という個体名を持っている。ちなみに、そのシャレの基となった「ブロントサウルス」は、かつてアパトサウルスとは別種の恐竜だと考えられていたが、現在では同一種だと見られている。
かつてクリント・イーストウッド監督、主演作『ブロンコ・ビリー』(1980年)が、そんな往年のスターの名を使ってロデオショーを見せる時代遅れの旅回り芸人の悲哀を描いたように、北米に生息していたと考えられるアパトサウルスに象徴される恐竜という存在は、かつて隆盛したもののジャンルとして廃れていった西部劇に重ねられているといえる。そしてさらにそれは、マンネリ化しつつあった「ジュラシック・シリーズ」の象徴として、メタ的に表現されているともいえよう。
つまり本作では、「ジュラシック映画」全体の推進力や支持が落ちていることを前提に、そこからどう新たに盛り上げていくかというテーマに向き合うことを宣言するのだ。そこで提示されるのが、分かりやすいミッション型のストーリー構造であるというわけだ。
元特殊部隊のゾーラ・ベネット(スカーレット・ヨハンソン)、グラント博士の教えを受けたヘンリー・ルーミス博士(ジョナサン・ベイリー)、ゾーラの友人でもある傭兵のダンカン(マハーシャラ・アリ)、計画を進めるビジネスマンのマーティン(ルパート・フレンド)らが目指すのは、恐竜たちがまだ多く生息しているサン・ユベール島と、その近辺の海だ。
そこで、モササウルス(海洋の最大級の肉食恐竜)、ティタノサウルス(長い尾を持つ、竜脚類最大級の恐竜)、ケツァルコアトルス(史上最大級の翼竜)といった、陸海空3種の巨大恐竜からDNAサンプルを採取するというのが、彼らのミッション。これらサンプルは画期的な医薬品の開発に使われ、クライアントが大きな利益を手にできるのである。ここでは、トラブルによって恐竜の脅威にさらされるのでなく、恐竜に接近しなければならないという必然性をも提示している。こういった分かりやすい枠組みを設定したおかげで本作は、ストーリーのなかで自然にスペクタクルが表現できるようになったといえる。同時に、より「プログラムピクチャー」としての特徴を備えることにもなった。
もう一つ、メタ的な表現で面白いのは、マーティンがプロジェクトにゾーラを誘うときに、「今回は予算が潤沢なんだ」と強調する点である。周知の通り、ギャレス・エドワーズ監督は前作『ザ・クリエイター/創造者』において、予算のマネージメントと節約的な表現手法の確立によって、「コスパSF大作」とも言うべき、予算以上のスケール感を獲得したことで評価を得ている。しかし今回は、「ワールド・シリーズ」のなかでは抑制されているとはいえ、当然エドワーズ作品としては製作費がアップしているのだ。そんな規模でエドワーズ監督が撮るのだから、効果の最大化が見込めるというものだ。
そんな観客の期待に応えるように描かれるのが、海上でのモササウルスとの攻防や、岩礁のある水域でのスピノサウルスたちとの、興奮のチェイスである。もともとギャレス・エドワーズは、『モンスターズ/地球外生命体』(2010年)や『GODZILLA ゴジラ』において、怪獣から与えられる恐怖を演出によって最大化しようとしてきた監督である。そこには、やはり予算や技術の問題をカバーする意味合いもあった。ここではそんな試みを、より派手なVFXのなかで恐怖感の醸成に特化したかたちで使っているところが進歩であり、またリッチな印象を与えられるのだ。























