『しあわせな結婚』愛と執着は紙一重? 杉野遥亮演じる刑事・黒川の複雑な心情を読み解く

『しあわせな結婚』杉野遥亮の心情を読み解く

 愛というのは、執着という醜いものにつけた仮の美しい嘘の呼び名だ――。恋愛の裏に潜むエゴや欲望を鋭く言い当てたこの一節を遺したのは、近代日本文学を代表する偉大なる作家のひとり・伊藤整である。8月7日に放送されたドラマ『しあわせな結婚』(テレビ朝日系)第4話を観ながら、この言葉がふと脳裏に浮かんだ。登場人物それぞれが抱える心の奥のざらつきや不安、秘めた欲望が丹念に描かれており、愛の本質に踏み込んだ重さが感じられる回であった。

ネルラへの疑いを解かない黒川の真意とは

 まず特筆すべきは、ネルラ(松たか子)を執拗に追う刑事・黒川竜司 (杉野遥亮)の存在感である。彼こそが、15年前にネルラの元婚約者・布勢(玉置玲央)が死亡した事件の再捜査を願い出た張本人であり、第一発見者であるネルラの犯行を疑い続けてきた人物だ。これまでの放送回では、あくまで一刑事としての礼節や慇懃さを崩さず、常に冷静な顔を保っていた黒川。杉野の抑えたトーンの演技や涼やかで研ぎ澄まされた雰囲気の容姿も相まって、どこかつかみどころのない不穏さをまとった存在だと感じていた。しかし今回、その仮面の奥に潜む感情が垣間見える瞬間があった。

 それは、ネルラの夫である幸太郎(阿部サダヲ)と黒川がふたりきりで対峙し、胸の内を打ち明けあうシーンだ。黒川は幸太郎に、例の事件が起きた当時、自分は交番勤務についたばかりの新人巡査だったこと、そしてネルラ以外で現場を最初に目にした人物であったことを明かす。黒川は、連行されていくパトカーの中で赤色灯に照らされたネルラの表情を見たとき、彼女が犯人であることを確信したというのだ。

 それから15年が経った現在。ネルラに向けられた黒川の視線は、今や職務上の疑念という域を超え、個人的な執着の色を帯び始めている。「奥さんはこの世のどこにもいないようなタイプだと思います。だから、あなたも結婚しちゃったんですよね」。あろうことか彼女の夫である幸太郎に対し、黒川はそう言い切ったのだ。このセリフは、表向きは幸太郎への分析のようでありながら、実のところ、黒川自身がネルラを“特別な存在”と認めている告白にも等しい。

 なぜ黒川はここまでネルラを追うのか。それを突き詰めていくと、思わず背筋が粟立つような感覚を覚える。普通なら、捜査が中断された事件の容疑者ひとりに15年もの間、個人的にこだわり続けることは容易ではないはずだ。だが黒川は、何の根拠もないままネルラのことを常に胸の奥で反芻し、疑い続けてきたという。そこには刑事としての正義感だけでは説明できない、異様なまでの集中力と執着心が感じられる。15年間ずっとそれを遂行するだけの熱意とエネルギーが、黒川にはあったのだ。例えばネルラと仲たがいをした際、結論を急がず別居という形で一歩身を引く幸太郎が”静”だとすれば、黒川は直観のままにどこまでも突き進む“動”のイメージである。

 冒頭で述べたように、愛とは執着と紙一重であるという考え方がある。この考え方を前提にするなら、少なくとも黒川からすれば、ネルラを疑い続けることこそが彼女に対する愛の証であり、彼なりの誠意でもあったのではないだろうか。おそらく黒川にとって、証拠がないからとネルラへの疑いを解くことは、彼女を混沌とした謎の中にひとり置き去りにすることと同義だったのだ。

 ネルラの潔白を信じる幸太郎と、ネルラへの疑念を抱え続ける黒川。彼らは一見、正反対の立場のようであるが、その実、ネルラというひとりの女性に囚われ続けているという一点において本質はほとんど変わらないように思う。「奥さんは嘘つきですよ。どうしてあなたはそんなに信じられるんですか」。幸太郎にそう問いかけた黒川の顔は、かすかに笑っているようにも見えた。一見すれば単なる忠告、あるいは挑発のようにも聞こえる言葉だ。しかしもしかするとこれは黒川なりの、ネルラへの愛情を示す言葉だったのかもしれない。

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